この、林檎の木の下で

「今年も林檎の季節だね」


 もうすぐ熟れそうな林檎の実を見ながら、俺の嫁は懐かしそうに言う。


「ああ、そうだな」


 嫁が懐かしそうにする理由を、俺は知っているし、俺もまた懐かしいと感じる。


「私がこっちに来てからもう何年だっけ?」

「5年は経ったんじゃないのか?」

「そんなに経つの?早いねぇ」


 俺と嫁が出会ったのは、この林檎の木の下だった。

 嫁が、空から「助けてえええ」と言いながら、落ちてきたのだ。

 野球一本だった高校時代に、そんな恋愛ファンタジーみたいなことを経験するとは思わなかった。


「あの時、なんで空から落ちてきたんだ?」

「空間転移魔法が上手くいかなくて」

「上手くいかないと、異世界にくるのか?」

「わからない。こっちじゃ魔法が使えないから、あっちに戻ることもできない。そんな事実があったとしても、誰も伝えられないんだよ」

「それもそうか」


 嫁はこっちに来た最初の方は、なんとか元の世界に戻ろうとしていた。

 でも、こちらの世界で魔法が使えないこと、そもそも存在しないことを知って、段々と諦め、こちらの世界に染まっていった。


 それでもたまに、嫁は空を見上げながら、悲しそうな顔をする。


「なあ、お前は元の世界に戻りたいのか?」

「できればね。でも、前とは理由が違うかな」

「そうなのか?」

「うん。前はただ家族や友達に会いたいだけだったけど、今は私の大切な人と大切な子供を紹介したいの」


 そう言いながら、嫁は愛おしそうに膨らんでいる腹を撫でた。


「そうか。そのときは美味しい林檎を持っていかないとな」

「あと、野球も広めたい」


 そんな夢物語のような話をしながら、俺たちは林檎の木を見ていた。





*三題噺「林檎」「野球」「助けて」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る