第56話
数日が経った頃。退院の日を迎えた彼のもとに、兵士が慌てて駆け込んできた。
「ま、魔術師たちが何者かに殺されました」
「魔術師が? 犯人は分かっているのか」
「いえ。現在調査をしておりますが、いまだ不明のままです。ですが……」
「ですが、どうした」
「被害に遭った魔術師の中に、異世界への次元数値と座標を知っているものたちがいるんです」
「……何?」
ガトーは言葉を失った。
「まさか、あやつら全員が殺されたというのか」
「……はい」
兵士はさらに言葉を続ける。
「それだけでなく転移魔法の魔導書もその多くが紛失、また破壊されてしまいました」
「馬鹿な。図書棟には厳重な警備を布いていたはずだぞ」
「警備ごと燃やされたのです。何者かの攻撃によって」
「何だと……」
ガトーは息を呑む。背中を嫌な汗が伝っていくのがわかった。
「他の魔術師たちは国外へと退避、逃亡をしたようで残っておりません」
「……誰がそんなことを許した! 今直ぐ、連れ戻せ」
「はっ!」
兵士が踵を返し、病室を後にする。
深い混乱の谷にガトーは落ちる。地に足がつかず、ふよふよと気味の悪い浮遊感を感じた。太ももを叩いて感覚を追い出すと、最優先の課題を頭に思い起こす。混乱している場合ではない、お前が考えるんだ。そう自分に強く言い聞かせる。
「こんにちは。ガトー大将殿」
それは突然の訪問だった。ハッとしてガトーは病室の入り口を見た。そこに六十を過ぎた老人が立っている。黒いコートを羽織り、片手には杖を持っていた。
「今日はお迎えに参りました」
「迎え、だと?」
「ええ、お迎えに」
老人は杖をつきながらゆっくりとガトーのもとへ歩み寄る。
「この時は私は長い間待っていた。もう何十年でも待つかと思いましたが、いやはやチャンスとは思いがけずやってくるものだ」
「どういう意味だ、貴様は一体何者だ」
「これまでのお勤めご苦労様でございました。あとは、我々がやっておきますので、ご心配はいりませんよ」
老人はおもむろに手をあげた。すると廊下から体格の良い男たちが、ぞろぞろと病室の中に入ってくる。
「何だ……何をするつもりだ……」
「ご休暇を楽しんでくださいませ。きっと、あちら側はこの世よりも良い所でしょうから」
男たちはガトーの両脇を固める。彼の腕をとって身動きを封じた上で、背後より彼の首を締める。
「1……2……3……」
不気味なカウント。ガトーは足をバタつかせて必死に抵抗する。暴れれば暴れるだけ男の腕が首に食い込み、呼吸ができなくなってくる。
「4……5……」
そのカウントがどこまで数えるつもりなのか。ガトーにはわからない。6を数える前に、彼の意識は黒い闇の中に沈んでいった。
「ガトーさん、退院の準備はできましたか?」
看護師がサンダルをすりながらやってくる。ガトーに声をかけながら病室に入ってみると、見慣れない男たちがいた。黒づくめの、至極怪しい連中だ。
「だ、誰ですか。あなたたち」
「これはこれは、看護師さん。驚かせてしまって申し訳ない」
その中に老人の姿を見つけた。好々爺らしい柔和な笑みを浮かべながら、帽子を傾けて頭を下げる。
「私たちはガトー大将殿の部下でしてな。今日は退院だと言うことでお迎えに上がったのです」
「は、はぁ。そうでしたか」
「我々も驚かせるつもりはなかったのですが、こんな見てくれのものたちばかりですから。さぞ驚きになったことでしょう」
男たちも各々で会釈をしては、下手くそな笑みをその顔に浮かべた。看護婦は苦笑いをしながら、老人の方を見る。
「でも妙ですね。ガトーさんはお迎えを呼んでいなかったと思ったんですが」
「ええ。本来ならお一人でご帰宅となるはずなんですが、ご家族の方から頼まれましてね。病み上がりの主人をどうか見てやってくれとね。私も心配はいらないと言ったのですが、念には念をと言うことでして」
「そうでしたか」
老人の背後には車椅子に乗ったガトーがいる。彼女は老人の横を通ると、ガトーの前にしゃがんだ。
「ご家族をあまり心配させないように。元気になったからと言って、無理は禁物ですからね」
返答はなかった。彼は目を閉じて俯いたまま、動かなかった。
「お疲れだった様子で、眠ってしまわれたのです。あまり刺激はなさらないでくださいね。ガトー大将は寝起きはいつも不機嫌ですから」
「そうでしたか……不機嫌なのは私も知ってます。毎日見てましたから」
看護師は肩をすくめながら、何気なくガトーを手をつかんだ。違和感を感じるまでに数秒とかからない。ガトーの腕はやけに冷たく、人の体温を感じなかった。
「それでは、私たちはこれで失礼します」
老人は男たちに目配せをする。一人は車椅子を押し、他の男たちは前後左右を固める。靴音が連なって病室を出た後、老人と看護師だけが残された。
「それではお嬢さん、これで」
「待ってください」
看護師は老人の手をつかむ。ガトーの身に起きた異変。それを老人に確かめるために。だが看護師が口を開く前に、老人の口が動いた。
「お嬢さん。世の中には知らない方がいいことも、喋らない方がいいこともあるのですよ」
ぞわり。看護師の背筋に悪寒が走る。
老人はにこりと微笑んで、するりと看護師の手から腕を解く。
「お仕事頑張ってくださいませ。貴女たちの仕事は、この国のためになるものです。くれぐれも自分から危険な道へ踏み出さぬように。世の中には女子供とて容赦をしない者が大勢いますからね。常に背後を気にしなければならないのは、実に生きづらいものですから」
柔和な笑みを浮かべたまま。けれどその目に冷酷な殺意を浮かべている。老人は軽く会釈をすると看護師を残して部屋を出た。看護師は動けないまま、老人を見送るばかりだった。
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