第30話 劫火

 躍斗は落下しているのを感じてコリジョンロックで身を守ったが、地下に空いた空間の中を落ち、流され、回転しながら上も下も分からない状態になっていた。

 目を回しながら衝撃から水に流されるような感覚に変わった事を感じ取る。

 排水溝のようなものに流れ込んだのだろうか、としばらくロックを解く事も出来ず流されるままになっていた。

 バシャッと硬い地面に投げ出され、転がって止まる。

 まだ頭の中が回っているので、そのまましばらく動けなかったが、眩暈が収まって来た所でロックを解いた。

 びちゃっ、と濡れた地面の感覚。

 ゴツゴツした石の上を薄く水が流れている。

 壁の穴からも水が流れ込んでくる音がしていた。

 周りは暗いが非常灯のようなものが僅かに影を作る程度に周囲を照らしている。

 少し目が慣れてくると、長い通路だというのが分かった。

 地下水路のようだ。

 かなり広い。随分と大きな水路だ。この先は海に繋がっているのだろうか、と帰り道を探して周囲を窺う。

 閉鎖された空間だが結構広い為、空間認識にも骨が折れそうだ。

 だが前と後ろ、どっちに行けばいいのか見当もつかない。

 骨が折れてもやるしかないな、と心を落ちつけて通路の中を空間認識するがうまくいかない。

 通路も真っ直ぐではない。少しうねっている所もあれば段差もあり、壁もデコボコ、穴もあって色々な物が流れ込んでいる。

 情報量が多すぎて何も分からない。

 だが背後から何かが近づいてくるような気がして振り向いた。

 空間認識が成功したのではない。

 本当にこっちに向かって歩いてくる者がいるようだ。

 水音が激しいが、それとは別に規則正しい音が聞こえる。

 それは足音。反響する中でも一つでない事が分かる。

 その異様なまでに規則正しく揃った足音は四つ。

 音の主は、すぐに姿を現した。

 コートと一体になったフードを深く被った細くて背の高いシルエット。

 四つの人影は幽霊のように闇から浮かび上がってきたが、地面との間にはしっかりと足が付いていた。

 四人は躍斗の姿を認めて同時に足を止める。

「少年には見覚えがあるな」

 躍斗は恐怖を感じながらも、無言で道を開ける。

 その様子を四人は全く同じ動作で見る。

「確かに我らはこの先に停留している潜水艇に向かっている。契約は終わって帰るのでね。従って道を譲られるのは自然な事だが、我々は君に興味がある」

 躍斗は逃げ出してしまいたい衝動に駆られたが、足が動かなかった。

 この空間、どこへ逃げても音が武器であるこの連中からは逃げられない。

「聞く所によると君も超常的な力を持っているそうじゃないか。前に片鱗を見たのだろうが弱すぎて分からなかった。そうと分かっていればあの時始末していたのだがね」

 ぞくり、と背筋に寒い物が走る。

「我々始末屋がなぜプロと言われるのか分かるかね? それは仕事を完遂する事もさる事ながら、常に不穏分子を始末してきたからだよ。今は弱くてもそのうち成長するかもしれない。そうなる前に芽を摘んできたからだ。それに君は今回の仕事でも生かしたまま捕獲しろという対象に入っていない。この意味が分かるかね」

「うぐ……」

 躍斗は胃液が込み上げるのを感じた。

 全身から汗が噴き出て、膝がガクガクと震える。

「そして報復をさせない為に、関係者を全て排除してきたからだ」

 え? と躍斗の動きが止まる。

「親族、恋人、およそ復讐心に駆られる可能性のある者も全て抹殺する。君一人ではない。近しい者もすぐ後を追うから安心したまえ」

 と懐から一斉に本を取り出す。

 躍斗はさっきまで震えていた膝を伸ばして歩き出し、四人の正面に立つ。

 四人は躍斗の様子が変わっている事を不審に思ったが、観念したのかと構わず攻撃態勢に移る。

「それは……、キュオも、妹も殺すって事か?」

「当たり前だろう。血を分けた者など一番先に始末するべき者だ」

 躍斗の中で黒いものが沸き上がる。

 先程まで感じていた恐怖の正体が分かった。

 レッドが言っていた事だ。

『君は力を使う事を恐れているね』

 そう。一度世界を崩壊させ、どこかでまた崩壊させるのではないかと恐れていた。

 自分の力は世界を崩壊させる。

 だがどこまでなら大丈夫なのか、どこから崩壊させてしまうのか分からなかった。

 だから無意識に力を抑制させていたのだ。

 だがキュオが死ぬ。

 そうなるくらいなら世界を崩壊させる。キュオがそんな目に遭う未来など、存在させる意味が無い。

 何度だってそうする。そこに迷いはない。

 四人は一斉に異なる音階を発した。

 音は壁に反響し、更なる共鳴を産む。

 音のプロフェッショナルである彼等にとって閉鎖空間は武器になる。

 瞬時に対象をバラバラにしてしまうほどの振動が一斉に躍斗に襲い掛かった。

 躍斗は一瞬で空間を掌握する。

 通路全体を掌握する必要はなかったのだ。

 自分達のいる空間を全て囲む枠があればいいが、さっきはその基準となるものを特定出来なかった。

 だが枠というのはどこにでもある。

 体全体を覆う枠もあれば頭だけを覆う枠もあるのだ。

 躍斗と四人を含んだ枠も存在する。

 空間というのは思った以上に多くが折り重なっているのだ。

 そして掌握した空間を捻じ曲げた。

 いつか桐谷の弾を曲げた時と同じ。体を包む空間を捻じ曲げたのと同じに、周囲全体の空間を捻じ曲げる。

 曲がった空間の中を音は直進できず互いにぶつかり合って本来の効果を失った。

 キイン! と耳をつんざくような音が躍斗を襲ったが、それは相手も同じ。

「おおう!?」

 予想外の事態によろめいて隊列を崩した。

 四人はすぐに態勢を立て直したが、目の前から躍斗の姿が消えていた。

 馬鹿な、暗殺の技術を持つ自分達から気配を隠すなど……と動揺しながらも周囲を窺う。

 躍斗は四人の背後に回っていた。

 気配を消し、手が届くかどうかという距離に捉らえたが、殺気を放っては気付かれる。

 そして躍斗の意思が攻撃に傾くと、その通りに相手は気が付いた。

 直ぐさま振り向き、攻撃の為の音を発する。

 だが躍斗には何の変化もない。

 四人の内の真ん中の二人は何が起こったのか分からない様子で周囲を見る。

 気を取り直し、再び攻撃を試みるがやはり同じ。

 中の二人にはなぜ効果が発動しないのかは分かった。

『位置が入れ代わっている』

 だが外の二人には分からなかった。中の二人もなぜそんな事が起きているのかまでは分からない。

 動揺するも、攻撃を試みるしかない。

 四人は一斉に声を上げる。

 躍斗は足の下から伸びるレンダーシャドウを通して二人の空間を入れ替える。

 音の技は最低二人の同調が必要だ。

 幸いにもクイン・カルテットは皆同じ風貌で姿勢、動きも同じ。

 世界を謀って位置を入れ替える事は至極容易だった。

 中の二人の位置を入れ替えれば常に隣り合う相手が変わる。

 音の共鳴はほんの少し位置が変わるだけで意味を成さない。

 四人は並んで声を張り上げるだけの集団になった。

 さすがにこれ以上は意味がない事を悟って、四人は歯を食いしばりながら本をしまう。

 躍斗に格闘技術がない事は分かっている。わざわざ音で仕留める必要はないと格闘術の構えを取る。

 四人は一斉に動き、二人が躍斗の両の腕を取った。

 格闘は出来なくとも得体の知れない相手。

 甘く見る事をせず、高等技術である組技を仕掛けたのはやはりプロという所だろう。

 躍斗は慌てず息を吐く。息は歯と歯の間を抜ける際に音になる。

「じゅうう」

 躍斗は腕を囲む空間に問い掛け、音に対しての事象を無理矢理こじつけた。

「アウッ!」

 腕を掴んでいた二人は手を放す。手の平から薄く煙が立ち上り、焦げた臭いが立ち込めた。

 焦げる音を出す事で相手の手を焦がした。拓馬の能力と同じ現象だ。

 彼らの手が熱を持った為、触れていた躍斗の腕も熱かったが、初めてにしてはよく出来た方だろう。

 四人は距離を取り、懐からナイフを取り出す。

 直ぐに襲い掛かってこず、大きく距離を取って取り囲む。四人で連続して襲って来られては時間を遅める能力が続かない。

 だがやるしかない。できなければキュオも死んでしまう。

 四人は一斉に息を吸うと、大音量の声を発した。

 共鳴や振動効果などではない。ただ鼓膜に多大なダメージを与えるだけの、でかいだけのただの音だ。

 躍斗は音が耳に届くと同時に時間を遅延させる。

 躍斗を含む空間の時間が遅くなれば躍斗の動きも遅くなる。

 だが今回は重くなる空気の壁を、当たり判定を通り抜ける要領で無理矢理に突破した。物質は通り抜けられなくても、空気ならば出来なくもない。

 遅く進む時間の中、躍斗は普段の速さで行動する。

 大音量の音もゆっくり伝わる波は低音で刺激も少ない。

 だがこの感覚、あまり長い時間使っていられない事は肌で感じていた。

 躍斗は可能な限り素早く動き、四人のナイフを叩き落として鳩尾に突きを入れていく。

 四人目に拳を叩き込んだと同時に限界が来た。

 時間は標準より早く進んで歪みを取り戻そうとするが、躍斗が常識を超えて早く動いた分の帳尻が合わない。

 人間が生身で音速の壁を破ったらどうなるのか?

 世界が無理矢理帳尻を合わせる為に、躍斗が筋肉の限界を超えて動いた事に――つまり血管を破裂させ、筋繊維をズタズタにする事で折り合いをつけようとしている事に気が付いた。

 躍斗は残りの力を振り絞って、自身を包む空間の速度のみを遅くする。

 要は速く動いた分、後で遅くなる事で強引に帳尻を合わせた。

 そのため躍斗の目には、四人がビデオの早回しのようにもんどりうって吹っ飛ぶように見えた。

 常識を超えた素早い動きが可能だが、動いた分だけ後で止まる。隙が出来てしまう。それに調整に失敗すれば本当に体がズタズタになるだろう。

 出来る事なら使わずに済ませたい技だった。

 躍斗はふうと息をつき、何とか立ち上がろうとしている一人の前で膝をつく。

 鳩尾を突かれ、声も出ないようだ。もう勝負はついた。

 喉に手を当て、対象人物の行動を司る情報にアクセスする。

 以前拓馬の声を枯れさせた時と同じ技だが、それよりも一段階深い階層まで踏み込む。

 一巡前の宇宙で、キュオを殺された時に逆上して百目鬼に使った技と同じ。相手に対し、憎悪にも似た怒りを覚えていなくては到底達しない領域。

 カルテットの一人の声を発するという行動にブロックをかけた。「声を出す」という「行動」を奪い取った。

 クイン・カルテットは四重奏で超常的な力を発揮する。その数が三つに減る事で劇的に威力が弱まるはずだ。

「人を傷付けないと約束するなら元に戻してやる」

 だが今その約束を取り付けている暇はない。何より犯罪者に対して言葉だけの約束は何の意味もない。

 拓馬の所へ戻らなければ。しかしどっちへ行けば……、と少し迷ったが、この四人は帰国の為の潜水艇に向かっていると言っていた。

 ならば四人がやってきた方向が神無月の基地のはず……と、躍斗は暗い用水路の中を歩き出す。

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