第31話 虚空の穴
「役立たず」
「そうだろうね」
「異常者」
「そう、僕は異常者だ」
「チキン」
「鶏肉は好物だ」
「不潔」
「一応風呂には入っている」
「庶民」
「貴族には見えないね」
躍斗が基地の建物から顔を出すと、奇妙なやり取りをしている男達が目に入る。
男達と言っても片方は子供の様に小さい。
取り巻きも何人か居るが介入せずにそのやり取りを見守っていた。
拓馬も居た。
だが拓馬は地面に向かってパンチを打ち込んだ姿勢のまま止まっている。重心も姿勢も不自然だ。要は空中で止まっていた。
現実的には有り得ない事だがそれだけではない。
拓馬の打った地面は瞬間的に物質の衝撃伝達速度を超えて空間にも歪みを生じさせていた。
本来なら一瞬で元に戻るはずの歪みは、不自然なまま静止している。
空間はその不自然に耐え切れず、限界を超えようとしていた。
電磁波が入り乱れるような、電気が空中を飛び交っているような。空間そのものが軋みを上げているのが躍斗にも分かった。
ヴヴ……、とブラウン管のテレビのように周囲の空間にノイズが走り始める。
躍斗の背筋に寒い物が走り、恐怖にも似た焦燥が胸の中を駆け巡った。
やばい。このままではこの空間は崩壊する。
空間は他の空間に繋がっている。ここが崩壊すれば連鎖的に全ての空間が崩壊する。
生物も物質も現世も狭間も、何もかも崩壊して混ざり合って、何でもないただのドロドロになってしまう。
ピシッと空間に亀裂が入り、そこから赤いドロドロが漏れ出してきた。
世界の崩壊を防ぐには、この空間だけを完全に叩き潰してしまうしかない。ここに核でも撃ち込んで、何もかも消し飛ばしてしまうしか、世界を救う方法はない。
だがそれをやるレイコは、今はいないのではないか?
躍斗は焦燥という警鐘を聞きながらも、不思議と頭は冷静だった。
自分が何をするべきなのかが分かったからだ。
躍斗はポケットに手を入れて姿勢を伸ばし、物陰から出て奇妙なやりとりをしている連中のいる場所へと歩いて行った。
空間から漏れ出した赤いドロドロは地面に流れ、
周囲にも煙のように立ち込めて、辺りを赤く染めていった。
リオン達は躍斗に気が付いたが、それよりも周囲の異変の方に動揺する。
足の裏の感触がおかしい。
瓦礫のはずが、見た目通りの柔らかいドロドロになったような感触に驚いて足を上げようとする。
だが両足ともドロドロから抜く事はできない。
「な、なんだ? どうなってるんだ」
沼にはまったように立ち往生するリオンは激しい衝撃に吹っ飛ばされる。
静止していた拓馬が行動を取り戻し、地面を抉ったのだった。
柔らかくなった地面が衝撃を吸収していなかったら、瓦礫と共にリオンの体もバラバラになっていた。
地面に這いつくばるリオンが顔を上げると目の前には自分が乗っていたジープがある。
とにかく地面から離れようとジープに這い寄ろうとした時、その車体がスブッと沈む。
ドロドロに溶けた地面の中に吸い込まれていくように沈んでいく。
「おわっ」
リオンはアリ地獄から這い出るように逃げようとしたが、流砂のように周囲の地面も穴に吸い込まれていく。
「なんだ? 地面が溶けちまったのか?」
拓馬は自分のパンチの衝撃で地面が溶けたと思ったようだ。
躍斗もろとも――と思った所で顔を上げ、まだ終わっていない事を悟る。
「どうやったのか分かんねえけど。運が良かったな。次はそうは行かねえぞ」
拓馬はポケットに手を入れたまま歩み寄ってくる躍斗に向けて衝撃の音を放つ。
だがその衝撃波はドロドロになった地面に穴を開ける。
拓馬は一瞬何が起きたか分からずに固まったが、続けて二発、三発と腕を突き出す。
だがどれも明後日の方向へと逸れた。
くっ、と歯を食いしばるとズビーッと目からビームを発射する。
直撃すれば人間の胴体など一瞬で真っ二つにするであろう光線が、真っ直ぐに躍斗に向かって伸びる――はずだったが、ビームは途中でぐにゃりと曲がった。
拓馬は驚愕の表情を浮かべ、続けて攻撃を繰り返す。
だがそれらは全て捻じ曲がり、躍斗のもとに届く事はなかった。
よく見ると周りの地面も歪んでいる。落ちている。
気が付けば拓馬は腰まで地面に埋まっていた。これでは飛び上がる事も出来ない。
空間に空いた穴に、周囲の物全てを捻じ曲げながら空間ごと吸い込まれているのだった。
「た、助けて!」
「おい! こら、何をする。放せ!」
溺れる者が藁をも掴むようにしがみ付く拓馬をリオンは引きはがそうとするが、二人共同じ穴に向かって落ちているのだ。
リオンは拓馬を踏み台にして上に逃れようとしたが、周囲から装甲車が流されてきて迫る。
「わああっ」
二人は周囲の物に押し潰されるように穴に吸い込まれていった。
装甲車も人間も、空間も、全て狭間に空いた穴に吸い込まれ、後にはクレーターのような穴が残った。
躍斗はその真ん中にポケットに手を入れたまま立つ。
そして後ろを振り返った。
そこには変わらない姿勢でレッドが立っている。やはりこの男は吸い込まれなかったようだ。
レッドは喝采するように手を叩く。
「すばらしい。しかし君が来たという事は、あの死神はやはりいなくなってしまったのかね」
「それを確かめる為にこんな事をしたのか?」
「それもあるが、僕の目標は世界を解き明かす事だ。その為には何度も世界を壊す必要がある。失敗は成功の母と言うだろう。それに拓馬の力を利用させてもらった」
世界の壊すのならやはり敵という事だ、と向き直る躍斗にレッドは指を立てる。
「だがこの世界には君がいる。覚えておくよ。この短期間で物体透過をも会得するなんて大したものだ」
「物体、とー……なんだって?」
レッドは一瞬固まったが、それ以上は答えなかった。
「いや、なんでもない。君の力は計り知れないという事だ。僕はしばらく狭間を漂って研究でもするとしよう」
その時ぼこっと地面が盛り上がり、ぷはぁっという息と共に拓馬が顔を出した。
無事だったか、後で狭間から引っ張り出さないといけないかと思っていたが、と少し安心する。
「人間は皆狭間を介してそこら辺に転がしてあるよ。余計な事だったかな?」
いや助かった、と一応形ばかりの礼を言っておく。
「遊園地の後、僕達を家に戻したのもアンタか?」
「君を観察していた所だったからね。あの後始末されてしまっては都合が悪い。まあどこに出るかは正確には分からない。ちゃんと帰れていたのかな?」
それは問題なかったが、その後はちょっと大変だった。そのお陰で真遊海の本性を見極められたとも言えるのだから、あながち余計な事でもなかったのかもしれない。
そんな事を思っていると、静かになった基地に拓馬の動揺する声が響く。
「なんで!? 力が……、力が出なくなってる」
しきりに口から息を吐く。まだ半分埋まった体を能力で掘り出そうとしているようだがうまくいかないようだ。
声が出ないとかではない。音は出ているのに、それに事象がついてこない。
拓馬はついに泣き出した。
「声変わりにはまだ早いだろうにね。まあ一時の夢だと思えばいい。いい思い出になっただろう。その方が君の為にもいい」
レッドは冷ややかに言う。
二次方程式を会得しても、それで何が出来るのかまで理解している者は少ない。
もっと言えば二次方程式で出来る事も一つではない。
数式と言うのは応用できて初めてその真価を発揮する。
手を触れずに物を動かす。瞬間的に場所を移動する。世界の理に触れる力はそんな単純な、分かり易いものではない。
限定された力は、偶然理に触れただけに過ぎない。
なぜそんな事が出来るのかが分かっていない以上、いつ出来なくなってもおかしくない。
講義のように解説するが、拓馬は聞いていないようだ。
「あれは時間稼ぎだったのか」
躍斗は先程のリオンとの奇妙なやり取りの事を聞いてみた。
「そうだよ。NGワードを言わせて時間を引き延ばしていたんだ」
とその経緯を話す。
「実際にはそんなものはない。あるにはあるんだが、我を忘れるほどじゃない」
その間に空間が崩壊する。そして死神が現れる。
「しかし死神が君を媒介にして外へ出たのは間違いないと思うのだがね。今はいない。しかし現れない。何を考えているんだろうね」
あのゾンビの考える事など分かりそうもないが……、と躍斗は溜息をついた。
「結局、NGワードって何だ?」
立ち去ろうとするレッドを呼び止める。
どうでもいい印象の男は振り返って眼鏡を上げた。
「それはね……。『普通』だよ。僕は普通だと言われるのが一番傷付く」
手を振って狭間へと消えるレッドを半ば呆れたように見送った。
彼もまた、世界の観測者なのかもしれない。
愚図り泣く拓馬を掘り起こし、またそのうち出来るようになるかもしれないと根拠もない慰めの言葉を投げかけた。
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