第7話

 陽一から手渡された麦茶を、レオナルドはレイに回す。

 茶色の液体の中に、氷が浮かんでいる。レオナルドは平気な顔で、この茶色い液体を飲み込んでいく。


「……毒は入ってませんよ」


 レオナルドが言う。それを聞いて、おそるおそるレイも口をつける。

 ほのかに香る独特な匂い。舌の上を滑る冷たい感触。その後を追うように、爽やかな風味が口の中に広がっていく。


「何だ、これは」


「麦茶という、この世界の飲み物です。暑い時期によく飲みます」


「ムギチャ……?」


 レイはもう一度、コップに入った液体を見る。


「ムギチャ……」


 液体に呼びかけるように、ポツリと呟いた。


「何だ、江口さん。この娘の言葉がわかるのか?」


 陽一は感心したように、レイモンドに話しかけた。


「ええ、まあ」


 レイモンドは言う。そして、麦茶を一口含んだ。


「そりゃあ、よかった。よかったら、ご両親の連絡先を聞き出してくれないか。きっと娘さんがいなくなって、親御さんはきっと心配しているだろうから」


「わかりました」


 レイモンドはレイを見る。


「何と言ったんだ?」


「ご家族に連絡をした方がいいのではないか? と言っています。おそらく、陛下の身を心配しているのでしょう。佐々木氏は面倒見のいいところがありますから」


「その必要はないと言ってやれ」


「はっ」


 レイオナルドは、人間の言葉で陽一に伝えた。陽一は不思議そうに首を傾けたが、それでいいならと、その話を掘り下げることはしなかった。

 空になったコップに、麦茶を継ぎ足す。ビッチャーが傾き、中の氷がガラガラと音を立てた。


「まあ、人にはいろいろあるからね。近頃じゃ子を子と思っていないような親も、珍しくはなくなっちまったから……」


「そうですね」


 レオナルドが陽一の言葉に頷いた。


「それじゃどうするんだい? 親戚のうちでも、この辺りにあるのか?」


「そのことなんですが……」


 レオナルドは、ちらとレイの方を見た。


「ここで預かってはもらえませんか?」


「えっ?」


「実は、彼女の両親とは知り合いでして。もちろん彼女のことは知っていました。しかし、その……彼女は虐待を受けておりまして。おそらくそれが苦で、家を出てきたのだと思うんです」


 真っ赤な嘘である。しかし、信じがたい事実よりも、同情をかえる嘘の方が、往々にして人間の心は動きやすい。レオナルドは脳内に培ったこの世界の記憶を、次々に結び合わせていく。


「おそらく私の家を目指して、ここまできたのだと思います。しかし、私の家にいたところで、すぐに両親には見つかってしまいます」


「だから、私のところで預かってくれと。そういうわけですか」


「そうです。私も仕事の合間に様子を見にきます。ですから、お願いできないでしょうか?」


 陽一は腕を組み、考えた。熟考とまではいかなかったが、数分間の沈黙が続いた。


「わかった。預かりましょう」


 ぱんと、陽一は自分の太腿を叩いた。


「ありがとうございます」


「そうかしこまらなくてもいいさ。部屋の方も余っているし、一人増えたくらいでどうにかなることもない」


「そう言ってくれると、助かります」


「ただ、その。言葉の問題がな……」


「その点はご心配に及びません。私がしっかりと教え込みますから」


「そいつはありがたい」


 陽一は手を差し出した。


「それじゃ、これからよろしく」


「ええ。こちらこそ」


 レオナルドは陽一の手を取り、硬く握手を交わした。


 彼らが何を話しているのか。レイにはわからなかった。ましてや自分のことをどうこうする相談をしているなど、つゆほども思いつかなかったのである。

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