第23話

 勇者が来る可能性。それはゼロではない。だが、それはもっと先のことだと思っていた。当面の間は、戦も忘れやかな時の中で過ごすものだと考えていた。今にして思えば、安直に考えすぎていたのかもしれない。


 けれど、それはレイだけに言えたことではない。

 レイモンドも、ジャンも同じように考えていた。

 ジャンにしてみれば、100年近く平和に暮らせていたのだから、その思いは二人よりも強かったに違いない。


 しかし、脅威は思ったよりも早くやってきた。突然と、予兆もなく。


 一体どうやってこの座標を知り得たのか。それはレイにもわからなかった。ただ一つ言えるとすれば、忘れかけていた復讐心が、再び目を醒したということだ。


「こんなところにいたとはな」


 勇者が言う。聞きたくもない声だ。嫌悪と苛立ちが募る。


「次元数値を探るのに少し手間取ったが、ようやく探し当てたぞ」


「わざわざ、私を追いかけてきたの」


「ああ。お前は世界に害悪しかもたらさないからな」


 勇者の背後には、数十人の兵士と数人の魔術師が控えている。いつでも勇者の援護ができるように、剣と杖を構えている。


「玲ちゃん。誰だい、その人は」


 聞き慣れた声。この場にいてほしくない声が、彼女の背後から聞こえた。

 振り返るまでもない、陽一だ。レイが急に飛び出して行ったものだから、心配して見にきてくれたのだ。


「誰だ、あの男は」


 しかし、勇者にとって陽一の親切心などわかるはずもない。


「あの人は、関係ない。気にしないで」


「お前の仲間か?」


「関係ないって言っているでしょう」


 レイは平然を装いながら、必死に考えた。いかにして戦うかを。そして、陽一をどうやってこの場から下がらせるかを。


「……何か、あったのか?」


 ただならぬ空気を感じ、陽一は少なからず萎縮をした。しかし、それでも引き返さなかったのは、ただレイとレイモンドが心配だったからだ。


「ナンデモナイ、サキ、カエッテ」


「なんでもないようには、見えないが」


「イイ、カエッテ」


「だが……」


 強い口調で言ってはみるが、陽一の足は動かない。


「どうやらその男は、お前に近しい者のようだな」


 だが、勇者は陽一を逃すことを許さなかった。魔術師に攻撃を命じ、杖を陽一に向ける。


「レイモンド……!」


 レイは語調を強くさせる。レイモンドはすぐさま陽一の体を抱きしめた。その直後、レイモンドの背後に火炎の球体が出現する。小さな太陽のようなそれは、瞬く間に膨張を始める。拳大の大きさになると、より一層眩く輝きだす。そして一拍の間をおいて、爆発した。


 衝撃が空気を震わせ、轟音が辺りに轟く。陽一とレイモンドは吹き飛ばされ、外壁に激突。レイモンドは軽い火傷を負ったが、大事には至っていない。問題は、陽一である。後頭部から血が流れ、意識がなかった。


 陽一の容体が気に掛かる。だが、彼に近寄ることを勇者は許さなかった。

 横なぎに振るわれる、鋼の剣。その一撃はレイの首を狙っていた。

 レイは背後に退き、一撃をかわす。剣の切っ先がレイの首をかすめ、小さな傷を作った。


「動きが鈍いな」


「……気のせいよ」


 二撃、三撃。勇者の剣がレイに襲い掛かる。ジャージが切り裂かれ、レイの体にかすり傷が増えていく。だが、致命的な一撃はことごとくかわす。


「どうした。なぜ魔王の姿に変わらん。貴様はその程度の実力ではないだろう」


 勇者は言う。

 黒い鎧に身を包んだ、悪しき魔王の姿。その姿になった時こそ、レイの実力が発揮される。


「うるさい……」


 口では強がるが、レイは迷っていた。ここが魔王の城であったら、迷いなく変身を選ぶだろう。だが、陽一の前でその姿を晒してもいいものか。この世界で、自分の恐ろしい姿を見せてもいいのだろうか。レイは、迷っていた。


「陽一さん……!」


 聞きたくない声が、聞こえた。

 はっとして、レイは背後を振り向いた。

 英子が立っていた。倒れる陽一を見て、血の気が引いている。


 レイモンドが彼女を宥めようと、声をかけている。だが、彼が喋り終わるのを待たずに、魔術師によって吹き飛ばされた。


「あの女も、お前の仲間か?」


 勇者の興味が英子に向いた。止めようと思ったが、勇者はすでに英子の眼前に迫っている。


 剣が振り上げられる。その瞬間、彼女の頭から迷いが消えた。腹の奥から魔力を練り上げ、その身に鎧を身にまとう。勇者の放った一閃を、レイの剣が受け止めた。


「玲……ちゃん……」


 戸惑いの声が、背後から聞こえてくる。


「アトデ、ハナス」


 今は説明できない。目で伝えながら、レイは勇者に立ち向かった。

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