第22話

 佐々木英子は、レイの動揺の理由はわからなかった。

 何かあったのか。そう尋ねる前に、レイは弾かれたように玄関へ走っていってしまう。


 遠ざかっていく背中。彼女と入れ違いに、陽一が家に帰ってきた。


「何かあったのか?」


 陽一は呑気に言う。


「ええ。そうみたいだけど……」


 床に散らばった茶碗のかけら。それを拾いながら、英子はふといい知れない不安を感じた。


「……ねえ、ちょっと様子を見てきてくれない?」


「様子って、玲ちゃんのか?」


「ええ。江口さんが一緒だから、大丈夫だとは思うんだけど。ちょっと、不安なのよ」


「不安? 何が不安なんだ」


「何がって、別に何があるわけじゃないんだけど……」


 不安の原因。それを英子は言葉にすることができない。表すとすれば、ただ何となく不安を覚えたに過ぎない。


 いつもと違う英子の態度に、陽一は首を傾げた。


「疲れているだけじゃないのか? 最近忙しかったから」


「そうじゃないのよ、そうじゃ……」


 英子は顔をしかめ、俯く。

 陽一はため息をつきながら、脱ぎかけた長口をそっと履き直した。


「わかった。少し様子を見てくる」


「ありがとう、お願いね」


 陽一はひらひらと手を振って、家を出た。


 その数分後である。突如として爆発音が響き渡った。


 英子はビクリと体を緊張させる。慌ただしく外に出てみると、黒々とした煙が空に向かって伸びていた。


「英子さん……」


 恭子は呆然と立ち尽くし、黒煙を見つめていた。


 何があったか。

 それを確かめるまもなく、再び爆発音が聞こえてきた。


 轟音が大気を揺らし、衝撃は窓ガラスを割り、英子の体勢を崩した。

 強かに尻餅をつく。痛む腰をさすりながら、動揺でごちゃごちゃになった頭をどうにか動かす。


「玲ちゃん……陽一さん……」


 真っ先に思いついたのは、二人の安否である。


「恭子ちゃんはここにいて」


「は、はい……」


 腰が抜けたのか、恭子は立ち上がることができないまま、弱々しい返事をする。

 だが、彼女のかまけている暇はない。英子は立ち上がり、坂を降った。


 黒々と立ち昇る煙。

 その最中に二人がいないことを祈りながら。


 だが、その希望は儚くも散ることになった。黒煙の直ぐ足元で、二人の男女が相対している。


 一人はレイ。そしてもう一人は、見たこともない男だ。

 西洋の中世の頃に見たような、鈍色の鎧。片手には剣を握りしめている。

 鬼気迫る表情を浮かべ、男はレイを見つめている。


 二人の近くにはレイモンドがいて、彼の足元には、陽一が倒れていた。


「陽一さん……!」


 英子の悲痛な声が、彼らの関心をそらした。


「英子さん、こないでください」


 レイモンドは江口として、英子に呼びかける。


「陽一さんは気絶しているだけです。命に別状はありません」


「でも……一体、何が……」


「それは後で説明いたします。ですが、今は安全なところへ避難を……」


 英子をなだめようと、レイモンドは努めて冷静に諭そうとする。

 しかし、彼の言葉が終わるのを待たずに、レイモンドは吹き飛ばされた。


 まるでダンプにひかれたように、レイモンドが水田の中を転がっていく。

 

 気づけば、レイと相対していた男が、英子の前に立っていた。剣から滴る血が、赤々とした血溜まりを、道路に作っている。


 英子は動けなかった。これまで感じた事のない恐怖に、足がすくんでいた。

 男は首を傾げると、剣を振り上げた。


 血の気が引いた。殺される。そう直感した。


 だが、そうはならなかった。

 男と英子の間に、黒い影が入り込む。そして、男の剣を防いで見せたのだ。


 英子は腰を抜かした。恐る恐る顔をあげると、レイが立っていた。黒々とした鎧を身に纏い、どこから取り出したのか、その手には剣を握っている。


「玲……ちゃん……?」


 英子の声は震えていた。レイはちらりと英子を見た。

 その目は、どこか悲しげだった。

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