第58話

 それから一ヶ月の時が経つ。国の運営が落ち着いた頃を見計らい、勇者は供回りを連れて魔王城へと向かった。首都から数日はかかる。長い旅路になるがレイとの因縁をようやく果たせると思えば、時間をかける価値は十二分にあるだろう。


 もちろん転移魔法を使えば数日とかからずにたどり着くことはできる。しかし先の魔術師殺害と図書棟の焼失によって術者と方法をいっぺんになくしてしまった。やってのけたのがレイであると知ったのは、それから数日後ことだった。


 転移魔法の排除。正確には異世界への道を断つことにあったのだろう。あの世界に残したレイモンドやジャンのため。恭子や陽一や英子のために。彼らの平和のためにそうしたのだろう。勇者はそう思う。


 あの魔王が初めて人間のためにやったこと。おそらくレイは胸を張ることも、仰々しく喧伝することもないだろう。だが勇者はほんの少しだけ、レイを誇らしく思った。


 何度目かの夜を越えて、勇者は魔王城へとやってきた。 

 城はすっかり廃れていた。屋根は焼け落ち、城壁は崩れ瓦礫になっている。外壁にはいくつものドクロが捨ておかれ、風が吹くたびに衣装と思われる布が揺れ動く。魔族も人間も訪れることのない、静かな場所。墓場のようだと誰かが言ったが、勇者にもそのように見えた。


 円形の門をくぐり城内に入る。傾いた大扉、城の玄関を守る鉄の門番は役目を果たせないまま、不甲斐なさそうに口を開けている。片方は蝶番がいかれて傾き、もう片方は城内に吹き飛ばされている。勇者の仲間が魔法任せに思い切り吹き飛ばしたのだ。


 つい一年ほど前の出来事なのに、不思議と遠い記憶のように思えた。扉を抜けた先には大広間がある。赤い絨毯の上には瓦礫が散乱し、屋根を支えていた柱はいくつか折れている。左右には合わせて八つの柱があるが、何の傷もない柱はたった一本しかなかった。


「遅かったわね」


 レイの声が響く。顔を向けると、玉座にレイが腰掛けていた。


「お前一人か」


「ええ、見てわからないかしら」


 レイが首を傾げる。


「ここもずいぶん寂しくなってしまったわ。昔は魔族たちがこの城にいっぱいいたのに、アンタが攻めてきたせいで、ほとんどの魔族は死んでしまった」


 その声に悲しげな感情はなかった。ただ淡々と、過去の出来事を懐かしむように言葉にする。


「あの老人は、どうした」


「老人……ああ、アレンね。庭に埋めたわ。すっかり骨になってたけど、放っておくのも忍びないと思ったから」


「そうか」


 勇者は返事をしながら、脇に控えていた兵士に目を向ける。


「剣をくれ」


「はっ」


 兵士は背中に背負っていた剣を勇者に渡す。


「ありがとう。お前たちは外で待っていてくれ。ここからは、あいつと私の問題だから」


「よろしいのですか?」


「ああ。構わん」


 勇者の顔とレイの顔を交互に見ると、兵士は頭を下げ外に出る。その後を追うように、付き添いの男たちも城を出ていった。


「お仲間はいらないの?」


「ああ。これは私とお前の問題だ、協力は必要ない」


 勇者は車椅子の手すりを握る。腕に力を入れて、ゆっくりと立ち上がる。震える両腕、ふらつく両足。久しぶりの二足歩行に、勇者はだいぶ苦戦をしている様子だった。けれど勇者はたった。レイの前にあの時と同じように立って見せた。


「そんな体で、よく戦おうと思うわね」


「どんな体になろうと、お前とは戦わねばならん。国家も何も関係ない私とお前だけの個人的な因縁だ。そうだろう?」


 勇者は顔の前に剣を掲げると、ゆっくりと鞘から鋼の刃を引き抜いた。天井から降り注ぐ陽光。刀身に反射し剣を輝かせる。


「……ええ。そうね」


 レイも玉座から立ち上がると、剣を抜いた。




「勇者殿は死ぬ気でしょうか」


 外に出た兵士はそんなこと言う。言葉の矛先は付き添いできた男に向いている。


「勇者殿が死ぬか魔王が死ぬか、それは俺にもわからんさ。だが、死体が出来上がることは変わりあるまい」


「もしもの時があれば、我々も加勢したほうがいいでしょうか」


「いや、勇者殿はそれを望まないだろう。彼の名誉を重んじるのであれば、彼の好きにさせてやるべきだ。手は出さないほうがいい」


 男の視線は背後に控えていたもう一人の付き添い人の男に向けられる。頭からすっぽりとフードをかぶったその男は、背中に歩兵銃を持っている。護衛の男。名前は知らないが腕は確かだ。護衛は男と視線を交わしたが、口を開くことなくすぐに視線を外した。


「我々はただ待っていればいい。彼らの因縁が解決の時を迎えるのをな」


「……了解したました」


 兵士は敬礼をすると、男の元を去った。遠ざかる兵士の背中を、男はずっと追っていた。


「どちらか一方が生き延びた場合、我々が手を打つ」


 兵士の耳が遠くなったのを確かめて、男は口を開く。


「もしも勇者殿が生き残った場合でも、引き金を引いていいと?」


 護衛の男が口を開いた。


「そうだ」


 男は迷うことなく言った。


「ですぎた力は国の害にしかならん。過去の因縁は彼らの死とともに、永遠の過去に追いやるべきなのだ」


 護衛は返事をしなかった。肩にかけた歩兵銃を取り、弾丸を装填した。

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