第11話 ビニール・ラットを討伐する

 ざわざわ……。


 森に風が吹き始め、木々がざわめきはじめた。

 香炉の火から出てくる紫色の煙が、もうもう、と風に流されて、さらに広範囲に広がっていく。


 ララの方を見ると、彼女は薬草籠をひっくり返して中身を地面にばらまき、空っぽになったそれに、よいしょっと足をひっかけていた。

 そのまま薬草籠の中にすっぽり収まってしまうと、小さく縮こまって、辺りの様子をきょろきょろ観察していた。


 なにあれ、かわいい。

 だが、これこそ『薬草摘み(グリーナー)』が使える最大の戦闘用スキル。

『籠に隠れる』だったのだ。


 やがて、森の奥から、ちゅーちゅー、とネズミの鳴き声が聞こえてきた。

 その灰色の姿を、俺の目はしっかりととらえた。


 鳴き声はネズミだが、その体躯はイヌくらいある。

 それも1匹や2匹ではない。

 地面を隙間なく埋め尽くし、群れているネズミたち。

 桜の花びらとか、山の紅葉とか、そういった意志を持たないものの群れみたいだ。


 おいおい、100匹じゃきかないぞ。

 1000匹くらいいるんじゃないのか。

 あんな数にたかられたら、俺なんて一瞬で骨にされてしまうに違いない。


 ネズミの泣き声に交じって、バチバチ、と静電気が発生するような音も聞こえていた。

 これはビニール・ラット特有の放電現象だ。

 あたりにビニールが燃えたときのような異臭が漂い始める。

 あまり嗅ぎすぎると一酸化炭素中毒になるという。


「ララ、息を止めていろ!」


 俺は『騎兵(ライダー)』の専用武器を握りしめた。


 戦闘用の剣もあるが、いまの俺にはこれで十分。


 馬を操るための『手綱(たづな)』だ。


 びしっと手綱を引っ張って、モンスターに狙いを定める。


 魔物呼びの粉のにおいに引き寄せられ、大喜びで突進を繰り返すネズミたち。

 狙うは、その群れの一番デカい個体だ。

 ウシとはいかないまでも、ブタくらいのデカさ。

 おそらく、こいつが俺の『乗れる』限度の大きさだろう。


「とうっ!」


 俺はボスネズミに向かって飛び跳ねると、頭に手のひらをかざし、『騎兵(ライダー)』のスキル『騎乗(ライド・オン)』を発動した。


「ラァァァァイド、オーンッ!」


 びかっ、と光が放たれ、神の意志がこの世界の摂理を90度かたむけ、スキルを発動する。


 気が付くと、俺はボスネズミの背中に出現した鞍にまたがり、手綱をひっぱって、あたかも馬のように騎乗していた。

 めちゃくちゃ小さい。

 本当に足で立っているぐらいの幅しかない。

 だが、騎乗、成功だ。


「ひぃぃぃぃぃはぁー!」


 ボスネズミは、俺が背中に乗っている重さをまったく感じさせない、凄まじいスピードで森をかけていった。


 そのボスに付き従って、数百匹の子分たちがちゅーちゅー、と鳴きながら突進している。


 むろん、振り落とされたら俺の命はない。

 座ることができないので、後ろ足で立ち上がったり、木の幹をよじ登られたりしたら、たぶんアウトだ。

 いま落ちたら、子分たちの長い前歯で、あっという間に食われてしまう。


 籠の中から様子をうかがっていたララが、目を見張っていた。

 魔物除けの香が焚き込められている籠には、ネズミたちは近寄れない。


「ライダー!」


 俺は手綱から片手を離し、ララにVサインを送って余裕を見せた。


 本当に余裕があったわけではない。

 けれど、信じなければならない。


 馬は、背中に乗っている騎手の姿が見えない。

 その分、騎手の感情に非常に敏感になるという。

 騎手が少しでも恐怖したとき、馬は騎手に不信を抱き、コントロールを失う。


 恐怖を乗り越えたものこそ、『騎兵(ライダー)』のスキルを成功させる。

 だから、心から今の状況を楽しめなくてはならない。


 俺とボスネズミとの勝負だ。


「ははは! ヨーロッパかアメリカか、どっかにブタ・ロデオっておバカな祭りがあるの知ってるか! お前そのブタにそっくりだよ、ビニール・ラット! 俺がダイエットにつきあってやるぜ!」


 俺は手綱を離し、香炉をぐるぐると振り回し、前方に投げ放った。


「いけぇぇぇ!」


 ボスネズミが前方に向かって突進した。

 そして――急に足場を失った。


 俺はネズミの群れを崖の上に誘導していたのだ。

 眼下には大きな湖が広がっていて、しばらくの間、上下の感覚をなくすほどの浮遊感があった。


 ボスネズミのあとに続いて、ネズミの大群も飛んでくる。

 いきおいよく湖にどばどばダイブしていった。


 電気系ネズミは水を泳ぐことができない。

 その隙に、俺は岸辺になんとか泳ぎ着いた。


 びしょ濡れになって、湖からあがってきた俺を、ララは口をあんぐり開けて見ていた。


「とったぞ、ララ」


 こうして、俺のクエストは終了した。

 湖で溺れた大量のビニール・ラットたち。

 これだけ討伐したら、当分は生活費に困らないだろう。


 収穫を麻袋に詰めて口を縛り、よいしょっと背負う。

 めちゃくちゃ重たかった。

 ぴくりとも動かない。

 せっかく討伐したのに、その100分の1も報酬が受け取れない。


 俺は、再び手綱をびしっと両手に構えて、モンスターの姿を探した。

 なんでもいい、大型の。

 荷物運びにしたい。

 あちこち探しまわって、ようやく崖に隠れていたでっかいヤギのモンスターを捕まえてきた。


 湖のところまでひっぱっていくと、ララは地面にしゃがみこんで何かやっていた。

 いつもの薬草摘みではなく、砂山を作って遊んでいるように見える。

 けれど、違った。

 どうやらこれまで採ってきた薬草を次々と植えているらしかった。


 モンスターの魔素を吸って、薬草は魔法的に成長する。

 明日からは、この辺はすっかり元の薬草畑になっているだろう。


「間引きだけじゃなくて、植え替えたりもするんだな」


「うん」


 なんだか、ララの顔色がよくなかった。

 手をあわせて拝んでいるので、どうやらビニール・ラットのお墓のようでもあった。

 この世界にも、命に対して真摯な人がいるのだと、俺は感心した。


「ライダー」


「ん?」


「ライダーが無事でよかった」


 ララは俺の事を必要としてくれていた。

 ララがいてくれるお陰で、俺はまだ自分が生きていることに感謝することができる。


 植えたばかりの薬草畑は、日がさんさんと照っていた。

 種類はバラバラで、オオキクに、オトギリソウに、カブ。

 いったいどんな畑になるんだろう。


「ララ、明日また薬草採りに来ような」


「ぜったいですよ、ライダー」

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