第26話 ライダーが馬に乗らなくなった理由

 ユノーティアがお父様、と呼ぶ前領主は、俺が小さい頃に見た時よりも白髪が増えていた。


 体を悪くしたと聞いているので、人前にこうして出てきてきたのは、ずいぶん久しぶりのようだ。

 椅子に座っているというより、椅子に体を支えてもらっているといった感じ。


 隣には兵士がお湯を張った桶を持ったまま待ち構えていた。

 前領主はときおり思い出したように咳をして、桶から立ち昇る湯気を吸って、咳を鎮めている。


 その薬草のにおいを嗅いで、ララは小さくつぶやいた。


「ハスラショウブ。おじいちゃん、風邪なの?」


「こらっ、父さまにむやみに近づいてはダメだ、めっ」


 ユノーティアがララの首根っこを掴んで、ずりずり引っ張っていった。

 基本、子供はそういうの無頓着なんだよな。


「いいんじゃ、わしが呼んだのだから。気を楽にしなさい」


 たぶん用があるのは、俺だけだろう。

 前領主は、ひげを撫でながら、俺の方をじっと見つめた。


「大きくなったな、ライダー」


「はい、お陰様です」


 俺は、敬礼をして答えた。

 じつは前領主と会ったのは、はじめてではない。

 俺もかつて騎士団に入ろうとして、見習いの頃に声をかけられたことがあった。


「今は何をしている。あれからまだ冒険者をやっているのか」


「悪運だけは強いですから、なんとか生きています」


「それでも、綱渡りの生き方じゃろう。ライダー、わしは今でも、お前を騎士として迎え入れたいと思っておる」


「お言葉ですが、私の意思は今でも変わりません」


 前領主は、難しそうに眉を寄せ、腕組みをした。

 ユノーティアは、目を丸くして、前領主と俺の顔を見比べていた。


「父さま、私の代わりにこの男を処罰してくれるのでは?」


「誰もそんなことを言っとらんわ。ユノーティア、『現』領主だったら領民の処罰ぐらい自分でせんか。自分の手を汚すのが怖いからって年寄りを使いよって」


「で、ですが……!」


 ユノーティアは、突き放された子犬のように悲し気に眉を下げた。

 どうやら、前領主が怒りのあまり俺を呼びつけたと思っていたらしい。

 俺もそう思ってた。


 娘の頭にスライムを植え付けられたら、さすがに怒ると思ったんだけどな。

 前領主は、わりと娘に対してドライだった。

 甘えん坊さんで困っているんだ。

 やれやれ、と首を振る。


「ライダー、お前ももうまもなく、成人になるであろう。なにかお祝いでも贈らせようと思うのだが、なにか望むものはないか」


「父さま!?」


「ほれ、たとえば、ユノーティアはもう17になるのに嫁の貰い手が……いや、なんでもいい、何か欲しかったら、遠慮なく言ってみなさい」


 前領主がいま、何を言いかけたのか。

 それは誰にもわからなかった。

 前領主はただ、じーっと虚空を見つめていた。


 たとえ、俺が何をもらったとしても、いずれ手放すこの世界に欲しいものなんてない。

 けれど、いまの俺の望みはたったひとつ。

 もう決まっていた。


「村です……村が欲しい」


 農村のなだらかな丘から、山の湖の周辺まで。

 そこを開拓し、ペグチェの人々を入植させてもらいたい。


「そこはもう、Fランク冒険者でも安全に採集ができるようになっています。そのフィールドに冒険はない。平和な土地で冒険者は消滅し、ただの村人になります」


 前領主は、ふうむ、と唸っていた。

 長いひげを撫でて、考えているみたいだ。


「新しい村を作るには、その土地の監督者がいる。あいにく、わしの家臣にはそれにふさわしい者が見当たらん。モンスターに襲われる危険も考慮して、戦える者が必要だ」


「おじいちゃんじゃ、ダメなの?」


「わしにはもう、そんな元気はないよ」


 あたらしい開拓地は、つねに危険と隣り合わせだった。

 モンスターを追い払ったように見えても、渡り鳥のように遠くまで旅をしていて、あるとき急に戻ってくるものもいれば、冬眠していて、急に地中から目覚めるものもいる。

 モンスター・スタンピードと呼ばれる異常発生の現象、なども確認されている。

 その危険に、備えなければならない。


「どうじゃ、ライダー。お主がユノーティアの騎士になり、ユノーティアに代わって、その土地を管理するというのは」


「俺が……?」


「父さまぁ!」


 俺の返答を遮るようにして、ユノーティアは前領主の前に飛び出していった。

 ユノーティアは、またしても涙目になって、前領主の肩をがくがくゆすぶっていた。

 さっきむやみに近づくなとララを叱っていたのは、一体なんだったのか。


「どうしてそのような事を、私の断りもなく決めるのです! 現領主はこの私なのですよ!」


「ついさっき、スライム男にいじめられたとか言って、わしに泣きついてきたくせに……」


 前領主は、なかなか親離れしてくれないユノーティアに頭を悩ませているみたいだった。

 反対に、俺に対してはすごく優しくしてくれている。

 中身のしっかりした子供が好きなんだろうな。


 俺としては、ララのために村が作られるのなら、それは願ってもないことだった。

 けれど……俺まで騎士になってしまうのには、少しばかり抵抗があった。


「そうじゃな、武功も立てていない者をいきなり騎士に引き立てては、他の苦労して騎士になった者にも悪い。ひとつだけ条件をやろう」


 前領主は、人差し指をぴん、と立てて言った。

 俺はすぐに思い当って、頷いた。


「つまり、今度こそ、巨大スライムを倒して旧道を復興させればいいのですか?」


「えー、あんな古い道、もうわし的にはどうでもいいんじゃが」


「がーん!」


 前領主のあんまりな言い方に、ユノーティアは言葉を失っていた。

 前領主のために、スライムが怖くても頑張って守ってきたのに、そりゃあんまりだ。

 前領主は、にんまりとほほ笑んで言った。


「今はもう、空の時代じゃよ。ライダー」


 * * * * * * * *


 宿に帰ると、土砂降りの雨が降りはじめた。

 いまごろ『梁山泊』のみんなは、雨の中をスキップして遊んでいるんだろうな。

 けれど、この上品な宿にそんな客はひとりもいない。


 自分の部屋でのんびりくつろいでいると、ララがやってきた。

 頭のてっぺんからつま先まで、びしょ濡れになっていた。


「なにやってたか当ててやろうか、雨の中をスキップしてただろ?」


「ライダーもやろうよ、すっごく気持ちいよ」


「いいよ、俺は雨は苦手だから」


「苦手だったんだ」


「ああ、大体のモンスターは雨の中を動き回るのが苦手だからな。だからあんまりスピードが出せないんだ」


「ライダーはやっぱり乗り物のことばっかりね」


 ララは、苦笑した。

 部屋の隅に桶を持ってきて、濡れた髪をしぼっていた。


「おじいちゃん、優しい人だったね」


「ララの薬草がすごく役に立ってるよ」


「知ってる人なの?」


「ああ、むかしも騎士にならないかって誘われたことがある」


 もう蓋をしたはずの思い出だった。

 けれども、ふとしたはずみに思い出してしまう。


「俺は昔、騎士団に入ろうとしていたことがあったんだ。『騎兵(ライダー)』の能力しかもっていなかったけれど、きっとこの世界を改革するような、大きな仕事ができるんじゃないかって、そう思っててさ」


 具体的に、なにをどうしたいかなんて考えていない。

 ただ、政治の欠点に、科学技術の欠点、俺の前世の知識と照らし合わせて、足りないところばかりが目についていた。

 騎士団の入団試験には馬術戦があって、それなら俺もできそうだと思った。

 馬術だけはひたすら鍛えていた。


「俺のスキルのおかげか、相棒の馬もどんどん強くなっていって、馬に乗った状態からの一騎打ちでは、俺はもう負けなしだった。けれどあるとき……俺がまだ見習い騎士で、砂漠を越えて演習にいったとき、俺のチームはホブゴブリンの盗賊団に襲われたんだ」


 いままで誰にも言わなかったことだけれど、隠し事はしたくなかった。

 ララにだけは、言っておきたい気がした。


「まだモンスターを乗りこなせなかった俺は、ひとりだけ馬に乗って逃げた。数十人の仲間を同時に護ることができる方法は、ただ援軍を呼ぶことだけだったからだ……盗賊団の群れから抜け出して、山をひとつ越えて、道の向こうにあったキャンプ地に、俺は馬を走らせた」


『騎兵(ライダー)』とは、部隊が襲われたときの伝令兵だ。

 いかに迅速に行動するか。

 いかに効率よく行動するか。

 それが仲間の生死を分ける。

 俺は自分の中で、そんな理屈ばかりを自分に言い聞かせていた。

 俺と相棒は、光のような速さで森を駆け抜けていった。


「見張りの兵士の姿が見えて、俺は助けを呼ぼうとして、手を大きく振り上げたんだけど、そのとき、俺の乗っている馬が、思いっきりすっころんだんだ」


 もう馬の体力が限界なのは、明らかだった。

 俺は、そのことに気づいてやれなかった。

 スピードばかり気にしていた。

 せっかく目の前にゴールがあるんだ、俺はそのまま馬を励まして、乗りなおすことにした。


「俺の馬は優秀な馬でさ、倒れてもまた立ち上がろうとするんだ。俺ももう一度馬の背中に乗ろうとした。けれど、どうしてか上手く立てないみたいでさ、足をぶるぶる震わせて、がくって跪くんだ。何度も何度も立ち上がろうとして、その度に倒れてた。俺は、馬の異変に気づいてやれなかった。俺のところに駆け寄ってくる兵士たちが、全員真っ青な顔してさ、『もういい、やめろ!』口々に言って、ようやく気付いたんだ。馬は全身血まみれになってて、よく見たら首がなかった。首がないまま立ち上がろうとしていたんだ」


 俺は、手で首をちょんぎるような仕草をした。

 ララは、口をぽかん、と開きっぱなしにして、俺の話を聞いていた。


 俺は、『騎兵(ライダー)』のスキルで一番重要なことを知らなかった。

 その本質は、すべての乗り物の性能を倍加させるということ。

 相棒をまさに不条理な化け物にかえてしまった。

 周りが何を言っても、馬は聞こえないみたいだった。

 当然だ、首がないからだ。

 あとで騎士団長に聞いたことだが、どうやら盗賊団に襲われたとき、俺の馬は真っ先に首を落とされていたらしかった。

 その状態で山一つこえて走ってきたのだ。


 騎士団長や前領主は、俺のスキルを天与のものと見なし、騎士になるように薦めた。

 けれど、俺の中には恐怖しかなかった。

 このスキルは、この世界にあってはいけない。


「俺は地面をはいつくばって、馬の首を探したけれど、どこにもなかった。数人がかりで馬を押さえて、すごい力で暴れようとしていた。みんな顔を真っ青にして、あのときの連中は、俺の事を今でも『首なしライダー』って呼ぶらしい。俺は体を撫でて、落ち着かせてやった」


『もういい、もう大丈夫だ、みんな無事だ。ありがとう、みんな無事だ、お前のおかげだ、ありがとう』


「ようやく俺の馬は倒れて、天に召された。普通の馬に戻って、地面に埋めてやった。……そのとき思ったんだ、俺のこの力は、本当はこの世界にあるべきじゃないんだ」


 このまま騎士になってしまえば、この能力を否が応でもハスラ王国のために使わざるを得なくなる。


 俺の雑な願い通り、この世界を改革し、ハスラ王国はおおいに繁栄するに違いない。

 けれどそれは、本当は走れない馬が、スキルの力で無理やり走っているのと同じだ。


 俺がこの世界にいる間は、それでなんとかなるかもしれない。

 けど、いずれこの世界の人々は、俺の能力を失い、その負担を背負うことになる。

 その時どうなるかを考えれば、チート能力ありきの繁栄なんかすべきではない。


 俺は、元の世界に戻ることを真剣に考え始めた。

 責任のある立場には、なれない。

 生きていても死んでいても、どうでもいい奴にならないといけない。

 そうだ、冒険者ぐらいが、ちょうどいい。


 その日から、俺は自分のためだけに能力を使って生きてきた。

 自分の命に執着しなくなった。

 死を恐れなくなったとき、俺の『騎兵(ライダー)』の能力は完成された。


 けれど……俺はこうしてまだ生きている。

 6年間。

 もうすぐ15歳で、成人を迎えようとしていた。


「ライダー、あなたは『騎兵(ライダー)』の神様に愛されているのね」


 ララは、俺の顔を穴が空くほどじっと見つめていた。

 深い憂いをおびた目をしていた。

 俺のチートの秘密を見抜いたのかもしれないし、心から純粋にそうおもっただけかもしれない。


「私ね、ライダーが『騎兵(ライダー)』じゃなくてもいいんじゃないかって、思っていたの。私みたいに、転職して、何もかも、捨てちゃったら、自由になれるんじゃないかって。体が小さくて、不向きな職業でも、その方が安全に生きられるなら」


「そうか」


「けどね」


 ララは、俺の腰かけているベッドに身を乗り出した。

 顎を雨水が伝って、俺の脇に落ちた。

 何かを言いたそうに口ごもっている。


「けどね、やっぱりあなたは『騎兵(ライダー)』が一番似合っている。だって、モンスターに乗ってる時のライダーが、一番、楽しそうだから」


 ララは、俺の頬に顔を近付けてきた。

 ほっぺたに生温かい感触があった。

 ララのことだから、なにかの食べかすが俺のほっぺたについていて、それを直接食ったのかと思った。

 きっと口づけみたいな概念ないだろうと思ってたけど、意外とあるみたいだ。

 家族をはげますキスぐらいはするのだ。


「おやすみなさい、今日怖い夢をみたら、きっとライダーのせいです」


 俺がぼーっと無反応でいると、ララは、そのまま隣の部屋に行ってしまった。

 最近は部屋を別々に借りていた。


「そうだな」


 そう、それなんだよ。

 楽しいんだ。

 チート能力だもの。

 それもまた、俺の偽らざる真実なのだ。


 いずれ、俺のすべてをララに打ち明けよう。

 このとき、俺はそのことを心に決めたのだった。

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