第4話
雨が降る夜。名前も知らない街にレイはやってきた。
レオナルドとジャンの姿は見えなかった。別の場所に降り立ったのか。あるいは、上手く転移ができなかったのか。その詳細については、レイの知るところではなかった。
「あの。どうかしましたか?」
黄色い傘をさした二人の男女。佐々木夫妻である。二人は懐中電灯でレイを照らし、心配そうに見つめていた。
レイは戦おうとした。勇者の仲間と勘ぐった。だが体は言うことを聞かなかった。彼女が一歩を踏み出した途端、彼女の意識はプツリと途絶える。血を流しすぎたせいかもしえない。もしかすれば疲労のせいかも。色々と理由は考えられる。だが黒く染まった視界の中で考える余裕はなかった。
運ばれる感覚がある。誰に、どこに運ばれるのか。これが夢なのか現実なのかさえレイにはわからない。空中を漂いそして下される。柔らかい地面。それに、どこか懐かしい木の香りがした。
暖かい光の感触。鳥のさえずりが彼女の意識を徐々にはっきりとさせていく。霞む視界。焦点があってくると、見えたのは黒塗りの天井。太い梁が彼女を見下ろしていた。どこかの住居にいるらしい。
風が吹き抜け、彼女の前髪をそっと撫でる。首を傾ける。
開け放たれた障子戸。その先には広い縁側があり、日光が射し込んでいる。縁側に男が座っていた。黒のジャージ。肩から腕、腰から裾にかけて、布地に白いラインが入っている。
男はレイに背中を向けている。顔はわからない。何か作業をしているようだ。男の肘が頻繁に動き、削るような音が聞こえる。
ことり。何かを置いた。それは小さな刃物だった。木製の柄の先に、小さな刃がついている。彫刻刀のように見えた。
男は立ち上がって振り向いた。その手には小さな立像が握られている。表面はざらざらとしていて、まだ手入れをされていなかった。
「……ああ、気がついたようだね」
男と目があった。頬を緩ませ、レイの近くにくると膝を折る。
「びっくりしたよ。道端で急に倒れるんだから」
レイは、布団を掻き抱いた。魔王として恥ずべき行為だが、今、彼女の中では混乱の方が大きく勝っていた。
見知らぬ場所。
見知らぬ家。
見たこともない内装。
見たこともない服装。
それだけでも、十分に彼女を混乱に陥れる要因になった。そこにとどめを刺したのは、男の言葉が理解不能という事実だった。
「ああ……もしかして、言葉わからない?」
それを察したのか。男は頭をかきながら、申し訳なさそうに会釈をした。
「困ったな。ここいらで英語を使える人、いないしなぁ」
男は顔を上げて、レイを見た。
「佐々木、陽一。ササキ、ヨウイチ。わかる?」
自分を指差しながら、赤子に話しかけるように、陽一はレイに話しかける。
「ヨー、イチ……」
「そう。陽一。それが、俺の名前」
満足げに、陽一はうなずいた
佐々木陽一。当時四十六歳。英子の夫であり、この佐々木家の主人である。
ツーブロックの髪型。シワの多い色黒の顔。黒髪の中に白髪が混ざっている。黒縁のメガネをかけていて、レンズの奥から濃い茶色の瞳が彼女を見つめていた。
「突然人の家にいたんだから、驚いただろう。待っていてくれ。今、水を持ってくるから」
陽一はジェスチャーをすると、立ち上がって部屋を出て行った。レイは茫然と、陽一の影を負っていた。抱きしめていた布団を横に投げる。
この場所がどこで、あの人間たちは何者なのか。現時点では全てが不明だ。もしかすれば勇者の手先に監禁された、とも考えられる。だがそれにしても警備はざるで、敵意のかけらも見せない。
混乱はますます深まる。髪をかきむしり畳に金髪が落ちていく。
今は考えるのはよそう。それよりもまずはジャンとレオナルドの行方を探さなくては。
思考にきりをつけて、レイは立ち上がる。庭から外に飛び出し、見知らぬ世界へと足を踏み出した。
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