灯りを消して、星を見て。

ざっと

クリスマスキャロル

 シャリン、シャリン、シャリン…。

 腰に結んだ鈴と、隣を歩くトナカイの首輪につけられた鈴が気持ちのいい音色を奏でる。この音を聞くだけで、この先の気が滅入めいりそうな長い道程みちのりをしゃんとして歩けそうな気がする。

 暗闇から光が差す場所へ、そして視界が完全に開けた場所で立ち止まり、大きく伸びをする。んんん、と声にならない息を漏らし、空を見上げる。

 おはよう、真夜中。こんばんは、きらめく星たち。お世話になります、オーロラさん。時間通りに起きました。お寝坊せずに起きました。今年も僕は頑張ります。

「さぁ、仕事の時間だ。」

 独り言をつぶやいて、自宅である洞穴ほらあなから僕は、一面の銀世界へと歩き出した。そりを引いた、パートナーのトナカイと一緒に…。


        *      *      *


 誰も踏み入れていないまっさらな雪の上に、一人と一匹と一台で足跡をつけて歩く。踏みしめた雪は、まるで羽毛布団のようにやわらかい。そのおかげで冷たいという感覚より、むしろ温かいと感じる。

 360°全部見渡しても雪、雪、雪の真っ白な世界。周囲は星の瞬く音すら聞こえそうなほど静かで、歩くたびに鳴る鈴の音と自分たちの足音だけが、この静寂の世界に色をつけていた。見える範囲に建物や街灯の類は一切なく、はるか遠くに一本のモミの木が見えるだけだった。

 空は雲一つない快晴で、吸い込まれてしまいそうな黒いその場所には無数の星たちが煌々と輝いている。その上に、絵の具を引いたような綺麗な一筋のオーロラが伸びている。まっすぐ、迷いなく、迷宮で道を指し示すアリアドネの糸のように前へ前へと伸びていた。

 洞窟を出てからずっと、僕はこのオーロラが伸びる方角へ歩き続けてきた。歩いて、ただ歩いて、ひたすら歩いて、しかるべき時のために雪原を歩き続ける。

 そう、がクリスマスになる時。その時には、この明るい夜空と、雄大な雪原以外は見えちゃダメなんだ。僕の仕事は、自分の生活も他人の生活も切り離した中でしか出来ないのだから。

 そんなことを考えながら歩いていると、ゴオン、という音が鳴り響いた。

 先ほどまで耳に届いていた流麗な鈴の音をかき消す力強い音。まるで金属でできた星と星を空の中でぶつけたような、鐘の音にも似た立派なそれは、体の中まで響き渡る。

 ああ、あの轟音に心臓をぶたれたみたいだ。鼓動が跳ね上がる。体の芯から気分が高揚してくる。

 立派な大音声の波が引いていくにしたがって、緑色をしていたオーロラの色が徐々に変化してゆく。

 黄色に赤、薄桃色にだいだい色。地上の雪を溶かしてしまいそうな暖色のグラデーションへと変わる。

「メリークリスマス!ハッピークリスマス!」

 無意識に声が喉から飛び出る。顔がほころび、頬が紅潮するのが分かる。幸せの色だ、楽しさの色だ!そして僕が声を発するのと同時に、周囲の空中にロウソクやカンテラが現れた。

 当然、ロウソクたちの発生要因は僕じゃない。あのオーロラと鐘の音が起こしたことなのだが、あまりにもタイミングがばっちり過ぎた。思わず吹き出して笑ってしまう。

 僕の笑い声を聞くやいなや、隣を歩いていたトナカイは僕の脇腹をツノで小突いてきた。

「ごめんごめん。不謹慎だって言いたいんだよね。」

 彼は、フンス、と鼻を鳴らすと呆れたような目で僕を見ていた。

 突如現れたロウソクたちを見て笑い出した僕に、彼がこんな目を向けるのは当然のことだった。

 赤、青、緑…色とりどりの明かりを灯すロウソクやカンテラは決して幸福の象徴なんかじゃない。むしろその逆で、を象徴している。

 これらのロウソクやカンテラは、僕が生活しているこの世界ではなんの影響もない。ただ火を灯したままにしておくと、小さな花火のように破裂するだけだ。宙に浮かぶそれらが破裂したところで雪が解けることもなく、破片が飛び散ることもないどころか、その時点で跡形もなく消えてしまう。

 では影響がないけれど、問題なのは、この火が“現実”を生きているの人間の心とリンクしているということ。破裂してしまえば、向こうの人間に影響が出てしまう。

 火が灯る原因は色々あるけど、ひと口に言ってしまえば、人間のわずかな負の感情が、こうした火種を生んでしまう。

 原因の解決は、最終的には向こうの人間がすることだ。けれど、僕たちが火種を消すことで、あちら側の人たちが冷静になれるチャンスが生まれる。そのチャンスを作るのが、僕たちの仕事。

「せっかくのクリスマスなんだもん。楽しくいきたいよね。」

 隣にいるパートナーにそう微笑みかけて、手近なロウソクに近付く。このロウソクに灯った火からあがる陽炎かげろうから、あちらの様子が見れる。カンテラの場合は四面を覆うガラスから。これらの灯りとリンクした人間の感情、現実での行動、事柄。そういったものを映像として見た後に、火の消し方を決める。

 色とりどりに燃える炎の色にはそれぞれ意味があって、心にともった負の感情の種類を示す。分かりやすい例でいえば、赤は怒り、青は悲しみ、などだ。

 今回の場合は緑色。

「嫉妬か…」

 こんな日に嫉妬だなんて、一体なにが起きたんだろう。外側の色だけで見れるのは大よそのことだけだから、炎の内側の方をじっと見つめる。

 一つの炎の中に何種類か混ざっている場合がある。どういった状況で、何が原因で、どんな感情に至ったか。炎を見るだけでそこまでは分かる。

「緑の中に…青色…」

 家族…とりわけ兄弟関係で嫉妬しているみたいだ。

 ここまで分かったら、いよいよ陽炎の中の映像をのぞく。はじめは映像だけ見ればいいじゃんと思っていたけど、やっていくうちに何で炎を見る必要があるのか分かってきた。

 この映像には音がない。だから中の人たちが何を話しているのかがまったく分からない。

 たとえば、ある人とある人が言い争っていても、仕事相手なのか、友人なのか、家族なのか、それとも恋人なのか…そう言ったことがまったく分からない。それを判別するために、炎の色で関係と感情を把握するんだ。

 陽炎の中には男の子が一人寂しそうに暖炉の前に座り込んでいる。脇にはビリビリに裂かれた包装紙と、乱暴に放り出された立派な外見のプレゼント。

「プレゼントが気に入らなかったのかな…?」

 しばらく見ていると、揺らめく陽炎の端から座り込んでいる子よりも小さな男の子が現れた。自分の頭よりも高い位置に、目一杯腕をのばして、立派な飛行機のおもちゃをかかげている。そしてあっというまに反対側へ走り去っていく。

 真ん中で依然座り込んでいる男の子は、小さい子が走り去ったほうをじっと見つめている。そして思い当たったように、傍にあった包装紙の切れ端をつかんで、叩きつけるように投げる。その行為が無駄であるとあざ笑うように、切れ端はひらひらと踊りながら床へ降りていく。

 ああ、なるほど。彼は、のプレゼントが羨ましかったんだ。

 横に放り出されているプレゼントは、少年には似つかわしくない立派な箱だ。たぶんだけど、背伸びをしてせがんでいた品物は、そのときは欲しかったものなんだろう。でも、弟のものを見るうちに、年相応のものが欲しくなった……。

 なんてことない単純なことだ。きっと彼は、素直になれなかったんだ。弟が欲しがったもの、それを自分も欲しかったけど、弟と同じにしたくなかったんだね。

 でも、楽しそうな弟を見て、耐えられるはずだった見栄が剥がれた。あの包装紙みたいに。ビリビリに……。

 そこまで見て、そっとロウソクから離れ、ソリの中から耐火グローブを取り出す。グローブを両手にはめてから再びロウソクに近付き、そっと包み込むように炎を消す。

 火を消して少し様子を見ていると、真っ白だったロウソクは徐々に黄色に変わっていき、空へと浮かんでいく。

 良かった。ちゃんと、幸せなクリスマスを送れるようになったみたいだ。

「メリークリスマス、ハッピークリスマス。よい夜を、よい年越しを…」


        *      *      *


 体感では何日経っただろうか。あれからずっと火を消し続けていた。浮かんでいったものもあれば、割れてしまったものも、雪へと身を隠してしまったものもあった。

 結局、僕らにできることはチャンスをあげるところまで。それから先は、向こうの人たちがすることで、決めることだ。

 でも、割れたり沈んだりすることがあちら側でと思うと、少し切ない気持ちになる。

 ロウソクやカンテラが沈んだ雪には紺やモスグリーンのシミが出来てしまう。つまり、そういう色の感情なんだ。幸い、染みになった雪はトナカイが逐一食べてくれる。来年に尾を引かないように、明日からは前を向いて生きて行けるように。

 夜はどこまでも澄んでいて、星は変わらず耀かがやいている。オーロラは満点の桃色のグラデーションで、甘く、温かい幸福の色をしている。

 浮かぶものと沈むもの。天と地ほどの差、とはよく言うけれど、本当にこんなことがあるだなんて、向こう側の人たちは誰も思わないよね。

「よし、帰ろうか。」

 トナカイは無言で頬を僕の肘にこすりつけて歩き出す。毎年の事だから、彼は分かってくれてる。慰めてくれてるんだ。

 彼を追って僕も歩き出す。空の星々と、幸福のオーロラを眺めて。顔を上げたままで。

 鼻の奥がつんと痛くなってくる。両頬をあたたかい筋が流れ落ちる。右頬は黄色に、左頬は青色に線を引かれた気がした。

「メリークリスマス!ハッピークリスマス!」

 頬をぬぐう代わりに声を張り上げる。情けない気持ちはあるけど、両頬の線はふき取りたくなかった。乾いて、自分のなかにみ込むまでおいておきたかった。

 クリスマスに辿たどり着けなかった僕の、数少ないクリスマス。たくさんのクリスマスを見ても、どれ一つとして僕のものはなかったクリスマス。

 だから、痛みも、恥ずかしさも、苦しさも、嬉しさも、楽しさも、なんて言ったらいいのかよくわからない気持ちまで全部。全部!

 今ここにある僕のクリスマスは、水滴一粒さえ失いたくない。

 空を見上げたまま、トナカイの背中に手を置いて歩き続ける。

 輝く夜空だけを見ている僕の耳には、二つの鈴の音が心地よく鳴り響いていた。

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灯りを消して、星を見て。 ざっと @zatto_8c

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