第2話 真遊海
夕方というにはまだ少し早い時間の公園に躍斗はやってきた。
特に何をするというわけでもないが、最近はよくふらりと立ち寄る。
ふとした事で世界の理を捻じ曲げてしまうので、彼の周りでは何かと不慮の事故が起こる。
そんな中、この公園は広く開けているのであまりそういった危険がない――のだが、公園の隅でカキンという音と共に声が上がる。
躍斗は飛んで来た硬球を僅かに身を屈めて避けた。
たまにはこういう事もある、と大して気に留める様子も見せずに足を進める。
ふと何気に巡らせた視線の先に珍しいものを見つけた。
それは質素だがシルクで織られたワンピースを着た少女。
年は躍斗と同じくらいだが、その物腰は年齢にそぐわない。
小さい頃から大人の中に交じって育ったような、意志の強そうな目をしているが、今は力が抜けているのかややぼんやりと公園にいる人達を眺めている。
気を張るのに疲れて、少し息抜きに散歩しにきた、という印象だ。
少女の視線はゆっくりと回り、躍斗に気がつくと驚いたように視線を逸らせた。
そして恐る恐る視線を戻し、ちらと見るとまた逸らし、そのまま背中を向けて一呼吸置くと大きく足を踏み出す。
躍斗はそれを無反応に眺めていたが、少女は五歩ほど前進すると足を止めた。
拳を握り締め、わなわなと震えると怒ったように振り向いて、地面を踏み鳴らしながら躍斗に向かってくる。
「ちょっと! 呼び止めるとか何かしなさいよ!」
なんで? という反応を隠しもしない躍斗に、少女は顔を真っ赤にする。
暫く頬を膨らませた後、照れたようにぷいとそっぽを向いた。
自分で言っておきながら、何を言っているのか分からなくなったようだ。
この可憐な少女、真遊海は財閥水無月家のお嬢様で、躍斗の力の事を知る人間の一人だ。
少し前に躍斗の力に目をつけて、自分達の力に加えようとした。
自分達にも超常的な力に対抗しうるだけの財力があると見せつけた上で、躍斗を支配下に置こうとした。
好きだ、結婚する、と言葉の上では婚姻という名目の同盟だが、実際は躍斗の妹を人質に取った脅迫支配だ。
それが切っ掛けとなり、世界は均衡を失い崩壊した。
躍斗自身はその宇宙から脱して、一巡前の――細かい理屈は分からないが一日前の――元の世界に似た場所に戻る事ができたが、この少女が自分を狙っている事に変わりはない。
同じ行動を取れば同じ結果が待っているのだろうから、関わらないようにと無関心を決め込んでいた。
真遊海に世界が崩壊した記憶はないはずだが、以前ほど積極的に躍斗を付け狙わない所を見ると、あながちそうでもないように思えた。
タイムスリップしたわけではないので、その先に世界の崩壊が待ち受けている事を、前宇宙の真遊海が警告しているのかもしれない。
今の真遊海はそれを予感めいたものとして感じとっているかのようだった。
「か、勘違いしないでよね。別にあなたを待ち伏せてたわけじゃ……。たまたまよ」
反応からして、その言葉にウソはないんだろう。
真遊海は結構な演技派だが、ぎこちない時はまず素だと思っていい。
ここ数日の真遊海の反応から、躍斗はそう感じとっていた。
真遊海は言おうか言うまいか逡巡するように、チラチラと躍斗を見るとはなしに見ている。
さすがに少しウザくなって立ち去ろうかと思ったが、躍斗はこの少女の為に行動を制限されたりするのも本意ではない。
狭間の力で気配を消す事もできるのだが、真遊海は躍斗と接する事が多かった為かあまり効果がない。
「べ、別にあなたの事諦めたわけじゃないけど、今ちょっと忙しいのよね」
本当は相手もいないのに、見栄を張ってデートを断る女性のようにやや挙動不審気味に言う真遊海に、どうでもいいと言わんばかりに無視を決め込んでいた。
その様子に真遊海は幼児のように口を曲げる。
「本当だからね。特別な力を持ってるのが自分だけだと思わない事ね。他にも能力を持った人間はいるんだからね」
捨て台詞のようにそのまま立ち去ろうとした真遊海だったが躍斗の「本当か?」という反応に足を止める。
意表を突かれたように少し戸惑いを見せたが、真遊海は若干舞い上がったように言う。
「本当よ。もしかしたらあなたより強いかも。協力的な人ならもうあなたに執着する事もなくなるかもね。よかったじゃない。干渉されるの好きじゃないんでしょ?」
腰に手をあて、ふふんと鼻にかけたように笑う。
「どんな奴なんだ?」
感情を押し殺したように静かに問う躍斗に、真遊海はやや大袈裟に腕を組んでそっぽを向く。
「そんな事あなたに教えて、わたしに何の得があるっていうのよ」
それもそうだ、とさっさと踵を返して立ち去ろうとする躍斗に、真遊海は大声を上げる。
「教えてあげてもいいのよー! お願いするならー!」
躍斗は足を留めて僅かに振り向く……、がそれ以上動こうとしない。
真遊海は顔を真っ赤にしながらもじもじと指を擦り合わせる。
「いや、その。……教えてあげようか? よかったら、だけど」
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