第2話
安田ツグミ。それが私の名前だ。
自慢のように聞こえるが、私の顔は可愛い。
自画自賛とか、ナルシストとか、自己愛による思い込みではない。
ただ、客観的に見て可愛い顔をしていると、正直に思っているだけだ。
二重の目。すっと通った鼻筋。やや膨らんだ唇。
それぞれのパーツが、バランスよく配置されている。
黄金比、と言うものが顔にもあるらしいが、サロンでそれを測ったところ、高い数値を記録した。
つまり、数値上から見ても、私は整った顔立ちであることが証明されたわけだ。
でも、数値ほど私の人生が充実していたわけではない。
どんなに可愛らしい顔をしても。
どんなに綺麗な格好をしても。
傷物になった顔には、何の価値もなかったのだから。
普通の会社で、しがないOLとして働く。
普通の生活。単調で、単純な毎日。
退屈は当然付きまとう。
けれど、それが私にお似合いなのだと思った。
午前七時起床。九時に出社。六時半に退社する。
一日のルーティーンはそれほど変わることはない。
でも、その日はちょっとした変化があった。
例のチラシに書かれていた映画が、なんとなく気になった。
惹きつけられた、と言ってもいいかもしれない。
不思議な老人。
見たこともない映画。
聞き覚えのない映画館の名前。
それらが合わさって、私の好奇心が大いに刺激された。
……映画館の住所は、帰り道からそんなに遠くはなかったはずだ。
◇
午後六時四十五分。
急な打ち合わせと通常の業務を終えて、私は会社を出た。
外はすっかり暗くなっていた。
街灯が街を照らし、分厚い雲が空を覆っている。
普段なら電車に乗って自宅近くの駅にまで向かうのだが、この日は二つほど手前で降りた。
宣伝チラシには地図が添付されていた。
それを頼りに通りに出て、細い路地に入る。
目当ての店の文字が見えた。
『夢芝居』。その文字がネオンで光り輝いている。
丸みのある二階建ての建物。
乳白色の外壁には、俳優の似顔絵がデカデカと描かれている。
二階には大きな丸い窓が二つ。
窓の上の外壁に『夢芝居』と書かれた電光看板が掲げてある。
ネオンの派手な明かりが世闇を照らしているが、電球が切れかかっているらしく、プツリ、プツリと夢の文字が点灯していた。
一階には両開きの赤い玄関扉がある。
扉の左右にはショーウィンドーがあり、タキシードとドレスを着た男女のマネキンが、仲良く肩を並べていた。
道路を渡って店の前にくると、玄関が開いた。
出てきたのは、あの老人だ。
手には雑巾を持っている。
老人は雑巾で、白く曇ったガラスを丁寧に拭いていく。
と、彼は私に気がついた。
老人は軽く会釈をして、にこりと柔和な笑みを浮かべた。
「お待ちしておりましたよ。お寒いでしょう。どうぞ中へ」
「は、はぁ」
私は老人に促されるまま、館内に足を踏み入れた。
正面には切符売り場と思われるカウンターがある。
右側にはソファとテーブル、灰皿、ドリンクサーバー。
左手にはトイレがあって、男性と女性のシルエットの絵が、それぞれの入り口の壁に描かれていた。
「申し遅れました。私、当館の館長をしております、種田と申します。以後お見知り置きを」
種田さんは胸に手を当てて、お辞儀をした。
「チケットはこちらになります」
「えっ。まだ、何を見るか決めてないんですけど……」
「心配には及びません。ここで上映されているのは、一本だけですから」
カウンターの上には、作品のタイムスケジュールが表示されている。
表示されているのは一作品のみで、空欄の方が目立っていた。
「まもなくお時間になります。あちらへどうぞ」
種田さんの手がカウンター横の通路を指した。
「ありがとう、ございます」
軽く頭を下げて、私は廊下を進んだ。
館内には1から5までのスクリーンがある。
チケットに書かれているのは、2番スクリーンの3-11席。
重い防音扉を開けて、中に入る。
こじんまりとした室内には、私以外の客の姿はなかった。
三列目。階段近くの席。そこが私の席だ。
腰を下ろすと、すぐに部屋が暗くなった。
スクリーンが明るくなる。
映画の予告やメーカーのCMもなく、カウントダウンが始まった。
『我が愛しい時代』
主人公は一人の男。顔にはピエロの仮面を着けている。
男は一介の工場労働者で、ベルトコンベアで流れてくる、機械のネジを締める仕事をしていた。
激務のせいで精神を病んだ末に発狂、逮捕され牢屋送りとなる。
出所した後、衣食住を保証された牢屋での生活を忘れられずに、無銭飲食をしてもう一度逮捕される。
その移送の最中に、一人の女性と出会い、物語が展開していく。
少しばかりの違いはあれど、大まかな流れはサイレント映画の『モダン・タイムス』そのままだった。
時間にして一時間と少しくらいだろうか。ようやくエンドロールを迎えた。
正直に言えば、退屈だった。
最後まで見れたのは、チャップリン映画の流れを、綺麗に踏襲していたからに他ならない。
これがなければ、到底見られたものではなかった。
ただ、気になるところはあった。
それは、この映画の最後のシーンだ。
原作ではチャップリンが、ヒロインと二人で道路を歩き進んでいくところで、映画の幕が降りる。
けれど、この映画ではボロい六畳の部屋で、男がヒロインと対面しながら食事を取るシーンになっていた。
その何てことのないシーンが、なんとなく私の頭に残っていた。
目新しいシーンだったから、印象に残っているだけだろう。
そう思いながら、私はスクリーンを出た。
「いかがでしたか?」
種田さんが言った。
カウンターで、チケットの整理をしている。
「……ええ。とてもよかったです」
嘘を言うには忍びなかったけど、退屈だったのは種田さんのせいではない。
私の言動で種田さんを傷つけたくはなかった。
「それはよかった」
種田さんは、カウンターから何かを取り出した。
細長い紙。映画のチケットだ。
「次回のチケットになります。よろしければ、お受け取りください」
「次回? 次があるんですか?」
「ええ。あと二、三週間ほどで公開になります。さあ、どうぞ」
「でも……」
予定が合うかどうかわからない。そう断ろうとすると、
「大丈夫。きっと貴女は来ます」
種田さんは、そう断言したのだった。
「さ、どうぞ。お受け取りください」
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