第32話 農術をする

 これでも俺は理工系を進んだことがあるので、マメ科の植物の『窒素固定』は、教養程度には知っていた。


 けれど、どうしてユノーティアの師匠がそのことを知っているのだろう。

 彼がいったい何者なのかはさておき、俺たちは必要な土をそれぞれ集めてくることになった。

 けれど、そんなに遠くまで出かける必要はない、とユノーティアは言う。


「最初は土の元素だ。これはその名の通り、もともと大地に多く含まれているものだからな」


「ちなみに師匠はなんて呼んでたの?」


「これは『カリウム』と呼ぶらしい。植物から作った肥料にもっとも多く含まれる元素だそうだ」


「さいしょから地面にあるんだったら、とくに集めなくても大丈夫?」


「いいや、四元素は植物の体を形作っているものだからな。草刈りをしたり、作物を作って出荷したりすると、その土地に含まれている元素は、どんどん減っていくことになる。必ずどこかのタイミングで補給しなくてはならない」


 ちなみに、牛や羊などの家畜を飼っておけば、牧草地にちらばった元素を一ヵ所に集めて、強力な肥料を作ってくれる。


 けれど、もっと簡単に手に入れることができる方法も師匠は教えてくれていた。

 森の方に分け入ると、枯れ葉の下に腐葉土がたくさんつもっているのだ。


 何年も昔の植物が熟成したもので、アルケミストいわく、「これだけで豊富な四元素を含んでいる」らしい。

 これが土の元素だ。

 山の中にいっぱいあるそれを、袋に詰めて持っていくことにした。


「次は火の元素だ。動物の体の熱のもととなるらしい。ちなみに師匠は『リン』と呼んでいた」


「師匠、いったい何者なんだ……」


「植物なのに、火の元素が必要なんですか?」


「ああ、別名『実肥え』とも呼ばれていてな。とくに花や実をつけるときに火の元素をたくさん使うらしい。これも準備しておこう」


 火の元素は、とくに動物の『骨』に多く含まれているそうだ。

 なので、今度はそれを手に入れるため、俺たちは街に出かけた。


 宿屋や食堂をぐるぐる回って、牛や魚の骨を貰えないか交渉してまわる。

 港に近いところでは、小魚をそのまま肥料にしたりするそうだが、ここから半日かけて馬車で移動するのはさすがに骨だった。


 こうした有機肥料は、時間をかけて発酵させないと効果がない。

 つまり微生物がゆっくり分解して、はじめて植物が吸収できる形になる。


 麦の栽培を開始する頃には使えるよう、準備をしておいた。


 クローバーの種、腐葉土、骨。

 集めた元素は3種類。

 理科で習った、三大肥料と呼ばれるものが揃った。


「風の元素、土の元素、火の元素……」


 アルケミストは、それらの土にふくまれている元素を解析して、畑にまく必要がある分量を正確にメモしていった。

 けれど、あとひとつ残された元素がある。


「水の元素は?」


 最後の元素は、もはや当たり前すぎて、それとは気づかないものだった。

 水だ。 

 俺たちは、この村の水源となる湖の方へ向かった。


 面積はけっこう広くて、端から端まで泳ぐのも大変そうだった。

 これは長年の雨水がたまってできたものだ。

 これから村人たちも生活用水に使うことを考えると、かなり貴重なものとなる。


 ララは空を見上げて、水の元素が降ってくるのを待っていた。


「降らないねぇ」


「降らないなぁ」


「降りませんねぇ」


 もっと山奥の方にいくと、しょっちゅう通り雨が降るので、ララはきっとそれを待っていたのだろう。

 けれど、あいにくここはそこまで標高が高くない。

 ハスラ王国は、砂漠がすぐ近くにあることもあり、ぜんたいてきに雨量がすくなかった。

 つまり、一番の問題は、水の元素の確保となる。


「この水、毎日使ってて、足りるかな?」


「いや、このくらいの畑ならともかく、村のすべての畑に水を行き渡らせようとしたら、あっという間に干上がってしまうだろうな」


「いちばん近くの川は、ふもとまで下りないとないですね」


「毎日往復するの大変だろ。アルケミスト、井戸を掘ったりできる?」


「地下水があればですけどね。ここは岩盤がそうとう分厚いから、あっても何年もかかるかと」


 俺たちは、うーん、と頭を悩ませた。

 前の世界でも、農業なんてそんなに詳しくなかったからな。

 家の近くに畑はあったけど、あまり近づいたことがない。

 水やりって、どうしてるんだろう? 毎日やらなきゃ枯れちゃうよな?


 ふもとの川をせき止めて、水を貯めてダムにする、ぐらいしかアイデアは思い浮かばなかった。

 あるいは、がんばって井戸を掘る。

 ユノーティアは、ふっふん、と言って胸を張った。


「じつは乾燥した土地でも、水の元素をしっかり確保する、とっておきの農術があるのだ」


「おお」


 ユノーティアに、注目が集まった。

 さすが農術、そんな便利なスキルがあるなんて。

 そう期待していたら、彼女は言った。


「そういう時は『マルチを使え』、と師匠が言っていた」


「まるち……?」


「うむ、ようは畑を覆うことによって、土から水分が蒸発するのを防ぐもの、それが『マルチ』だ」


 得意げにうなずくユノーティアを、みんな首をかしげてみていた。


 ユノーティアの説明を聞いて、俺はときどき畑で見かける、黒いビニールシートのことを思い浮かべた。

 透明なビニールハウスとは別に、たまに土に直接かぶせてある、謎の黒いビニール。

 あれも畑を覆っているものだ。

 俺は畑をさわったことがないから、ずっと謎だったんだけど、たぶん、あの黒いビニールが『マルチ』なんじゃなかろうか。


 さすがユノーティアの師匠だ。

 俺も前世の記憶がなかったら、想像もつかなかったけれど、きっと農業に詳しい人に違いない。

 やってくれるぜ、バステト。

 ユノーティアは、「待ってろ、すぐに取ってくる」と言って、山を降りていってしまった。

 どうやら、『マルチ』を持ってくるみたいだ。


「ねぇねぇ、マルチって、何なんだろう?」


「聞いただけでは、僕もよく分かりませんでした……」


「俺は見たことあると思う。たぶん、布みたいなものだよ。畑を覆う感じの」


「布だったら作れそう!」


「いや、きっと水分が逃げにくい、特殊な布じゃないといけないんじゃないかな……お」


 俺は、畑の片隅にこっそり埋めてあった、ビニール・ラットの毛皮の事を思い出した。

 いつかアルケミストに合成してもらおうと思っていたやつだ。


 ぴーん、と来た。

 これでビニールシートを作ればいいんじゃなかろうか?


 さっそく、アルケミストにビニールを合成してもらって、畑を覆う特大のビニールシート(透明)を手に入れた。

 ばさーっと地面に広げ、四隅を土にうめ、風で飛ばないよう重しをする。


 じりじりと日光をあびたビニールシートは、すごい熱を帯びはじめた。


「むっ、これは……!」


 アルケミストは、ビニール・シートに起こった変化に気づいた。

 まるでサウナのように暑くなったシートの内側には、水滴がびっしり集まり、それらがシャワーみたいに、ぽたぽたと地面に垂れ続けていたのである。

 もし、一日中この状態が続くなら、じょうろで水をやっているのと、ほとんど変わらないんじゃなかろうか。


「な、なんだ、これは! これほどの水の元素が、いったいどこから……!?」


「へぇー、すごいなこれ、よくできてるなぁ」


「はっ、そうか、ビニールの中が異様な高温になることで、そこだけ空気に溶け込む水蒸気の量が増えるから、そこに周囲の土から水の元素が吸い寄せられ、水滴になって落ちる、という仕組みか! こんな簡単なことで解決するなんて!」


「アルケミスト、楽しそう」


 アルケミストもしきりに感心して、マルチを観察していた。

 まさか、毎日水をやるのに川も井戸も必要ないなんて。

 これぞ農術、としか言いようがない。


 素材となるビニール・ラットの毛皮は簡単に手に入るし、これなら大量生産も可能だ。

 わいわい騒ぎながら作業をしていると、ユノーティアがやってきた。


 俺が思っていた『マルチ』とはどうも様子が違う。

 なにやら手に持っているのは、ワラやもみ殻みたいだった。


 どうやら彼女が師匠に教わったのは、原理は同じでも『有機マルチ』と一般に呼ばれるものだったらしい。

 そうだった、うっかりしてた。

 ここは異世界なんだ。

 ユノーティアにどこの農家でもできる方法を教えようとしたら、たぶんそれしかないだろう。


 師匠が何者かは知らないけれど、この世界でビニールシートが大量生産できるなんて、想像しなかっただろうからな。


「なんだ、それは?」


 ユノーティアが、いぶかしげな目で、明らかにこの世界にとっては異物な存在である『マルチ』を見ていて、俺はどうこたえるべきか迷ってしまった。

 そっちが先に窒素とか言い出したのに、まるで俺の正体が怪しいみたいになっている。

 どうしよう。

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