第2話

 安田ツグミ。それが私の名前だ。

 自慢のように聞こえるが、私の顔は可愛い。


 自画自賛とか、ナルシストとか、自己愛による思い込みではない。


 ただ、客観的に見て可愛い顔をしていると、正直に思っているだけだ。


 二重の目。すっと通った鼻筋。やや膨らんだ唇。

 それぞれのパーツが、バランスよく配置されている。


 黄金比、と言うものが顔にもあるらしいが、サロンでそれを測ったところ、高い数値を記録した。


 つまり、数値上から見ても、私は整った顔立ちであることが証明されたわけだ。


 でも、数値ほど私の人生が充実していたわけではない。


 どんなに可愛らしい顔をしても。

 どんなに綺麗な格好をしても。

 傷物になった顔には、何の価値もなかったのだから。


 普通の会社で、しがないOLとして働く。

 普通の生活。単調で、単純な毎日。

 退屈は当然付きまとう。


 けれど、それが私にお似合いなのだと思った。


 午前七時起床。九時に出社。六時半に退社する。

 一日のルーティーンはそれほど変わることはない。

 でも、その日はちょっとした変化があった。


 例のチラシに書かれていた映画が、なんとなく気になった。

 

 惹きつけられた、と言ってもいいかもしれない。


 不思議な老人。

 見たこともない映画。

 聞き覚えのない映画館の名前。


 それらが合わさって、私の好奇心が大いに刺激された。


 ……映画館の住所は、帰り道からそんなに遠くはなかったはずだ。





 午後六時四十五分。

 急な打ち合わせと通常の業務を終えて、私は会社を出た。


 外はすっかり暗くなっていた。

 街灯が街を照らし、分厚い雲が空を覆っている。


 普段なら電車に乗って自宅近くの駅にまで向かうのだが、この日は二つほど手前で降りた。


 宣伝チラシには地図が添付されていた。

 それを頼りに通りに出て、細い路地に入る。


 目当ての店の文字が見えた。

 『夢芝居』。その文字がネオンで光り輝いている。

 

 丸みのある二階建ての建物。

 乳白色の外壁には、俳優の似顔絵がデカデカと描かれている。


 二階には大きな丸い窓が二つ。

 窓の上の外壁に『夢芝居』と書かれた電光看板が掲げてある。


 ネオンの派手な明かりが世闇を照らしているが、電球が切れかかっているらしく、プツリ、プツリと夢の文字が点灯していた。


 一階には両開きの赤い玄関扉がある。

 扉の左右にはショーウィンドーがあり、タキシードとドレスを着た男女のマネキンが、仲良く肩を並べていた。


 道路を渡って店の前にくると、玄関が開いた。

 出てきたのは、あの老人だ。

 手には雑巾を持っている。

 

 老人は雑巾で、白く曇ったガラスを丁寧に拭いていく。

 と、彼は私に気がついた。

 老人は軽く会釈をして、にこりと柔和な笑みを浮かべた。


「お待ちしておりましたよ。お寒いでしょう。どうぞ中へ」

「は、はぁ」


 私は老人に促されるまま、館内に足を踏み入れた。


 正面には切符売り場と思われるカウンターがある。


 右側にはソファとテーブル、灰皿、ドリンクサーバー。

 左手にはトイレがあって、男性と女性のシルエットの絵が、それぞれの入り口の壁に描かれていた。


「申し遅れました。私、当館の館長をしております、種田と申します。以後お見知り置きを」


 種田さんは胸に手を当てて、お辞儀をした。


「チケットはこちらになります」

「えっ。まだ、何を見るか決めてないんですけど……」

「心配には及びません。ここで上映されているのは、一本だけですから」


 カウンターの上には、作品のタイムスケジュールが表示されている。

 表示されているのは一作品のみで、空欄の方が目立っていた。


「まもなくお時間になります。あちらへどうぞ」

 

 種田さんの手がカウンター横の通路を指した。


「ありがとう、ございます」


 軽く頭を下げて、私は廊下を進んだ。

 館内には1から5までのスクリーンがある。


 チケットに書かれているのは、2番スクリーンの3-11席。


 重い防音扉を開けて、中に入る。

 こじんまりとした室内には、私以外の客の姿はなかった。


 三列目。階段近くの席。そこが私の席だ。

 腰を下ろすと、すぐに部屋が暗くなった。


 スクリーンが明るくなる。

 映画の予告やメーカーのCMもなく、カウントダウンが始まった。


 『我が愛しい時代』


 主人公は一人の男。顔にはピエロの仮面を着けている。


 男は一介の工場労働者で、ベルトコンベアで流れてくる、機械のネジを締める仕事をしていた。


 激務のせいで精神を病んだ末に発狂、逮捕され牢屋送りとなる。


 出所した後、衣食住を保証された牢屋での生活を忘れられずに、無銭飲食をしてもう一度逮捕される。


 その移送の最中に、一人の女性と出会い、物語が展開していく。


 少しばかりの違いはあれど、大まかな流れはサイレント映画の『モダン・タイムス』そのままだった。


 時間にして一時間と少しくらいだろうか。ようやくエンドロールを迎えた。


 正直に言えば、退屈だった。


 最後まで見れたのは、チャップリン映画の流れを、綺麗に踏襲していたからに他ならない。


 これがなければ、到底見られたものではなかった。


 ただ、気になるところはあった。


 それは、この映画の最後のシーンだ。


 原作ではチャップリンが、ヒロインと二人で道路を歩き進んでいくところで、映画の幕が降りる。


 けれど、この映画ではボロい六畳の部屋で、男がヒロインと対面しながら食事を取るシーンになっていた。

 

 その何てことのないシーンが、なんとなく私の頭に残っていた。


 目新しいシーンだったから、印象に残っているだけだろう。


 そう思いながら、私はスクリーンを出た。


「いかがでしたか?」


 種田さんが言った。

 カウンターで、チケットの整理をしている。


「……ええ。とてもよかったです」


 嘘を言うには忍びなかったけど、退屈だったのは種田さんのせいではない。


 私の言動で種田さんを傷つけたくはなかった。


「それはよかった」


 種田さんは、カウンターから何かを取り出した。

 細長い紙。映画のチケットだ。


「次回のチケットになります。よろしければ、お受け取りください」


「次回? 次があるんですか?」


「ええ。あと二、三週間ほどで公開になります。さあ、どうぞ」


「でも……」


 予定が合うかどうかわからない。そう断ろうとすると、


「大丈夫。きっと貴女は来ます」


 種田さんは、そう断言したのだった。


「さ、どうぞ。お受け取りください」

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