第19話
佐々木家に居候してから、一ヶ月と少しが経った。
「ごめんください」
聴き覚えのある声が玄関から聞こえてきた。
「玲ちゃん、悪いんだけど出迎えてあげて。きっと江口さんだから」
キッチンから英子が言う。
返事を返さないまま、レイは座敷から玄関へと向かう。
やはり、レイモンドだった。
意外なことに、彼は一人ではなかった。
レイモンドの背後に、赤ん坊を抱えた女が立っている。年の頃で言えば、二十後半から三十代前半くらい。
薄い緑色のワンピース。青いジーンズを履いている。染色した茶色の髪。美人ではないが、整った顔立ちをしていた。
「お久しぶりです、陛下」
レイモンドは軽く会釈をした。
「ねぇ。この子があなたの親戚の子?」
後ろの女が言う。
「ああ。そうだ」
レイモンドは言う。二つの言葉を一瞬にして使い分ける。この自然な口調の変化に、レイはいつも驚かされる。
「はじめまして。私、江口恭子、江口の妻よ。……といっても、まだ日本語がわからないんだっけ?」
「チョット、ワカル」
レイが日本語を話したことに、女は多少面食らっていた。
「なんだ。喋れるんじゃない」
「喋れないとは言っていない。ただ、少し不得意だと言っただけだ」
レイモンドが言い訳がましく言う。
「玲ちゃん、だっけ? よろしくねぇ」
恭子はレイの前に立つと、彼女の頭を撫でた。
迷惑そうにみけんにシワを寄せて、レイは恭子を見る。レイモンドは気が気でない様子で、ソワソワとしていた。
その時。赤ん坊がぐずりはじめた。
「おぉ、よしよし」
恭子は手を引っ込めて、胸に抱いた赤ん坊をあやしていく。
「……ああ、この子は輝って言うの」
レイの視線に気がついて、恭子が言葉をつけたす。
「エグチ、コドモ?」
「ええ。そう。江口の子供よ。1歳ちょっとで、ようやく歩けるかなってくらい」
赤ん坊が、レイをみた。
潤んだ瞳。頭に生えた、短い黒い髪。口に親指を加えている。
「輝、玲お姉ちゃんよ。貴方の親戚の子よ」
恭子は子供をあやしながら、輝の顔をレイに向ける。
輝は不思議そうにレイを見つめていたが、次第に顔のシワが中心に集まり始める。そして、けたたましい泣き声を玄関に響かせた。
「ごめん、先に行ってて。この子落ち着かせてくるから」
「ああ。わかった」
「じゃあね玲ちゃん、また後で」
恭子はそう言うと、そそくさと玄関を出ていった。
「……子供がいるとは、思わなかったぞ」
「すみません。報告が遅れてしまいました」
レイモンドは、気まずそうに視線を泳がせる。
「いつからだ」
「ここへきて、二月ほど経った頃です。私が世話になっていた農家の娘で、一緒に過ごしている中に、その、成り行きと言いますか……」
いつになく歯切れが悪い。言い訳めいたセリフの羅列に、レイは次第に呆れはじめていた。
「わかった。もう言わなくていい」
「いや、しかし……」
「いいと言っているだろう。もうノロケ話は聞き飽きた」
「ノロケ……」
その言葉で唖然とする、と同時に、レイモンドの顔に赤がさした。
「今日は、なんのようだ。わざわざノロケを見せつけに来たのか?」
「い、いえ。そういうわけでは」
気を取り直し、レイモンドは真剣な表情をする。が、先ほどのこともあって、どこか便りなさげにレイには見えた。
「今日は、陛下をお連れしたい場所があります」
「連れていく? どこに?」
「山間部にある、古い住居です。おそらく、アレン様がこちらで使っていた家かと。とにかく、ご覧になってください」
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