第32話

「やってますね」


 車庫の崩落を目の当たりにしていると、ジャンが突然とやってきた。


「あら、神宮寺さん。それとも、ジャンさんと呼んだ方がいいかしら?」


「神宮寺で結構ですよ。これまで通りね」


 ジャンははにかむと、英子の横に腰を下ろした。


 勇者との会談以来、レイたちは魔族としての本名を、種族共々、佐々木夫妻に明かしてある。

 英子と陽一は驚きはしたものの、会議に参加したこともあって、すぐに受け入れることができた。


「何か飲む? ああ、血を吸いたいなんて言わないでよ。私、貧血で何度も倒れているんだから」


「そんなことは言いませんよ」


 苦笑をしながら、ジャンはふとレイと勇者を見る。


「相変わらずですか。あの二人は」


「ええ。飽きもせずに暴れまわってるわ。もっとも、熱心なのは玲ちゃんの方だけどね」


「と、言いますと?」


「勇者君の方は、なんだか辟易しているみたいなのよ。深い恨みを相変わらず持っているようだけれど、なんだかそれだけじゃ、戦う気にならなくなってきたみたいで」


「……興味深い話ですね」


「あんまり信用しないでね。ただの勘だからさ」


「英子さんの勘は信用に値しますよ」


「そう? ……新しいコップ、持ってくるわね」


 英子は立ち上がって、キッチンの方へ向かっていく。そして、ガラス製のコップを持って戻ってきた。


「ありがとうございます」 


 ジャンはコップを受け取ると、ビッチャーの麦茶を注ぎ入れる。


「ところで、近所の人たちになんて説明したの?」


「説明?」


「ほら、これだけ暴れまわっても近所の人たちが騒がないから。あなたが何かしたんじゃないかって」


「ああ。それですか」


 コップを縁側に置くと、ジャンが英子を見る。

 すると、ちょうど裏山から木が折れる音がした。気づけば、勇者とレイの戦闘は裏山に移ったらしい。


「ちょうど一年前くらいですか。勇者との会談の後、夜のうちに、各々の家にお邪魔させていただきましてね。ちょっとばかり暗示をかけさせてもらったのです」


「暗示?」


「あの騒ぎは魔王によるもの。それはこれまでにもあったことだし、大して気に止めることではない。狩猟シーズンの発砲音と同じ、特に意識することではない。とね」


「で、無事にかかったの?」


「ええ。今のところは、新たに転入した方々がいれば、新たに暗示をかける他にありませんが」


 はにかみながら、ジャンは麦茶を口に含む。


「……本当に便利よね。吸血鬼の暗示って。私も、そんな風に人を操ってみたいわ」


「吸血鬼になれば、誰でもできますよ。吸血鬼にしてあげましょうか?」


「……それって、血を吸われなくちゃならないんでしょ?」


「ええ。まあ」


「だったら遠慮しておくわ。吸血鬼に興味はないし、痛い思いをするのはごめんだしね」


「それは残念です」


 ジャンは笑いながら、肩を竦めた。


「実は英子さんにも、暗示を何度かかけたことがありますよ」


「えっ? いつよ」


「言っても覚えていないと思います。私の暗示は、そういうものですから」


 ジャンはそう言って、頬を緩めた。英子は不審げに首を傾けた。

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