第18話 友達ができる

 銅色のモンキーは、この群れのアルファを前に、みじんも恐れた様子がなかった。

 アルファは老い先短い老サルだ、この若いモンキーは、以前からボスの座を奪うことを目論んでいたのかもしれない。


 片手をリフトのようにして俺を乗せると、自分から大ジャンプした。


 両足よりも長い尻尾をバネのように駆使するテールランプ・モンキーの大ジャンプは、身長の3倍の高さにある木の枝に軽々と飛び移る事を可能とする。


 くわえて、さらに木の枝を蹴り、ボス猿の頭上に躍り出たモンキー。


 だが、他のサルたちがその暴挙を黙ってみていなかった。

 群れのナンバー2とおぼしき、金色と銀色の2匹のモンキーがその動きを見とがめ、垂直大ジャンプによって、ボス猿との間に割って入ったのである。


「うほうほうほぉ!」


 両手を使って壁のようにそびえる2匹のモンキー。

 鉄壁のディフェンスに阻まれ、俺を投げようとした銅色のモンキーの動きがいっしゅん止まった。


「ひるむな、モンキー!」


 しかし、俺は冷静だった。

 素早く銅色のモンキーの背中を伝い降り、ハーネスを掴んで、腰のあたりにぶら下がった。


 銅色のモンキーは手を腰の後ろに回して、そこに俺の足場を作ってくれる。

 ちょうどビハインド・パスのような動きで、俺は飛び出した。


 2匹のディフェンスの死角から、何もない空中に躍り出た。

 むき出しの地面に向かって落下していく俺を、低姿勢で疾走していた黒いモンキーが拾い上げる。


 俺がさっき『騎乗(ライド・オン)』した個体だ。


 四つん這いになって全力疾走するその勇ましいモンキーの動きは、ディフェンス猿たちには予想外だっただろう。

 群れの上位個体たちを一気に抜き去り、アルファの足元へと接近した。


 やがてアルファの真正面へと回り込む黒いモンキー。

 アルファの濁った眼光に、このモンキーが怯えているのが伝わってくる。

 俺はその肩に手を置いた。

 この俺の冷静さを、モンキーに分け与える。

 俺は、『手綱(たづな)』をびしっと張って、アルファと向かい合った。


「勝負だ、アルファ!」


 黒モンキーは、胸元に両手を揃え、地面に転がるような姿勢から、アルファに向かって俺を投げ放った。


 ボス猿に向かって、きれいな放物線を描きながら飛んでいく俺。

『手綱(たづな)』に力を籠め、いつでも『騎乗(ライド・オン)』できるように準備する。


 そのとき、黄色く濁ったボス猿の目が、ぎょっと大きく見開かれた。


 その視線は、なにか恐ろしいものを見たように、俺を見ている。

 どうやらボス猿は、俺に宿っている神のチート能力を感知したみたいだ。


 読まれた。

 俺には決して触れてはならない、と本能で察知していた。


 巨体をぐるりと反転させ、俺の軌道上から逃げるように、頭を低くさげた。


 かわされた。

『手綱(たづな)』の攻撃範囲からも、逃れてしまった。

 もうそれだけで、空中に放り出された俺には成すすべがなかった。


 どこにも掴まるものがない空中に、高速で投げ放たれた俺。

 猛スピードで迫りくる硬い木と地面。

 むき出しの岩盤に、軽量化重視の頼りない装備。


 ああ、これはきっと助からないだろう、と思った。

 もし交通事故でこの世界に来たのなら、きっと帰るときも交通事故だ。

 だが、今じゃない。

 少なくとも、ララを幸せにしてやるまでは、俺は死ぬつもりはない。


 俺は、視線を頭上、バナナの枝が交差する方に向けた。

 そこには、銅色のモンキーがいて、長い手足を巧みに使って枝をしならせ、そのバネを利用しながら、飛ぶように駆けつけてきていた。


「モンキー!」


「うほうほうほうほぉっ!」


 銅色のモンキーは、決死の雄たけびをあげ、ボス猿めがけて飛び込んできた。

 巨大なサルとサルが、空中で衝突する瞬間。

 その長い指先が、俺にそっと差し出され、一瞬、ほんの一瞬だけ、空中に新たな足場を生み出してくれた。


 俺はその手の上に、両足でしっかりと立った。

 わずかに手のひらを置いて、モンキーに俺の冷静さを伝えた。

 そして銅色のモンキーとぶつかり、いまにも倒れこもうとするアルファめがけて、自力でジャンプした。

『手綱(たづな)』を空中でふるって、全力をこめ、スキルを発動する。


「ラァァァァイド・オーン!」


 びかぁっ、と眩い光が放たれ、いっしゅん辺りのものはなにも見えなくなった。

 アルファと銅色のモンキーは、激しくもつれあって、地面に転がった。


 上下がひっくりかえり、あたりは何度もぐるぐる反転していった。


 5メートルの巨大なモンキーが俺の上にのしかかってきて、命はもうないものと思った。


 地面の岩をえぐりながら、転がっていくアルファ。

 体中のあちこちに凄まじい衝撃による痛みが走る。

 だが、俺は不思議なことに生きていた。

 まだ生きている。


 見上げると、俺を見るアルファと目があった。

 その目は、俺と同じで、とても冷静だった。


 どうやらアルファは、両手で俺の体を包み込み、事故から守ってくれていたのだ。


「ライダー!」


 ララの声が聞こえてきた。


「ララちゃん! あぶねーし!」


 ライオンの制止を振り切って、俺のところに駆けつけようとしている。

 周りにいるモンキーたちも争いをやめ、アルファと銅色モンキーの決闘の行く末を、遠くからかたずをのんで見守っていた。


 アルファは、自分の体に降りかかっている瓦礫を弾き飛ばして、片腕をにゅっと突き出した。

 空高く持ち上げられたその手の中に、俺はいた。

 まるで、みんなに見えるように俺を掲げているみたいだった。


「うーほー!」


 アルファの雄たけびだ。

 そのとき、森の中にモンキーたちの歓声が響き渡った。


「うーほー! うーほー! うーほー!」


 アルファへの『騎乗(ライド・オン)』が成功したことで、同時にその配下にあったモンキーたちも、次々と俺に降伏の意を示したのだ。


 もうこの森に敵はいない。

 まるで新リーダー誕生の瞬間に立ち会ったかのように、モンキーたちは興奮している。


「ライダー!」


 俺はアルファの腕から飛び降り、真正面から走ってくるララを受け止めた。

 重たい感触が腕にのしかかってきた。

 相変わらず薬草のにおいがして、ちょっと震えているみたいだった。


「怖くなかったか?」


 ララは、首を振った。

 やっぱり怖かったみたいだ。


「ライダーがいなくなるのは嫌です、私の前からいなくならないと誓ってください」


 それは、いずれこの世界から退場しようと考えている俺にとって、決して守ることの許されない約束だ。

 けれど、俺は軽く請け負ってしまった。


「ああ、約束する」


「うぉぉ! ライダー! よかった生きてたぁ!」


 ライオンが目から大量の涙を流して、俺とララを同時に包み込むように抱きしめた。


「ライダー、あんた『騎兵(ライダー)』になるべくして生まれた奴だよ。なんか知らんけど超ヤバかったよぉ」


「ライダー! カッコよかったわ!」


「信じられない、言っても誰も信じてくれない」


 ウサギも、サンショウウオも、かわるがわる俺の頭を撫でていた。

 どんなにカッコよくても、小さな男の子に対する扱いは変わらないのだった。


 * * * * * * * *


 モンキーたちの群れを実質支配した俺は、ララやライオンたちを人数分のモンキーの背に乗せて、ゆったり森を出て行った。


 森を抜ける途中、ララの薬草籠の中にバナナがどんどん増えていったので、みんなでバナナをもぐもぐ食べながらの移動となった。


 食物繊維が胃でふくらむので、けっこうもたれる。

 けれど、捨てていくとまたモンスターたちが強化されてしまう、というジレンマに陥っていた。

 ライオンたちは森から出ると、俺とララに向き直って言った。


「ここから先は、私たちだけでいくよ……ララちゃんを連れて戦うのは、私たちには荷が重すぎるし」


「そうね、ララちゃんは、いつものんびり歩いていた方がいい。たまに会うくらいが丁度いいかも?」


「そういう言い方はあれだけど……ララちゃんにはララちゃんの役割があるっていうか、まあ、ここまでつき合ってくれて、ありがとう」


「ずっと友達で、いてくれる?」


「もちろんっしょ?」


 ライオンは、しょんぼりしているララのほっぺたを撫でて、にこっと笑った。

 ララにとって、はじめて経験する友達との別れだ。

 ウサギはララの手をにぎって、ぶんぶん上下に振っていた。


「薬草、今度あったら、たくさんくださいね?」


「うん、たくさん用意してるね。ウサギさん」


「薬草はいいけど、また一緒に散歩するっしょ」


「わかったわ、ライオンさん」


「わたし、バナナ気に入った。バナナも欲しい」


「覚えておくわ、サンショウウオさん」


 ララは、3人の姿が見えなくなるまで、ぶんぶん手を振っていた。

 夕日が空を染めて、森ではモンキーたちがバスケみたいな試合をはじめていた。

 尻尾のランプが森の中を煌々と照らすため、その試合は夜遅くまで、延々と続くのだった。


「友達ができたな」


「うん、ライダー」


 ララが、にこっと笑った。

 けっきょく仲間は手に入らなかったけれど、大事な友達だ。


 俺がララの前からいなくなっても平気でいられるように、大事な人をたくさん作らなければならない。

 やれやれ、大人は大変だ。

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