第35話

 その日の夜。

 陽一が買ってきた惣菜と、英子が漬けた大根の漬物と、野菜溜めとで夕食となった。


 座敷に料理を運び、座卓に料理を並べていく。炊飯器としゃもじを陽一が持ち。盆に載せた茶碗を英子と、タンコブを作ったレイが運ぶ。


 ビールに赤ワイン、麦茶、オレンジジュース。人数分のコップに各々注いでいく。

 玄米入りの白米を茶碗に盛り、さて夕食とあいなる。


 一つ、二つと皿が空き、夜が更けていくと同時に、腹も膨れていく。夕食が終わり、あとは酒飲み達が、残り物を肴に酒を酌み交わす。


 新たに漬物をいくつか用意して、空いた皿を恭子と英子が次々に運んでいく。その間。赤ん坊の面倒をレイモンドとレイが見ていた。

 

 昼間とは打って変わって、涼しげな風が吹いていた。

 風に乗って薫ってくるのは、土と、ほんの少しの水の香り。鈴虫が夜の闇の中で、鳴いている。


「陛下、風呂の支度ができましたよ」


 レイが振り向いてみると、赤ら顔のジャンが、ワインを片手に彼女を見ていた。


「陽一さんは、先に入らないの?」


「それより、陛下と勇者殿を先に入れたいそうです。その、なかなかに臭うそうで」


 そう言われて、レイは服の匂いを嗅いでみる。汗と土で、なんだか酸っぱい匂いがした。


「……最初に入らせてもらうと、伝えて」


「わかりました」


 ジャンはワインを掲げ、すぐに陽一の元へ向かった。


 レイはすぐに立ち上がって、風呂場へと向かう。

 座敷から廊下を進み、キッチンを抜ける。突き当たりの引き戸を開ける。


 そこは脱衣所。着替えとタオルの入ったタンス。洗濯機。洗面台。部屋の奥には、透きガラスの引き戸がある。その奥にあるのは、風呂場だ。


 レイはタンスからタオルと着替えを取ると、洗濯機の上に一度置いて、汚れた衣服を脱ぐ。それを洗濯カゴに一緒に投げ込み、風呂場に入る。


 浴槽いっぱいに溜まったお湯。それが黙々と煙を出して、中はすでに蒸気でいっぱいだ。レイはシャワーヘッドを掴むと、ノブを回してお湯を出す。


「……うっ」


 しかし、出てきたのは冷水。

 温まるまでに少し時間がかかるのを、うっかり忘れていた。慌ててシャワーヘッドを床に向ける。


 足元が冷たいが、じわりじわりと温まってくる。

 適温になったのを確認すると、髪を洗い、体を洗う。


 土とホコリと、こびりついた汗の匂いをしっかり洗い落とす。

 心も体もさっぱりさせると、暑い湯船に腰を下ろす。


「ふぅ……」


 ため息が思わず口から出た。そこの深い湯船に、レイは肩までずっとつかる。

 浴槽のヘリに頭を預け、息をはく。

 体の力が抜け、足先から頭までじんわりと熱が上ってくる。


 うつらうつら。

 心地のいい暖かさと、疲れとが相まって、次第にレイに眠気が襲ってくる。

 そんな時、ふと窓を何かが叩いた。

 窓は、浴槽の左上にある。レイは何気なく窓を開けて、身を乗り出す。


「よぉ」


 そこには勇者がいた。銀色の鎧を着て、腰には剣を指している。


「なに?」


「これから兵士に会ってくる。佐々木さんたちには知らせていたが、一応、お前にも教えておこうと思ってな」


「そう。律儀なことね」


 窓の枠に腕を乗せて、レイはつまらなそうに言う。


「ようは、それだけ?」


「ああ……そうだな」


 やけに歯切れが悪い。訝しげに勇者を見ると、勇者はレイを見た。


「お前は、私への恨みを忘れることはできるか?」


「……はぁ?」


「いや……なんでもない。聞いた俺がバカだった。忘れてくれ」


 勇者は首を振って、レイに背中を向ける。


「できないわよ、そんなの」


 そんな勇者の背中に向かって、レイが言う。


「何があったか知らないけど、私たちの因縁は、そんな簡単に忘れるものでもないでしょ? そんな浅い恨みだったら、アンタも私も、こんなバカを続けている訳ないわ。お互い、会うこともなく、別々の生活を送っていたわよ」


 勇者は、何も言わなかった。ただ、闇を見つめたまま、レイに背中を向けていた。


「もしかすれば、私とアンタが仲良くやっていたかもしれない。でも、それは所詮は可能性だし、現実になってもいない。私とアンタは、どっちかが死ぬまで戦う運命なの。ま、今なこんなごっこ遊びで満足するしかないけどね」


「お前は、それでいいと思うか? その時間を、失ったもののために使おうとは、思わないか」


「失った人たちのために、私たちは戦ってるのよ。私たちから戦いをとってしまったら、残るのは腑抜けた男と女だけ。彼らの鎮魂と私たちの戦闘は、一緒なの。少なくとも、私はそう思っているわ」


 夜風で冷えてきた。ぶるりと体を震わせて、レイは窓に手をかける。


「どうしたのかは知らないけど、死にたくなったらいつでも言って。ここまで付き合ったお礼に、苦しむことなく殺してあげるから」


「……これまで一度として勝てたことがないのに。よく言うな」


「……たまたまよ。次は勝ってみせるから。よく覚えておきなさい」


 レイは窓をしめた。

 勇者はちらとレイの消えた窓を見つめると、ふっと頬を緩めた。

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