第29話 Wi-Fiバーンに乗る

 雲をかきわけて進む飛空艇の前方に、モンスターの影が見える。


 コウモリの翼をもつ、巨大なトカゲ。

 Wi-Fiバーンだ。


 頭にギラっと光るアンテナのような角をつけ、常に電波のいい場所を探して、首をかくかく振りながら飛ぶ。


 わき見運転、よそ見運転、危険運転も甚だしい、凶悪なモンスターだ。


「俺もあの数は見たことがないな」


「バズ状態と呼ぶらしい。Wi-Fiバーンは50年周期で大発生する」


「2人とも、見えるんですか?」


 アルケミストは、視力が弱いのか、じっと目をすがめていたが、俺とユノーティアは視力がいいので、すぐに見分けることができた。


 Wi-Fiバーンも、1匹、2匹なら大したことはない。

 ただの羽の生えたトカゲだ。

 ランダムに飛び回るので、ぶつからずに通り抜けられることもある。


 だが、今回は空が灰色に染まってしまうほどの大群をなして海を渡ってきていた。

 エサを求めて大移動する群れが、他の群れとあわさって、さらに大きな群れを形成する。

 いくつもの群れが集合したもの。

 いわゆる、イナゴの大群みたいなものだ。


「左に旋回しろ! 正面衝突を回避する!」


 飛空艇は、バズに道を開けるように、徐々に進路を変えていった。

 いくつもの噴出口が、がこん、がこん、と角度を変え、ひときわ大きな火を噴く。

 ぐーっと、横に引っ張られていく感覚がして、進行方向が変わった。


 けれども、あまりに群れが大きすぎる。

 向きを変えた方向にも、別の群れがあるような状態だ。

 無事に回避できるかどうか、きわどいところだった。


 いや、このまま回避できたとしても、ひょっとしたら、こいつらはララのいる港町まで飛んでいくかもしれない。

 わからない、Wi-Fiバーンの飛ぶ向きは、そのときの『流行』次第だ。

 仲間と常にSNS通信を行っていて、そのときの『流行』で決める。

 動きの予測が、まるでつかなかった。


「このままじゃダメだ、俺が群れを安全なところに誘導する」


「ダメだ、相手はドラゴンだぞ? 人間が近づくことを許すと思うのか。それにこれ以上近づくと、この船の装備が持たない」


 ユノーティアは眉をひそめて、不安げに言った。

 飛空艇の風船部は厚手の布で出来ているし、本体も木製で、強度があるとはお世辞にも言えない。

 俺が『騎乗(ライド・オン)』できる至近距離まで接近して、そのあいだ船が無事ですむとは思えない。


 だが、アルケミストはふっふーん、と余裕の笑みを浮かべ、さっと手をあげた。


「ご安心くださいユノーティア様、こんなこともあろうかと!」


 船員がなにやら動きはじめ、甲板の隅で布をかぶっていた、謎の置物を引っ張り出してきた。

 布を取り払ってみると、それは腰ぐらいの高さの石でできた、大きな筒。


【大砲】『錬金術師(アルケミスト)』専用武器。


「そんなの、たった1台でどうする気だ?」


「1台でじゅうぶんなの! ライダー、お前は僕がこの船にいたことに感謝するんだな!」


 ユノーティアは、耳をふさいで大砲から距離を置いていた。

 どうやら大砲の脅威を十分に知っているようだ。

 けど、たった1台だよ?


 そういえば俺は、この世界で大砲をまだ見たことがなかった。

 火薬を作ることができるのが『錬金術師(アルケミスト)』だけなので、これも大量生産できないアイテムのひとつなのだ。


「ごらんください、万一を想定して、空でモンスターと遭遇したときの対策も万全です!」


 アルケミストは、錬金術の素材となる木炭やハスラサンリクオオカミの毛を両手に持つと、『合成』スキルを発動した。


【火薬】すごい勢いで燃焼する危険な薬品。

 ハスラサンリクオオカミの風の魔力を宿しています。


 さらにアルケミストは、硫黄と木の棒を合成してマッチ棒を作り、出来上がった火薬を大砲の中にセットしてから点火した。


「離れてくださぁーい!」


 大慌てで逃げていったので、俺たちもみんなそれぞれの耳をふさいで、じっと様子を見守った。


 大砲は、どかぁーん、という音を響かせて、周囲の物をびりびり振動させた。

 弾丸を込めていないのに、正面の雲に、ぼかっと大きな穴が空いた。


 その衝撃で、前方にいたWi-Fiバーンたちが大勢、ひらひらと落ちていく。


 魔法使いが、範囲効果魔法をとばしたときみたいだ。

 落ちていくWi-Fiバーンたちのステータスを見ると、状態異常が付与されていた。


【状態異常】スタン

 一定時間気を失います。


 どうやら、ハスラサンリクオオカミの『遠吠え』と同じ効果があるらしい。

 これがこの世界の大砲か。

 さすがに知らんかった。

 船員たちもどよめいていた。


「おお!」


「なんて威力だ!」


「まだまだ行きますよー!」


 どっかんどっかんと大砲を撃つたびに、ぼとぼとと落ちてゆくWi-Fiバーン。

 ダイナマイトで魚を気絶させる漁みたいだった。


 あたりには煙が充満しはじめ、視界は悪いし、オオカミ臭くなるし、あんまり快適とは言えない。

 けれど、群れの真ん中に道が開けた。

 ようやく向こうの空が切り開ける。


「群れの薄くなった部分を通り抜ける! 戦闘の準備をしろ! ライダー、お前は船の中に逃げていろ!」


 みなそれぞれの武器を握りしめ、Wi-Fiバーンとの衝突に備えている。

 先ほどと比べれば、ずいぶん数が少なくなってみえる。

 それでも、ぎゃあぎゃあというWi-Fiバーンの声に、耳が圧倒された。


「いくぞ!」


 とうとう、群れの中に突入し、Wi-Fiバーンとの戦闘がはじまった。

 大砲がどんどん打たれて、飛空艇はぐらぐら左右にゆれた。

 アルケミストも戦っているらしい。


 けれど『騎兵(ライダー)』は、直接戦闘に参加する能力を持ち合わせてはいない。

 ララの身に危険が迫るかもしれないのに、逃げているわけにはいかない。

 この状況で、俺のやるべきことは一つだった。

 船べりから身を乗り出して、眼下を高速で飛び交うWi-Fiバーンの姿を目で追った。


 動きがコウモリみたいにランダムなうえ、恐ろしく速い。

 どれを見ても、簡単に背中に飛び乗らせてくれそうになかった。

『騎兵(ライダー)』の最難関。

 ドラゴンの背中に飛び乗るのが、どれほど難しいものか。


 そのとき、飛空艇の真横を黒い影が急に横切っていった。


 驚いてそちらを見ると、どうやら飛空艇の上空を飛んでいたWi-Fiバーンが、1匹、気を失って落下していくところみたいだった。


「アルケミスト、あとのことは頼んだからな!」


「おい! お前まだそんなこと言って……えっ……ライダー!?」


 俺は、甲板から身を乗り出し、そのWi-Fiバーンを追った。


「ライダー!」


 そこは数千メートルもの上空だ。

 もちろん、命綱なんてない。

 俺は、青空を真っ逆さまに落下していく。


 アルケミストが何か言っている声も、すさまじい勢いで遠ざかって、あっという間に何も聞こえてこなくなった。


 俺の接近に気づくと、意識のあるWi-Fiバーンたちは、ぐるりと空中で旋回し、次々と身をかわした。


 見事な編隊飛行で、俺が通過するところだけ、ぽっかりと穴をあけている。

 あの背に飛び移ろうとしていたら、間違いなくアウトだった。


 けれど、俺が目をつけていたのは、彼らの向こう。

 さきほど大砲の衝撃でスタン状態に陥り、気を失ったWi-Fiバーンだ。


 高度は1000メートル、海面にたたきつけられるまで何秒かある。

 高速落下しながら、どんどん接近していく。

 近くで見ると、くてっと首を曲げて、目を半眼にしている。

 大きな翼がついているおかげか、落下がじゃっかんゆっくりに感じられた。


 俺は、仰向けになったそいつのお腹の上に、右手をかざした。


「ラァァァイド、オーン!」


 びかぁっ、と光が放たれ、Wi-Fiバーンの体にはぐるりとハーネスが巻き付き、背中に鞍が装着された。

 モンスターが気絶していようが、問題ない。

 瀕死の馬が走ったように。

 俺の騎乗スキルは、すべての乗り物の性能を倍加させる。


「おきろぉぉぉぉぉ!」


 Wi-Fiバーンのステータスを確認する。

 状態異常回復力が一気に上昇し、能力【スタン耐性】を獲得した。

 気を失った状態からすばやく復帰し、かっと目を開く。


 牙をむいて、翼をばさばさはためかせ、海面にたたきつけられる直前、宙に浮かび上がって体勢を立て直した。


「ひぃぃぃやっはぁー!」


 海面すれすれを、ほとんど滑空するように飛び回るWi-Fiバーン。

 体を海面になんども打ち付けながら、懸命に飛び上がろうとしている。

 とんでもない荒れ馬だ。

 俺が完全に操作しているのにもかかわらず、ランダム飛行は健在で、思うように飛んでくれない。


 上空では、飛空艇とWi-Fiバーンの交戦が繰り広げられていた。

 上空のWi-Fiバーンが一斉に同じ方向に動くと、俺のWi-Fiバーンもつられてまったく同じ方向に動く。

 どうやら、まだSNS通信の影響を受けているらしい。


「そうか……!」


 俺は、ポケットの中にしまってあった花飾りを取り出した。

 花かんむりの一部だ。

 それを構成しているのは、ララの摘んだ最高薬草、モンスターをパワーアップさせる劇薬だ。

 首にしがみつくようにして、Wi-Fiバーンの口に花を突っ込むと、全身が燃えるような金色に変色した。

 とつぜん甲高い声で叫ぶ。


「キュリリリリリリリリリィィィィ!」


 俺のWi-Fiバーンは、ワンランク上の形態へと進化した。

 Wi-Fiバーン・リロードだ。


 火の粉を飛ばしながら翼をはためかせると、リロードは、飛空艇に向かって真っすぐ飛び上がり、他のWi-Fiバーンとの間に割って入った。


 すると周りのWi-Fiバーンが、不思議なことに、次々とリロードのまっすぐな動きにしたがって、その後ろを飛び始める。


「ライダー!」


 ユノーティアが剣を下げ、アルケミストが船べりから身を乗り出していた。

 どうやら、戦闘は急にやんだらしい。


 Wi-Fiバーンは、SNS通信によって仲間と対話しあい、飛ぶ方向を決めている。

 高位ランクのリロードは、その通信網の中で、発言力が飛びぬけて高いのだ。


 だが、Wi-Fiバーンの群れを自在に操ることは、すさまじい困難を極めた。

 さすが『騎兵(ライダー)』の最難関。

 とんでもないじゃじゃ馬だ。

 気まぐれに、リロードの意見に逆らって、明後日の方向に飛んでみるやつもいる。


 大きな群れにならない程度なら、見逃すしかない。

 1匹や2匹だったら、普通に戦って倒すことも可能だ。


 けれど、なかには気まぐれにリロードに噛みついてきたり、背中にいる俺に体当たりをしてくる奴がいる。

 

 俺は命からがら体当たりをかわしながら、遠くに散らばっている大きな群れをかき集めて、飛空艇の周囲から危険を取り除いていった。


「いいぞー! 『騎兵(ライダー)』の小僧!」


「信じられねぇ! あいつ、ドラゴンに乗りやがった!」


 飛空艇の上から、船員たちの歓声が聞こえる。

 帽子を放り投げて、口笛を吹きならし、まるでサーカスに見とれるみたいに、俺を応援していた。


「ライダー! 約束しただろ! ぜったいに戻って来いよ!」


「私も許さないぞ! ライダー!」


 アルケミストや、ユノーティアの声も聞こえる。

 2人は俺が本当に危険な曲芸に挑んでいるのを知っていて、心配してくれていた。

 超高速で空を飛び回っているので、さすがに鞍の上に立ってみせる余裕はなかった。

 手綱から手を離し、親指を立てて、返事をする。


 飛空艇の周囲が安全になったら、次は港だ。

 俺は南に流れてしまったWi-Fiバーンの群れをかき集めながら、海上をひたすら飛び回っていた。


 そのまま海を南下していくと、やがて眼下に港町が見えてきた。

 俺は港町の手前でリロードを大きく旋回させ、Wi-Fiバーンの群れを遠ざけた。

 その頃には、俺の引き連れているWi-Fiバーンは、100万匹にもなっていて、空の上に雲のような尾を引いていたらしい。


 リロードと同じ金色に光る花飾りをつけた馬車が並んでいて、人々がドラゴンで薄暗くなった空を見上げて、何事か、と大騒ぎしていた。


 兵士たちも、旅人も、冒険者も、びっくりしていて、空を見上げていない人はいなかった。


 俺は、ララの姿を探した。

 ララは、ひとり離れた丘の上にいた。

 白い服と、大きな薬草籠がぽつん、と草むらに置いてあったので、ひとめで分かった。

 どうやら、薬草を摘んでいたみたいだ。

 両手に薬草をいっぱい持って、棒立ちになって、相変わらずぽかんと空を見ている。


 ララの表情は、ここからはよく見えなかった。

 いつも通り、ぽかんとしているのか、それとも怖がっているのか。


 危ないから、兵士のいるところに戻っていて欲しかった。

 けれど遠すぎて、お互いの声も聞こえない。


 ララは、両手に持っていた薬草を空に放り投げた。

 ぱっと紙吹雪のように舞い上がった薬草の中で、ララは、着物の裾をひるがえして、くるん、とその場で右に回転した。

 両手を体に巻き付けて、でんでん太鼓みたいに、反対側へ、くるん、と回る。

 くるくると回って、機械みたいに足踏みして、なにかを踊っている。

 ペグチェのダンスだろうか。

 俺もはじめて見たけれど、楽しそうだ。

 全身を使って、なにかの喜びを表現しているのが伝わってくる。


 俺は、その無邪気に踊る姿を見て、ほっと安心した。

 あいかわらず、ララが危険なところにいるのは変わりない。

 けれど今の俺が曲芸師なら、ララはこのときダンサーだった。

 ララは、俺と同じ危険と喜びを分かち合う、パートナーだ。


 いまなら、取り返しがつくはずだ。

 無事に生きて帰られたら、ちゃんと俺の事を、すべての事情を話そう。

 そしてララがいつか恋をする年頃になったら、本当に好きな人を見つけて、幸せになってもらおう。


 俺が大きく手をあげると、ララも手をぶんぶんと振った。

 俺はララに見守られながら、そのまま海の遠くへと飛んでいった。

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