第34話 ララとお別れをする

『大工(カーペンター)』たちの活躍によって、村にはあっという間に住居が築かれた。

 農園を見晴らすことが出来る、湖のほとりの大きな邸宅。

 100人もの大家族が同時に住めるように、いくつもの別棟と部屋とがついていた。

 ペグチェの一族は、みんな家族も同然なのだ。


 さらに、村の端っこに塔を建てることで、魔素がたまりにくい結界を生み出し、モンスターが近寄れないようにしていた。

 どうやら、神殿や王城と同じレベルのものらしく、俺が連れてきたティノーラゾウも、結界から遠く離れたところにすごすごと引っ込んでいた。


 ティノーラゾウは、長い鼻をシュノーケルのようにして空に突き出し、わずかな魔素しかないところでも平然と歩むことができるモンスターだというのに。


「ユノーティア、けっこう強力な結界みたいだけど、予算なんかは大丈夫なのか? この村の収益で採算が取れるかどうか、わかんないぞ」


「ふっ、なぁに、Wi-Fiバーンの群れから王都を救った英雄の名前を出したら、『大工(カーペンター)』ギルドの連中が精鋭を送ってくれたんだ。こちらの言い値で請け負ってくれたよ」


 などと、ユノーティアは自慢げに笑った。

 どうやらこう見えて、彼女はなかなかのやり手みたいだった。


 ユノーティアは、毎週村人たちに農業指導をしにきていた。

 一時的に彼女の『小作人(ピーサント)』にすることで、筋力補正をアップさせ、農術スキルの鍛錬ができるようにするのだ。


 そして農術以外にも、毎日かかさないように指導していたことがある。

 スライムの駆除だ。


 ユノーティアは村に来るとき、かならず村の東にある旧道を散歩していた。

 ララ村の人たちが定期的に灰をまくようになったため、スライムの姿はもうどこにも見受けられなくなっている。


 苔むして緑色になった石畳、蔦がからまった橋げた、そういった風情のあるものに、ユノーティアは特に心を惹かれているみたいだった。


「ライダー、もしこの旧道が復興したら、この村は東西の交易の貴重な峠町となるはずだ。旅人がこの村に落としていく利益ははかりしれない。多少の投資は必要経費だと私は思っている」


「まだ旧道を復興しようと思ってるんだ? 前領主はもういいって言ってるのに」


「とうぜんだ。師匠もこの道が好きだったからな」


 ユノーティアは、何気なく、師匠のことをもらした。

 師匠。

 異世界の農業技術を彼女に伝えたという、謎の人物。


 ひょっとすると、俺と同じ異世界人だったのかもしれない。

 バステトが俺を異世界に転生させた動機的にも、その可能性は、たぶん大きいはずだ。

 俺もその人の事が、気にならないわけではなかった。


「ユノーティアの師匠って、今はどこにいるんだ?」


「さあな。師匠は、『ジャガイモ』という作物をこの国に普及させようとしたが、それが悪魔の植物というそしりを受けてな。国外追放されてしまった」


「えっ……そんな、どうして?」


 ジャガイモは、痩せた土壌に強い作物だ。

 俺の前いた世界では、食糧危機を何度も救ったと聞いたことがある。


「それがどういうわけか、『ジャガイモは葉や茎を食べるもの』、という誤った本が『農術師(ファーマー)』の間に広まってしまったんだ。けれどそこには毒があって、大勢の農民が中毒になって倒れた……そのため東西南北の国で、ジャガイモの栽培が一斉に禁止されてしまったんだ」


「なんだそれ……本当にそんなことが起こるのか」


「師匠は根っこを食べるものだと必死に説いて回ったんだが、もう手遅れだった。けっきょく師匠は大きな被害を出した責任を問われて、追放されたというわけだ」


「じゃあ、ジャガイモはもう、この世界にはないってことなのか? もったいないな……」


「さあ、分からないな。師匠から正しい食べ方を聞いた誰かが、私に隠れてこっそり栽培を続けてくれているかもしれないし……あるいは、この道のどこかに師匠の『ジャガイモ』が自生しているんじゃないか、と思って、探しているんだが。なかなか見つからないんだ」


 そう言って、ユノーティアはのんびりと旧道を散歩していた。

 もし、ユノーティアがそのときの領主だったら、いまごろジャガイモは禁止されてはいなかっただろうのに。


 異世界からもたらされた新しい文明は、ときに人々を深く傷つけることもある。

 とても他人事とは思えない話だった。


 * * * * * * * *


 ひょっとすると、俺が持っている異世界の知識も、いずれこの小さな村を毒してしまうかもしれない。

 それは俺が望む、望まないにかかわらず、いずれは起こってしまうことだ。

 俺は、決意を固めた。


「ララ」


「どうしました? ライダー」


 妹たちと薬草摘みをしていたララは、俺の方に悪意のない眼差しを向けた。


「そろそろ、『農術師(ファーマー)』になってもいいんじゃないかって、思ってな」


 秋までにする、と決めていた転職の計画だったが、俺はそれを前倒しにすることにした。

 俺は焦っていた。

 一刻もはやくこの村を独立させて、元の世界に戻らなければ。


 さいわいにも、村には次々とペグチェの人々がやってきていた。


『薬草摘み(グリーナー)』の乙女たちを追うようにして、ヒツジの群れが。

 ヒツジの群れを追うようにして、『羊飼い(シェパード)』の若者たちが。


 最初は俺とララとアルケミストの3人だけだった村が、10人になり、20人になり、そろそろ村らしくなってきていた。


 最初は俺の言ったことが分からなかったようで、ララは、首を傾げた。


「ライダー、けれど農業をはじめるには、まだ色々な準備が……」


「そりゃあ、ララ1人で何もかもやろうと思ったら、準備はまだ足りないよ。けれど、もうララは1人じゃない」


 この村には、いざとなったら惜しみなく支援してくれるユノーティアも、頼りになる騎士のアルケミストもいる。

 それに、これだけ大勢の『薬草摘み(グリーナー)』がいれば、ララと同等以上の仕事ができるはずだ。

 なにもララ1人がすべてを背負う必要はない。


『農術師(ファーマー)』になる、というララの夢を聞いた妹たちは、ララの手を握って、力を籠めるように言った。


「私たちがお姉さまを支えます。足りないものがあったら、私たちがなんとかします。だから安心して転職をなさってください」


「まだ未熟かもしれませんが、ララお姉さまがいない間、私たちも成長しました。お姉さまに頼らないで生きていけるよう、みんな心構えをしてきたつもりです」


 ララは次期族長として、ひとりの『薬草摘み(グリーナー)』として、妹たちから熱い信頼を寄せられていたのだった。

 ララは、ひとりひとりの妹たちと、抱き合っていた。


「ありがとう。私の可愛い妹たち。あなたたちの事は忘れないわ」


 その日、ララは妹たちと夜遅くまで語らっていた。

 ララが『薬草摘み(グリーナー)』として、彼女と語り合うことができるのは、これが最後かもしれないのだった。


 * * * * * * * *


 夏至を間近に控えたころ、ララは、薬草のにおいがついた着物から、清らかな衣に着替えていた。


 見違えるように綺麗になって、俺のゾウの背中に乗りこみ、のんびり街に出かけた。


 移動する間、まるでお嫁にいくみたいに神妙にしていた。


 ララの背丈と対比すると、まるで巨人の建物みたいな転職の神殿に、しずしずと入っていく。

 俺はみんなを代表して、その背中を見送っていた。


 ララは、いちど俺の方を振り返って、やわらかな笑みを向けた。


「行ってきます」


「うん、行ってこい」


 俺は、ララの後姿をずっと見送っていた。

 娘を小学校に送ったときと、とてもよく似ている気がした。

 見送る父親というのは、いつも辛いものだ。


 ララと俺の冒険は、こうして幕を下ろした。


 帰り際、俺は冒険者ギルドに立ち寄って、掲示板に張り出してあったメンバー募集の張り紙を、ぺりっと剥がしてきた。


 もう俺たちは、冒険することもないだろう。


 * * * * * * * *


 ララと離れ離れになってから、俺の元の世界に帰りたい病がだんだんと強くなってきた。

 どうせララの顔が見れないのなら、はやく娘の顔を見たい。


 最初は、ペグチェの人たちが、全員村に入植するまでは待とう、と考えていた。


 彼らが山中で離れ離れになっている今は、伝令や早馬として、俺の能力がひつようになるかもしれない、と思っていた。


 けれど、族長格の人たちが、いつまで経っても村にやってきてくれなかった。

 定住化を禁止していた人たちだ。

 自分から禁止を言い出している手前、ひょっとすると、待っていても絶対に来ない可能性がある。


 いつまでも、だらだらと引き延ばしているわけにはいかない。

 どこかで踏ん切りをつけるタイミングを探していた。


 その間、俺は伝令係として、お城とララ村をいったり来たりする生活をしていた。


 アルケミストが書いた報告書を届けるのが主な役割だ。

 村の人口の変化や、村人から寄せられた相談、開発の進捗状況などを、彼らしい詳細な文章で記している。

 俺が王都の砦に書状を持っていくと、相手もそれを待ちかねているのか、毎回騎士団団長がでてきて、直々に受け取ってくれた。


「ふむ、入植者が『大工(カーペンター)』になりたいと言っているのか?」


「はい、自分たちで家も作られないのは不便だから、色々な生産職になりたいそうです」


「だが、『大工(カーペンター)』は上位職だぞ。『木こり(ロガー)』と『細工師(クラフトマン)』を両方極めている必要がある。一人立ちするのに最低でも7年はかかるし、もっと手ごろな職を目指した方がいいと思うが」


「けど、そうも言ってられない事情があるみたいです」


 じつは、ユノーティアが連れてきた『大工(カーペンター)』の人たちが、ララ村の住人になりたい、と言ってきたのだ。

 どうやら山の材木や石を調達するのに、ちょうどいい場所だったらしく、気に入ったとのことだった。


「そいつらが超イケメンで、おまけに上位職だったもので。なんというか、村の女の子たちから、すごくモテてるみたいなんです」


「なるほど、そういう事か。女の子を取られそうになって、村の若者たちが危機感を覚えたということだな」


 騎士団長は、くつくつ、と面白そうに笑った。

 若者たちにとっては死活問題だろうが、はたから見ているぶんにはけっこう面白かった。


「では、若者たちに『騎士(ナイト)』の職ならいくらでもあると伝えてくれ。とてもやりがいのある仕事だと」


「わかりました。じゃあ、俺はもうお役御免ということでいいですね?」


「ああ、俺の知っているライダーは、Wi-Fiバーンの群れを引き連れて、海の向こうに消えていった男だからな」


「というと?」


 俺が、わからない、といった顔をしていると、団長はにやにやしながら言った。


「それは、私が彼に成し遂げてほしかった事のすべてだ。そのために騎士になってくれと何度も言っていたようなものだった。けれど、愚かな私の言葉など聞くまでもなく、彼はそれ以上のことを成し遂げてみせた。だから、もう彼のやることにあれこれ口出しするのは、やめることにした」


 騎士団長は、俺の腕をかるく小突いた。

 まるで兄弟のような、気さくなふるまいだった。


「代わりにお前を信じることにした。お前の選ぶ行動が、この国にとって一番いい選択なのだと、私は信じている」


 団長の飾らない、まっすぐな言葉を受けて、俺は頷いた。

 このとき、俺の中でようやく踏ん切りがついたのだった。


「ご期待にそえてみせます……かならず」

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