第39話

 兵士は傷を負っていた。背中には矢が刺さり、体のあちこちに切り傷がついている。勇者はすぐに兵士を佐々木家に運び込むと、治療にかかる。鎧を剥がし下着を脱がす。傷は深く赤い血と肉が捲れ上がっている。


 重傷の箇所を優先して魔法で塞いでいく。

 兵士はうめき「勇者殿……」と夢の中で呼び続けている。


「俺はここにいる。しっかりしろ」


 勇者は兵士の手をしっかりと握りしめる。兵士は握り返してくるが、その力はひどく弱々しい。勇者のそばで陽一と英子が心配そうに兵士を見つめている。この状況で幾分平静を保っているのはレイぐらいものだった。


「あっちで何かあったみたいね」


 勇者にわかる言葉でレイは言う。


「そんなことはわかってるさ」


 背中の治癒が終わり、切り傷の治療に入る。

 主に体の正面。太ものから腹部、胸部に至るまで大小合わせて十数カ所の傷がついていた。勇者は血をタオルで拭き取り、治癒を施す。


「お前も見ていないで、手伝ってみたらどうだ」


「手伝う? どうして?」


「……俺が聞いたのが間違いだった」


 もとより勇者とレイは敵同士。一年ちょっとの間を共に暮らしてしまったから、その点をうっかり失念していた。


 勇者は自分の浅はかさを悔いながら、佐々木夫妻に目を向けた。


「すみませんが、新しいタオルとオケをもらえますか」


「え、ええ。ちょっと待ってて」


 英子は慌てて家の中に入っていく。数分もしないうちに、彼女は水の張ったオケとタオルを持って戻ってきた。


「ありがとうございます。助かります」


 血に濡れたタオルを脇にどかし、新しいタオルを水につける。濡れたタオルで兵士の汗を拭っていく。


「頼むから、死んでくれるなよ」


 勇者はそう願いながら、賢明に処置を続けた。


 およそ一時間。兵士の傷は一通り治療をし終え、勇者は一つ息を吐いた。

 だが、予断を許さない状況に変わりない。兵士は意識を失ったまま、まだ目を開いてはくれなかった。


「どうするの?」


 レイが尋ねる。


「どう、とは?」


「これからのことよ。何があったか、確かめたくはないの?」


「それもそうだが……」


「言っておくけど、魔族の仕業ではないわよ。私たちだったら生かしたまま逃すなんてことはしないし、たとえ逃したとしても、どこまで追いかけてやるから」


 魔族の執拗さと残虐さは勇者もよく知っている。もしも魔族に襲われたのだとしたら、この程度の傷ではすまなかったはずだ。


「魔族の仕業でないとすると……あっちで新たに戦争が起こったのかもね」


「戦争だと?」


「ええ。魔族がいなくても、立場の違う国があれば戦争は起こるでしょう? まさか、人間は誰でも仲良しこよしなんて幻想を抱いているわけじゃないでしょ」


「それは……」


 勇者は言葉が詰まる。


「行ってきたら? 転移門はまだ塞がれていないみたいだし」


「行ってくるって。あちらの世界にか?」


 勇者は振り返り、レイを見た。


「他にどこがあるのよ?」


 レイは肩を竦めながら、呆れるような口調で言った。


「だが、兵士の面倒は誰が見るのだ」


「エーコさんとヨーイチさんがやってくれるわ。さっき話をつけてきた。だから、安心して行ってきなさいよ」


「しかし……」


「うだうだしてたって、わかるものもわからないでしょうが。こっちから転移門を開くことはできないんだから、今を逃したらもう二度と来れないかもしれないわよ。それぐらいアンタにもわかるでしょ?」


 もっともな話である。


 偶然か何者かの思惑があるのか。いまだ転移門は開いたままだ。


 こちらには転移門を開ける魔術師がいないため、これを逃せば傷の謎を解く機会は失われてしまうかもしれない。


「……こいつには何もするんじゃないぞ」


「わかったから、さっさと行ってきなさい。それともケツを蹴り上げて、無理やり外に出してあげましょうか?」


「いらん世話だ」


 勇者は立ち上がり鎧に着替える。剣を腰に差し、縁側から外に出る。


「陽一さんと英子さんに、よろしく言っておいてくれ」


「わかったから、ほら行った行った」


 レイは面倒臭そうに、シッシッと手を振る。


 勇者は少し頬を歪めると、転移門へと駆け出した。

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