第50話
何度目かの爆音。悲鳴。雄叫び。人間と人間が織りなす戦闘。その中に発生する色と光。それはすべてフィクションだと思っていた。もしくは遠い世界の出来事だと思っていた。だが、現実にそれはほんの数メートル先で起きている。何人もの人間が倒れ、殺され、殺しあう。血みどろという言葉では足りない、狂気の世界が目の前にあった。
陽一は英子を抱きしめていた。恭子は赤子を抱きしめていた。家族の命を考え、障子の隙間から外を覗く。戦っているのは
夢であってくれと思わずにはいられない。こんなことが、あってはならない。人間と人間が戦うべきではないのだから。陽一は思う。そしてすぐに訂正した。もう一方は人間ではない。化け物とも呼ぶべきものたちだ。
だが、それでも戦うべきではないと思う。彼らにも守るべき物があり、愛する人間がいるのだ。あの狂乱の中に飛び込んで、それを伝えることができたら、どんなに素晴らしいだろう。戦争を止めた英雄。平和の使者としてもしかしたら、称えられるかもしれない。
だが、陽一にも分かっていた。それがただの希望であることを。現実に起こることのない幻想の展開だということを。ここを飛び出していったとしても、むざむざと殺されるだけ。帰ってジャンやレイモンドの邪魔になってしまうことを。
だから、陽一たちは動かなかった。動けなかった。勇者とレイの戦闘以上に、彼らは恐怖の前になす術がなかった。
畔が崩され、稲が踏みおられ、ビニールハウスが破壊され、生垣と石垣が崩壊させられ。佐々木家や周囲の家々の作物が、暴虐の前に汚されて行く。不思議と悔しさはなかった。恐怖によって悔しさが塗りつぶされていたからかもしれない。
「玲ちゃんは、大丈夫かしら……」
声を震わせながら、英子は陽一を見上げた。
「大丈夫だ。きっと、大丈夫だ」
嘘だった。そんなこと陽一にだってわからない。だが、こんな状況で余計に不安を煽る必要はない。陽一は下手な作り笑いを浮かべ、英子を見た。
英子はわずかに頬を緩めたが、それっきり何も聞かなかった。陽一の嘘はとっくに暴かれていたに違いない。しかし言葉にすると現実になりそうで、彼女も口に出す勇気は出なかった。
また悲鳴が聞こえてきた。大きな爆発音。坂道の途中で炎の塊が破裂する。吹き飛ばされた肉片が、境内に転がってきた。人間のどこかを形成していた、赤い肉。陽一は息を飲み、英子は顔を青ざめさせる。
自分もジャンの暗示を受けておけばよかった。周りにいる住人のように、意識のない人形のようになりたかった。なまじ意識がある物だから、恐ろしい思いをしなければならないんだ。
陽一はジャンを恨んだ。そんなことに気づかなかった自分を恨んだ。そして祈った。この戦闘が早く決着がつくようにと。どうか、レイモンドとジャンとレイが無事でいてくれることを。ただ祈り続けた。
夜が深まるにつれて兵士の量が増えていく。終わりの見えない戦闘。止まることのない増援。レイモンドの体力は次第に落ちていく。疲労が全身に溜まり、息が乱れる。兵士が銃を構えた。吐き出される弾丸をかわす。
背後で聞こえてくる爆発音。衝撃が彼の背中を押し、態勢を崩す。そこを狙う兵士が五人。一斉射撃による止めを刺そうと、指を引き金にかける。だが、そこへ漂う血の霧。兵士たちはもがき苦しみ、血を引き出した。
「ぼうっとするなよ」
ジャンの声が聞こえる。本体の姿は見えない。彼の声は霧に運ばれてきているのだ。
「もっと霧を散布させろ。これだと俺の負担ばかりが増えるだけだ」
「やってはいるさ。だが、連中の物量に霧が追い付かん」
「その時間は稼いでやってるだろうが」
兵士の横腹に蹴りを放つ。鎧がひしゃげ足が浮かぶ。兵士の体は横あいに吹っ飛び、兵士の集団をなぎ倒す。
「お見事」
「褒めるのはいいから、さっさと連中を霧で飲み込め。少しは俺を楽させろ」
「楽をしたら、お前の家族が危険に晒されるぞ」
「……嫌なことを言うんじゃない」
「だったら、しっかり暴れてくれ。必要とあれば、お前に私の血をやってグールにでもしてやるさ」
「そいつはごめんだな」
それっきりジャンの声は聞こえなくなった。霧が移動し、新たに兵士を飲み込む。
風を切る音。レイモンドは横っ飛びにその場を退く。彼が立っていた場所に、数発の弾丸が通り過ぎていく。
「……全く、忙しい」
額に浮かんだ汗を拭う。息を整え、敵兵めがけて走る、走る。
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