第6話 撤退

「何!? アーヴィングが!?」


 眉間に皺を寄せつつ、そう返してくる兵士にクロウは納得いかないと言った表情で頷いた。

 兵士は離れた場所で一人戦うアーヴィング、そして生徒達へと視線を巡らせる。

 魔物との遭遇と終わりの見えない状況により学生達どころか教師達の士気すらもお世辞にも高いとは言えない。

 

「しかし、それでは……」

「いーや、ここはアーヴィング先生のお言葉に従い、急ぎ退くべきでしょう!!」


 兵士とクロウの間に身体をねじ込んできたのはでっぷりと太った教師の一人だった。

 鼻息を荒くしながらクロウを乱暴に押しのけると、その教師は宝石のちりばめられたド派手な杖を掲げ、声高に叫ぶ。


「総員、撤退! 繰り返す! 総員この場から直ちに撤退せよ! これはアーヴィング先生の指示である!」


 そう言うと太った教師は弛んだ肉を震わせながら走り出した。

 それを追う様に一人、また一人と走り出し、陣形は崩れていく。


「落ち着け! 皆落ち着くんだ!教師陣と兵士達は生徒の護衛を……!?」


 必死で指示を出す兵士をよそに教師の一人が水色の髪をした女子生徒を突き飛ばすのが見えた。

 突き飛ばされ転んでしまった女子生徒に、背中から蜘蛛の脚を生やした熊のような魔物が襲い掛かり、何とか助けようと手を伸ばした兵士の一人が我先にと逃げ出す生徒達の波に飲まれていく。


 少しでも距離を取ろうと地面に尻をつけたまま後ずさるエリスに、獲物を吟味するようにゆっくりと距離を縮めていく魔物。

 やがて魔物がその口を開け鋭い牙が見えた時、エリスは身体を丸め硬く瞼を閉じた。


「いってえなぁ、このヤロウ!!」


 聞きなれた声にエリスが恐る恐る瞼を開け、信じられない行動を取る少年に開いた口が塞がらなかった。

 

 クロウ自身、何故自分がここにいるのかわかっていなかった。

 ただ、魔物に襲われているエリスを助けようと駆け出した瞬間、気が付けば大口を開けた魔物が目の前に居たのだ。

 慌てて銃を引っ掴み魔力を込め始めたものの、充填が終わる前に伸ばした左腕が偶然にも口の中へ。

 魔物にしてみても予期せぬ出来事だったのが幸いだったのか、何の前触れもなく口の中に腕を突っ込まれ、反射的に閉じられた事により腕が喰いちぎるまではいかなかったものの、痛いものは痛い。


 何とも言えない感触と、痛みに顔を顰めながらクロウは引き金を何度も引く。

 ムカデにはあまり利いていないように思われた光弾であったが、さすがに体内で乱射されれば防ぎようがないらしく、魔物は塵となって消え失せていった。

 

 魔物が消えたのを確認するとクロウは振り返り、呆けたまま地面に座り込んでいるエリスの腕を掴み引っ張り起こす。


「走れるか?」

「え? あ、うん」


 エリスの返事にクロウは頷き返すと掴んでいた腕を放し、銃を右手に持ち替えると一度息を吐き、走り出した。

 

 兵士や学生に紛れようやく森を脱出したクロウとエリス。

 エリスは膝に手を置き荒い息を整え、クロウは自分の制服の左袖を乱暴に破くと怪我の具合を確かめる。

 噛まれた事で出血してはいるものの、大したことはなさそうだと判断したクロウが破いた袖を包帯代わりに大雑把に巻こうとしていると、横から伸びてきた手にひったくられた。


「こんな汚れた布を使って化膿でもしたらどうするの!」


 エリスはクロウの血と魔物の涎らしき液体で汚れた元制服の袖をべチンと地面に叩き付け、ギロリとクロウを睨みつけると無理矢理その場に座らせ、スカートのポケットから取り出したハンカチを裂き、クロウの腕に巻いていく。


「……案外、落ち着いてんのな」

「女だもん、血は見慣れてる」


 エリスの手際のよさに感心しながら呟いた言葉に対する返事に、僅かに首を傾げたものの、その意味を理解したクロウはそれ以上口を開くことはなかった。



 

 

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