第40話

 転移門を抜けるとそこには魔術師が一人いた。


「勇者殿……」


 魔術師は力なく笑った。勇者はすぐに異変に気づく。魔術師の右腕が切り落とされ、断面からとめどなく血が流れ出していた。


「お前、その腕は……」


「私のことはいいのです。それより、あなた様にお伝えしなければならないことがあります」


 血の気の失せた顔に脂汗が浮かんでいる。


「それより、お前の傷を癒す方が先決だろうが」


「いいえ、その必要はありません。どのみち私は、そう長くは持ちませぬ。転移門の維持に魔力のほとんどを使いましたゆえ、治癒魔法を唱える余力は残っておりませんで」


「そんなこと……」


「勇者殿のご心配、痛み入ります。しかし、私を心配してくださいますのならば、どうか私の話を聞いてくださいませ」


 勇者は何も言えなかった。魔術師の覚悟。死際の気迫に押され、ただ息を飲むばかり。そんな勇者を見て、魔術師はそっと頬を緩める。そして息を一つ吐くと静かに話始めた。


「まもなく、ガトー大将の指揮のもと、ガラニア公国軍が異世界への進行を開始いたします」


「なんだと……?」


「これは陛下に許可を得た、正式なる進攻であります。勇者様にはどうかあちら側の世界を、守っていただきたい」


「なぜもっと早くに言わなかった」


「申し訳ありません。こちらも色々と方法を試しておりましたが、監視の目が強く今の今までご報告が遅れてしまいました。ですが、間に合ってよかった」


 魔術師の体がぐらりと傾く。勇者はさせようと手を伸ばすが、魔術師はそれを振り払う。


「私のためになど思わなくて結構。ですが、あちらの世界にいるあのご夫婦や、あの世界の人々を、どうか守ってあげてくださいませ。貴方様ならば、それができましょう。何せ、魔王を退けたほどのお方なのですから」


 魔術師は笑った。力がもう入らないのか、その笑みはひどく弱々しい。


「あの方達の平和を、どうか、どうか、守ってやって……」


 魔術師の言葉は途中で途切れた。それは彼の意思が途切れたからではない。魔術師の肩を、一本の弓矢が突き刺したからだ。魔術師は短い呻き声を上げ、地面に倒れ伏せる。


「おい、しっかりしろ」


 勇者は魔術師を抱き上げ、あたりを見渡した。異世界は昼であったが、こちらの世界は夜も暮れている。月もない夜の闇。この闇に乗じて、何者かが攻撃を仕掛けている。


「お、お逃げ、くださいませ」


 魔術師が勇者の腕を掴む。


「お前を置いてなどいけるか」


「こんな死に損ないの老いぼれを連れて行って、何になります。貴方を送り届けるまで、この転移門を維持しておきましょう。それが、私の最後の務めです」


 風切音が聞こえた。魔術師は再び呻く。今度は二本の矢が立て続けに、魔術師の背中をいぬく。


「お行きなさい。今、すぐに……!」


「……すまない」


 勇者は木の幹に魔術師をもたれかけると、急いで転移門へと入る。

 風切音が背後から聞こえてくる。勇者の顔の横をとって、いくつもの矢が転移門の闇に消えていく。


 急がねばならない。魔術師のためにも、早く戻らなければ。


 駆け足で闇の中を進み、光の中に出る。

 戻ってきた。日本に。見慣れた坂道に。

 勇者は背後を振り返る。坂道の先には、ただ見慣れた景色が見えるだけだった。

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