第29話

 警察との問答には、それほど時間は掛からなかった。

 吸血鬼の本懐は魅了する能力にある。

 相手の思考の奥深くへと忍び込み、言葉と念力を持って、思考を操る。


 映画の撮影を行なっていた。近隣住民に連絡をし忘れていたが、万事問題ない。

 

 二人の警官にそう言いつつ、彼らの脳内に言霊を刻み込む。

 惚けた様子で警官は聞いていたが、やがて踵を返して、彼らは家を後にした。


 警察がパトカーに乗って立ち去るのを、英子と陽一とともに、ジャンは見送った。


「面倒なことになりましたね」


 佐々木夫妻は胸を撫で下ろしていたが、ジャンの不安はまだ取り除けていなかった。


「近所の方々に奇異の目で見られるだけならまだいいのですが、興味本位で訪ねてこられることがありえますね。……早急に対応しなければ、色々と面倒です」


「まさか、乱暴なことはなさらないでしょうね」


 英子が心配そうに、ジャンの顔をのぞく。


「乱暴なことはしませんよ。ただ、ちょっとだけ記憶をかいざんさせてもらうだけでね」


 良からぬ予感を感じた英子だが、それを言葉にしようとは思わなかった。

 もしも本当に記憶を変えてくれるのなら、それに越したことはないと考えたためだ。


「それは夜に行うことにして……早くあそこに戻りましょう。あの二人がまた戦い出さないとも、限りませんからね」


 ジャンがため息をつきながら、家の中に入っていく。

 陽一と英子は互いに顔を見つめて、彼の後を追った。


 座敷に戻ってみると、レイと勇者は座卓を挟んで向かい合ったままだった。

 

 張り詰めた空気が、座敷に漂っている。


「……お話しがあります」


 三人が戻ってきたことに気がつくと、レイが静かに口を開く。


「何か、決まったことでもあるのですか?」


 ジャンが膝を下ろすと、レイの顔を横目に見る。


「ああ。話し合った結果。兵士達に国への報告を任せて、勇者はこの世界に残ることになった」


「……理由をお尋ねしても、よろしいですか?」


 勇者の言葉を翻訳した後、ジャンは勇者を見た。


「簡単な話だ。お前たち魔族が、この世界の人間に悪事を働かないか、その監視をさせてもらう。そのついでに、魔王との戦闘もさせてもらう」


 ジャンがすぐさま翻訳すると、佐々木夫妻の表情には不安が浮かんだ。


「殺し合いを、するんですか?」


 英子は心中穏やかではなかった。それは、陽一も同じだった。


「そうしたいところですが、この世界では平和が重んじられているものと理解しています。もしも私たちが争い、あなた方の平和を乱すことにつながることになれば、多大な迷惑をかけてしまう。それは、私の望むところではありません」


「では、いかがするのです」


 ジャンは勇者の顔を覗き見る。


「これは、そこの魔王と話し合った結果だが、模造刀を使って戦うことにした」


「模造刀……刃を潰した剣ですか」


「訓練で使うようなおもちゃだが、斬られて死ぬようなことはない。魔王には魔法があるが、それでも簡単には死なないように、威力を調節する事を約束させた」


 ジャンはレイの顔を見る。彼女は不服そうにうなずいた。


「戦闘は一日に一度だけ。昼間に行うことにする。どちらか一方が昏倒した場合に、戦闘は終了する。その間、どれだけ怪我をしようと戦闘は続けられる。お互いに殺せはしないが、徹底的に痛めつけることができる。これも一つの復讐である、と俺たちは合意に至った」


「戦闘は、極力お二人がなさるのですね?」


 ジャンの問いかけに、勇者はうなずいた。


「ジャンとレオナルドは、見ているだけでいい。これは、私とこいつの問題だから」


「……陛下がお望みであれば、私どもは口出しをしませんとも」


 胸に手を当てて、ジャンは恭しく頭を下げた。


「先に行っておかなければならないのは、佐々木様には多大なご迷惑をおかけしてしまうということです」


 勇者が英子と陽一に顔を向ける。


「戦闘は、佐々木様の家の近くで行いたいと思います。壊したものは全て私と魔王が責任を持って修理させていただきます。もちろん、お二人に万が一のことがないよう、最大限の注意を払うこともお約束いただきます。ですから、どうかその点をご理解いただきたい。いかがでしょうか」


「それは、まぁ……」


 陽一は英子の顔を見る。英子は首を傾げる。

 判断に困っているのは、何も陽一だけではなかった。陽一はため息をついて、勇者の顔を見た。


「わかりました。元はと言えば、私たちがお願いした結果に考えてくださったんでしょうから。その点は受け入れますよ。私たちの庭と、裏山をお使いくださいませ」


「ありがとうございます」


 勇者は頭を下げた。


「……エイコ、ヨウイチ」


 レイは英子と陽一に体を向ける。


「コレカラ、サワガシクナル。モノ、タクサン、コワス。タブン。ゴメンナサイ、サキ、イッテオク」


「まあ。きれいに治してくれるんだったらいいさ。なあ、英子」


「……ええ。そうね」


 英子は少し戸惑っていたようだったが、腹は座ったのか、力強くうなずいた。

 レイは微笑み、「アリガトウ」と言った。


 勇者と魔王の暴れようは、予想を遥かに超えたものになるのだが、それが解ったのは、もう少し後にことになる。

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