第25話 偽りの皮
「なんかごめんね」
いつものカフェ席でいつものカフェオレを飲みながら、対面で恐縮する美空の言葉を聞く。
「あんなに怒ってるとは思わなくって」
それは躍斗も同感だった。
まさかここまで怒っているとは。携帯の支払いはどうなるのだろう、と的外れな事を考えてしまう。
絶対手に入れると言われた矢先だからだろうか。
躍斗の経験ではいくら考えても答えなど見出せるはずもなかった。
「ほら、あれよ。まずはちゃんと謝らないと。何かしたならちゃんと説明しないと。メールで。読まずに食べちゃうかもしれないけど。何もしないよりマシでしょ?」
それはそうかもしれない。
「誠心誠意、真心を込めて。要はラブレターね。まずは書いてみて。わたしがチェックしてあげるから」
「いや、いいよ」
ダメよと食い下がる美空にしばらく問答したが、プライベートな事を含むのだからと納得させた。
美空からしてみれば自分のせいでもあるから、何とか仲を修復したいという思いがあるのかもしれないが、超能力を持った外国人と戦って敗れたという経緯を見せるわけにもいかない。
そういうわけで神無月の能力者に襲われて戦闘になり、意識を失っていた。後遺症があってやっと動けるようになった所だ、という文面を作った。
少し苦しいかもしれないが、ほぼ事実には違いない。
その後、拓馬が逃げ切れたのかを知りたい、と添える。
誤字はないか、分かりにくくないかを何度もチェックし、送信ボタンに指をかけてはまた見直し、を繰り返す。
こうしていても仕方ない、と意を決して送信した。
ふう、と息をついて目の前に美空がいる事を思い出すと、彼女はストローをくわえて笑いをこらえていた。
こっちは色恋沙汰じゃない、子供の安否を気遣ってるんだ、とぶすっとして携帯を置く。
その後、携帯を取り上げては着信がないのを確認し、また置く、というのを繰り返す。
焦らない焦らない、と美空が落ち着くよう宥めるが躍斗は落ち着かない。
膝が小刻みに動き、既に無くなったコップの中身をあおる。
永遠かと思えるような時間が流れた後、着信があった。
メールだ。
美空を見ると目で「見て」と言っている。確かに見なくては何も始まらないので開く。
ここへ来て、と場所だけを示す内容。
躍斗はどうしたものか、と唾を飲み込む。
美空を見ても「文面が分からないと何も言えないよ」という様子なので画面を見せる。
だがそれでもきょとんとした顔で躍斗を見るだけだ。
それはそうだろう。行くしかないのだろうな、と躍斗は意を決する。
◇
呼び出された場所まではそれほど遠くはない。
メールにあった住所の地に立ち、建物を見上げた。
途中で怖じ気付いて逃げないようにと美空がついてきたのには閉口したが、確かに行先がホテルだと知っていたら怖じ気たかもしれない。
それでもついてくるのはやりすぎだと思うが、躍斗には親切でやってくれているものを追い払う気概もない。
「じゃあ、しっかりね」
と美空は出勤前の旦那にするように躍斗の襟を整える。
ここまで世話を焼いてくれるのは責任を感じて……なのだとは思うが、その前から結構世話焼きだったように思う。
元々の性格なんだろうか、と思いながら躍斗はされるままになっていた。
「よし」
とピシッと襟を伸ばし、がんばってと見送る。
ふう、と息をついて躍斗は足を踏み出した。
指定されたのはビジネスホテルの一室。
かなり豪華で、他に利用者がいるような気配がない。
おそらく水無月の持ち物なんだろう、と少し警戒しながらエレベーターに乗る。
目的の部屋の前に立ち、深呼吸してノックする。
「どうぞ」
躍斗はドアを開けた。
中は広い。二部屋を続きにしたような広さにテレビやカウンターバーにベッド。シャワールームや書斎も別にある。
真遊海は奥に設置してある大きなベッドの上に腰かけていた。
心ここにあらずという感じで部屋の隅を見つめている。
何も言わないので、躍斗は恐る恐るという感じで足を踏み入れ、内装を値踏みするように視線を巡らせていた。
「事情は分かったわ。一方的に怒ってごめんなさい」
そう言われると何も言えない、と躍斗は頭を掻く。
「でも、あなたも少年の力の事、隠してたんだからおあいこでしょ」
バレたのか。いや、本当は初めから分かっていたのかもしれない。騙していたのは事実なのだから躍斗には何も言えなかった。
「実は私、今謹慎中なのよ。役目を降ろされて……」
そうなの? とさすがに躍斗も驚きの色を見せる。
「あの……、僕のせいで?」
真遊海は躍斗を一瞥し、また正面を向く。
「そうよ。あなたのせい。でも恨んでない。わたしの事がキライなら、もうわたしには関わらないで」
「いや、キライってわけじゃ……」
「好きでもないんでしょ?」
躍斗は黙ってしまう。
「遊園地に来た彼女?」
「え?」
何を言われたのか分からず聞き返す。
「あの子が好きなの?」
いやいやいや、と躍斗は首を振る。
どうしてこう女性と言うのは皆同じような事を言うのか、と少し困るものの、美空にその意思はないと躍斗は思っている。
「それは、ないと思うよ。今日、ここに来るのにも押してくれたくらいだし」
真遊海はキッと躍斗を睨む。
「何よそれ。結局自分の意思じゃないんじゃない! バカにするのもいいかげんにして! わたしはあなたが好きよ! それは本気よ。 だから……、だから役を解かれてまであなたを守った。それなのに……、それなのに」
と置いてあった枕を掴んで躍斗を叩く。
ひとしきり叩いて泣き伏せる真遊海に躍斗は謝るしかない。
「水無月としての力を持たないわたしなんて、ただの女よ。あの子と変わりない。どっちなのか選んでよ」
美空の事だろうか。しかし美空は世話は焼いてくれるものの、そんな素振りは全くない。むしろ真遊海との仲を積極的に押させていたくらいなのだ。
その二択には選択の余地が無いが……、と答えに困ってしまう。
「美空さんとは、ホントにただのクラスメートだよ」
「わたしは?」
「いや……」
真遊海は横目で躍斗を見る。
「もう帰ってくれない?」
うう……、と躍斗はどうしていいか分からず立ち往生してしまう。
真遊海はベッドの上を叩く。
「立ってると疲れるでしょ。座ったら? それか帰って。どっちかにして」
そう言われ、仕方なくという感じにベッドに腰掛ける。真遊海とは距離があるがそれについては何も言われない。
真遊海は心持ち躍斗の方に体を向ける。
「あの……、拓馬の事なんだけど」
躍斗がそう切り出すと、真遊海は少し悲しそうな顔をした。
「そうよね。やっぱりわたしが好きだからじゃないのよね。わたしは情報を引き出す為に利用してるだけだものね。バカよね。期待しちゃって……」
と片手を顔に当てて嗚咽する。
「あ、……いや」
と弁明しようとしたが、しどろもどろになってしまう。
「彼なら神無月に拉致されたわ。もちろんこちらで得た情報だから真偽は分からないけど。多分間違いない」
目を赤くしてまた躍斗から顔を逸らす。
「もういいでしょ。それ以上の事はわたしも知らない。気が済んだら帰って。そしてもう連絡してこないで」
出入口を指さす。
だが躍斗は……、
「いや、それが分かってもどうしようもない。僕一人じゃ、何もできない。ただ一応知っておきたかったんだ」
拓馬には力を使う事のリスクは説明してある。
どちらかというと、これは彼自身の問題だ。そもそも自分に何かが出来ると思っていた事が間違いだったのかもしれない、と躍斗の気持ちは沈む。
「わたしも水無月に見放されて何もできないよ。おかしいよね。二人して無力さに苛(さいな)まれてるんなんて」
真遊海は涙を拭いて笑い、躍斗もそうだねと笑みを返す。
しばらく互いに見つめ合う。
真遊海は躍斗に向かってそっと手を伸ばしたが、躍斗は動かなかった。
「少しの間だけ。わたしの好きなようにさせて。イヤだったら、いつでも拒んでいいから」
真遊海の指が、カッターシャツのボタンに伸びる。
躍斗は唾を飲み込んだが、心持ち体が前に動く。
「あ痛っ!!」
真遊海が手を引き、躍斗も驚いて我に返る。
何か、と襟に触れると硬い感触。針!? どうして? と動揺するが、躍斗はその時の一瞬の真遊海の表情を見逃さなかった。
侮蔑や憎悪などの負の感情が入り混じったような。簡単に言えば悪役が策略を暴かれた時に見せる表情。
純真な少女の仮面の下だ。
一巡前の宇宙で、真遊海が色仕掛けで躍斗に近づき、騙してペイント弾とは言え銃弾を撃ち込んだ。
あの時の真遊海だ。
躍斗はベッドから立ち上がり、警戒心を露わにする。
ここの所、素の真遊海しか見ていなかったから油断していた。
そうだった。真遊海は遊園地で水無月として躍斗を手に入れると宣戦布告していたんだ。
これが、本来の水無月としての真遊海の姿だった、と躍斗は改めて思い出す。
宣戦布告した所までが素の真遊海なら、それ以降は全て虚偽。
躍斗の力を利用する為なら何でもする、金の力で何でも牛耳る厭(いや)らしい財閥の令嬢だ。
真遊海は「バレたか」というように片目を閉じて舌を出す。
「拓馬は?」
「神無月に拉致されたのは本当よ。ちなみにウソは何も言ってないから。あなたへの想いもわたしの状況も」
真遊海は立ち上がり、カウンターバーへと歩く。
備え付けの小さな冷蔵庫を開け、中からペットボトルを取り出した。
「水無月は傭兵部隊を動かして拓馬って子を救出に行ってる。でもそれは表向き。それにかこつけてあの子を自分の戦力に、それが出来なければ抹殺するつもりよ」
ついでに神無月の基地や兵器を攻撃する。
そして事が済んだら傭兵部隊を反乱者として始末する。
水無月には表向き他の国籍に属している隠し軍隊がいくつもある。全滅など表向きだ。その戦力を持って反乱者を討伐し、痛み分けとして事を終わらせる。
あの男の考えそうな事だ、と真遊海は侮蔑を込めて言う。
「その為の布石を打ってる。大元の神無月との小競り合いが発展して戦争規模になったというシナリオよ。やられた腹いせに、若造が勝手に兵器を持ち出して神無月に仕掛けたという」
それが桐谷だと言う。
躍斗もあのキザな青年の事は好きではないが、知った顔が戦争に駆り出されて無残に戦死するというのは気持ちのいいものではない。
その戦火に拓馬が巻き込まれるのなら、放っておいていいわけはない。
何も出来ないからと言って、何もしなくていいわけがない。
「拓馬の監禁されている場所は分かるのか?」
「そう言うと思った」
さすがにそれは分からない。だが桐谷の部隊が襲撃する場所は分かる。口を出す権限はないが、情報は開示される。
それを追っていけばおのずと辿り着くのではないかと言う。
「言っておくけどこれは貸しだからね。いつか返してもらうからね」
躍斗は少したじろぐ。
「ほ、本当かどうかはまだ……。それに、どうして急に?」
協力的になったのか。普通に考えれば怪しむのは当然だ。
「今回は水無月真遊海の負け。ここから先はただの真遊海よ」
水無月としての役目は果たした。
拓馬も知らない顔ではないし、子供が巻き込まれるのを傍観するのも忍びない。
「それに……、桐谷も一応わたしの部下には違いないし」
真遊海は何でもないように言う。
躍斗は真遊海を信じる事にした。
部屋を出て表通りへと向かう。
「わたし一応謹慎中だから、いつものリムジン呼べないのよ」
謹慎は本当だったの? と驚く躍斗に「ウソついてないって言ったでしょ」と顔を赤くする。
仕方がないのでタクシーを呼ぶ事にした。
一応普通に営業しているホテルなのでフロントで手配してもらう。
「結構距離あるけど……。利賀くん、お金ある?」
「………………、え?」
数秒の沈黙の後聞き返す。
「いや……、その……カードも止められちゃってるから。今現金持ってないし」
真遊海はもじもじと指を擦り合わせる。
躍斗もそれほど小遣いを貰っているわけではない。元々躍斗は物欲が無いのだ。
「何よ! お金が無かったら役に立たない女みたいに」
「いや、そこまでは言ってないけど」
事実には違いない。
真遊海の名前でツケにしてもらうか。でも通用するとは思えない、と弱っていると、
「困ってるの?」
と後ろから声が掛かり、わあっと驚く。
振り向くと美空が立っていた。
なんでここに? と反射的に聞いてしまうが、躍斗を送った後、そのまま隣のカフェで休憩していたと言う。
「こんなに早く出てくると思わなかったし」
真遊海が後ろで小さく「趣味悪っ」と呟くのが聞こえたが、躍斗は気にせず藁にもすがる思いで頼んでみる。
「まあ、それなりにはあるけど。立て替えるくらいなら」
そうこうしている内にタクシーが着く。
共に乗り込もうとする美空をやや驚きの目で見る。
「まさか財布だけ寄こせって言うつもり? 途中ATMに寄らないといけないかもしれないし」
それもそうか、現地に着いたらそのままタクシーで帰ってもらえばいい、と助手席に乗ってもらう事にした。
真遊海が大体の行き先を告げ、後は走りながら誘導すると言う。
タクシーはどんどん街から離れ、景色は田んぼや木々が多くなり始めた。
やがてほとんど山道な道路をしばらく走る。
「お客さん。ここ立ち入り禁止だよ。これ以上は……」
確かにそれらしい看板の前でタクシーは停車する。
「大丈夫よ。ここはわたしの親戚の敷地だから」
そんな事言われてもねぇ、と動かない運転手と問答を始める。
実際神無月の敷地だが、同じ系列と言っていたから遠い親戚には違いないのかもしれない。
「じゃあ、迎えに来てもらってよ」
と言われて真遊海は歯噛みする。
「仕方ないわね。美空さん、お金握らせて。50万くらいでいいわ。後で返すから」
「そんなにあるわけないでしょ!」
しょうがない、ここからは歩くしかないと躍斗は運転手にドアを開けてくれるよう告げた。
タクシーを降りるとその先は坂道だ。
林になっているので先は見えないが、時折花火のような音とうっすらと光も見える。
もう戦場になっているのか、と躍斗は坂道を走り出した。
後には二人の少女と、タクシーが残される。
真遊海もタクシーを降り、美空も運転手に「すみません、少し待ってください」と告げて外に出た。
二人して躍斗が駆け上がって行った坂を見上げる。
「あなたでしょ。襟に針仕込んだの」
「え?」
不意に話し掛けられ、美空は困惑する。
「やってくれるじゃない」
真遊海は鋭い目で美空を見据える。
あ、あれはお守りって言うか、と手を振って弁明する美空に、
「責めてないわ。確かに健全なお付き合いをしてれば刺さらないもの。さっきはわたしの負け。今から第二ラウンドよ」
真遊海はワンピースの裾を少し捲くり上げる。
「わたしはこれから利賀くんを追う。ついてくるか残るか、意地を張るか素直になるかはあなたの自由だけど、覚えておいて」
真遊海は表情を硬くする。
「この先は本当に危険だからね。彼を手に入れるか、死ぬか、その二択だと思って」
美空は一歩後ずさった。
真遊海は躍斗の走って行った坂をずんずんと上って行く。
美空はしばらくそれを硬い表情で眺めていたが、意を決したように後ろを振り返る。
タクシーのドアを開け、運転手に向かって言った。
「おいくらですか?」
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