第8話 ララの夢を聞いてみる

 ララと出会って2日目の朝、俺は宿屋の床で目を覚ました。

 いつの間にか眠っていたらしい。

 頭がズキズキしていたけれど、今日はどうしても冒険者ギルドに向かわないといけなかった。


 はやく今回のクエスト報酬を受け取らないと、宿代が払えない。

 けっきょく、昨晩は俺の分の宿代まで支払うことができず、おばちゃんにツケにしてもらっていたのだ。

 スピードが命の『騎兵(ライダー)』として、一分一秒の遅れも許されない。


 隣には、小ぶりなベッド、その反対側にはパステルカラーの壁紙が貼られている。

 文机には女性が使いやすいぐらいの大きさのあみ籠や、お馴染みのスワッグも飾られ、小物にこだわりを持っているのが感じられた。


 いつもの『梁山泊(りょうざんぱく)』とはまるで違う、慣れない環境にちょっと戸惑った。


 日の出前から庭で鍛錬をはじめる脳筋系ジョブに、日の出と共に床にぶっ倒れる徹夜系ジョブ。

 壁の隙間から早朝の冷たい風が吹き込んでくることもなければ、馬屋のにおいとニワトリの鳴き声に悩まされることもない。

 小さく、居心地のいい、こじんまりとした個室。

 陽だまりにクリーム色のウサギのぬいぐるみが置いてあった。

 昨日、ララが宿屋のおばちゃんにもらったやつだ。


「ララ、いるか? 俺はギルドに行ってくるから」


 洗面室をノックしてみたけれど、返事はなかった。

 ひょっとすると、一人で街に出ていったのだろうか。


 よく考えてみると、ララが俺と一緒に行動を共にする理由は、特にない。

 俺はララとチームを組んでいる訳でもないし、ましてや保護者でもない。

 彼女の行動をあれこれ詮索するつもりはないし、いちいち束縛していたら面倒なだけだ。


 都会で生きていくために、必要最低限のことは教えたつもりだ。

 困ったときは大声で騎士を呼ぶように言ってあるし、ララはのんびり屋だが案外頭がよく回る。

 けれど、気になって仕方がない。

 大事な事を忘れたりしていないだろうか。

 悪い大人に捕まったりはしないだろうか。

 不安ばかりがむやみに募っていく。


 * * * * * * * * *


 とにかく、冒険者ギルドに向かうと、なぜかララはそこにいた。


 服装は昨日と同じなのに、洗濯したように真っ白だった。

 小さなかかとをくいっと持ち上げ、背伸びをして、Fランクの依頼書が張り出されている掲示板を、食い入るようにじっと見つめている。

 唇がにゅいん、と尖って、標的に狙いを定めているカエルみたいだった。


 この国は識字率が低いので、依頼書は絵でぱっと分かるようになっている。

 どうやらララが見ているのは、薬草採集のクエストみたいだった。


 そのララの隣で、戦士系の武骨なおっちゃんが、Cランク掲示板の依頼書とじっくりにらめっこしていた。

 こっちには賞金首の絵が並んでいて、まるで絵とにらみ合っているみたいだった。

 ララもおっちゃんをじっと見て、真似っこするように依頼書とにらみあっていた。

 おっちゃんは、ようやく決めたのか、ぺりっと掲示板から引きはがした。


 受け付けのお姉さんは、おっちゃんの態度の悪さに眉をしかめていた。

 本当は掲示板から依頼書をはがしちゃいけないんだ。

 だって紙が無料で手に入るような文明社会じゃないから。

 A4が50枚で銅貨2、3枚(1000~1500円)という時代だ。ギルドだって経費削減に頭を悩ませているのに。


 おっちゃんのさらに悪いことは、それをララのように純粋で無垢な子供に見せてしまった、ということだった。

 真似っこが大好きなララは、ぺりっと、薬草採集の依頼書を掲示板から引きはがした。

 さらに、伸びあがってもう一枚、やはり薬草採集の依頼書を、ぺりっ。

 もう一枚、ぺりっ。

 台にのぼって、高いところにあるのも、ぺりっ。

 ぺりっ。


 ララは、計5枚の依頼書を大事に胸に抱きかかえて、受付けに向かおうとしていた。


「待て、ララ。何をするつもりだ」


「あっ、ライダー!」


 もう受付けに怒られるのが目に見えていたので、俺はララを阻止した。

 けれど、ララは目をキラキラさせて振り返った。

 目の輝きが宝石みたいに尋常じゃない。

 悪意などみじんもなかった。


「みて、薬草採集のクエストがこんなにあったの! ライダーも受ける?」


「クエストを受けるってどういうことか、ララは知っているのか?」


「ええ、ここに書いてある場所に行って、薬草を摘んでくればいいのよね? 昨日、市場で教えてもらいました」


「あれ、文字が読めたのか?」


「山で暮らしていると暇なの」


 ふふん、とララは言った。

 なるほど、歩いていたら薬草が手に入るぐらいのレベルになると、一日で仕事に費やす時間が格段に減るので、かなり暇を持て余すのだ。

 さらに、ララは次期族長の女の子だ。

 きっと余った時間は厳しい教育に費やされているんだろう。


「こんなの、1日で集められるわ。行きましょう、ライダー!」


「ララ、落ち着け。その前にちょっと言わなきゃいけないことがある」


「なに? あっ、ライダー、おはよう! いい天気だね!」


 にこっ、とほほ笑むララ。

 昨日の残念な泣き顔とは、まるで対照的なアイドルみたいな笑顔だ。

 女の子に挨拶されるのも悪くないな、と思ってしまった俺は、けほっと咳払いした。


「おはよう。まず、それらを元の場所に戻せ」


 ララは、俺の言うことに素直に従った。

 依頼書を一枚一枚、掲示板の元の場所にぺた、ぺた、とはりつけていった。


「ここにある依頼を受けるには、冒険者ギルドに登録する必要がある。ララはもう登録を済ませているか?」


「はい、済ませました」


 ララは、首から提げている銀色のプレートを俺に見せた。

 さすがララだ、のんびりしている癖に、そつがない。

 俺は、大仰にうなずいた。


「よし、ならお前はもう立派な冒険者だ。先輩の俺から新人冒険者に対して、教育しておかなければならない事がある」


「なあに?」


 わくわく、といった表情で近づいてくるララ。


 俺は、左右の指を体の前で組み合わせ、中指をぐいーっと反り返らせ、ララのおでこの体温が伝わるくらい近くに接近させて、超至近距離から、ぴちこーん、とデコピンを放った。


「おぐっ」


 首がすわっていない赤ん坊みたいに頭をのけぞらせたララ。

 ララは、額をおさえて目をぱちくりさせた。


「洗礼だ、あんまり勝手なことはするな」


 すんげぇいい音が鳴った。

 俺は、指を一本立てて、ララの鼻先に持って行った。


「いいか、1人が受けられるクエストは、1回に1つまでだ。それが完了するまで、他のは受けるな」


 ぽかーん、と口を開けて固まったララ。

 これは、俺が冒険者たちと話し合って決めた協定だ。

 明文化されたルールではないので、ララが知らなかったのも無理はない。


「えー、なんで? 薬草が欲しい人がいるんでしょ? なら、たくさん持って行った方がいいでしょ?」


「依頼者にとっては、そうなのかもしれない。けど、この冒険者ってシステムは、騎士団の目が届きにくい辺境の土地の安全を確保する役割もあるんだよ」


「どういうこと?」


「たとえば、山のどこかでモンスターが増えていないか、道が通れなくなっていないか。放っておくと一般人に被害がおよぶかもしれない問題を、なるべく早いうちに発見することができる」


 ここは領地の半分ちかくが未開の山なので、ここの治安維持に努めている騎士団は、そういう問題に悩まされていた。

 それで俺は冒険者ギルドを利用して、山の情報を集めてはどうかと打診したのだ。


 薬草採集は、たとえ非力なFランク冒険者でも、その土地では薬草が採集できる程度に安全だ、という証拠の役割の方が大きい。

 モンスターがちょっと増えたぐらいなら、勝手に退治して解決してくれるし、もし冒険者が期限までにもどってこなかったら、その土地に何か異変が起こっている、とわかる。


 騎士団とかけあって、なるべく多くの依頼を冒険者ギルドに落としてくれるよう頼んだ。

 冒険者は定期的な仕事ができるようになったし、騎士団は王都内部の仕事に集中し、辺境に関しては、受注されず、手元に戻ってきた依頼だけやればいい。

 お互い経営難なので、なんとか支えあうようにしてもらったのだ。


「ララ、もしお前が5つも6つもバラバラなクエストを同時に受けて、とちゅうで迷子になってここに戻ってこれなくなったとしよう。俺は一体どこにお前を助けにいけばいいんだ? いいか、依頼は1つだ」


「そうか……」


 ララは、壁に張り出された地図を見て、納得したようすでうなずいた。

 海に突き出した逆三角形の巨大半島と、南海の島、それがハスラ王国のすべてだ。

 現在、冒険者ギルドに届いている依頼の目的地を示すピンが、至る所に突き刺してあった。

 ララの生活圏のすべてだった神の山は北の方にあって、ピンがいくつも突き刺さって、針山のようになっている。


「じゃあ、ひとつにする。ライダーに助けに来てもらいたいもん」


「いや……俺が助けにいくことを期待されてもだな」


 俺は腕組みをして、額をぽりぽりかいた。

 どうやら、言いたいことは伝わったみたいだが。

 それは本当に俺の言いたいことじゃなかった。


「ララ、たぶんお前だったら、わざわざ危険なクエストなんてしなくても、そのスキルだけで当分暮らしていけるよ。街をちょっと歩いているだけで、宿代が稼げるぐらいなんだし、冒険者なんて、遊び半分でやるものじゃない。……それとも、まとまったお金が必要だったりするのか?」


「はい」


 ララは、小さく頷いた。

 俺はおどろいた、つい昨日、お金の概念を教わったばかりなのに。

 まさか昨日のうちに、なにか買いたいものでも見つけてしまったのか。

 クエストを受けようとしていた理由を、彼女はこう言った。


「私、『農術師(ファーマー)』になりたいの」


「ふぁー……まー……」


『農術師(ファーマー)』。


 なんだろう、その職業は。

 聞いたことがなかった。

 はたして、神の提示してくれたリストの中に、そんな職業があっただろうか。


「なんだ、その『農術師(ファーマー)』っていうのは?」


 ララは、こくり、と頷いた。

 いつもより緊張した声音で、ララは言った。


「言い伝えによると、『農術師(ファーマー)』とは、すべての採集系ジョブを極めたものだけが到達することができる、究極の採集系ジョブのことらしいわ」


 採集系。

 それは薬草摘みにはじまり、狩人、木こり、漁師、鉱夫など、フィールドからちょくせつ素材やアイテムを収集するスキルに特化した職業のこと。


「それらをすべて極めると……どうなるんだ?」


「それぞれの職業の上位スキルが開眼して、モンスターを捕まえて家畜化し、暦(こよみ)を読んで植物を栽培し、さらにフィールドを開墾して、お家のまわりで大量に採集できる環境を生み出すといわれているわ……まさに、採集系の頂点に立つ、万能のジョブなの」


 なるほど、そうか。

 俺は、ようやく『農術師(ファーマー)』の正体に思い当たった。

 農家だ。

 家畜を飼って、薬草を栽培して、お家のまわりを開墾する。

 どう考えても、農家だった。

 たしかに、採集系の進化したものではあるけど。


 ララは、はかなげな笑みを浮かべ。

 涼し気な目元で、薬草採集の依頼書をじっと見つめた。


「ペグチェには、『農術師(ファーマー)』がいないのよ……だから、私はお金を貯めて、神殿で資格試験を受けて、その技術を一族に伝えたいの」


「へー、農家になるのに資格がいるんだ……ちなみに、何を作るか考えてるの?」


「とりあえず、麦」


「麦」


「去年の秋、旅の商人から北国でも問題なく育つっていう麦をもらったの。だけど、どうやって栽培すればいいのか、誰も知らなくって……だから、大事にとって宝石箱に隠してあるのだけど、妹たちが毎日こっそり取り出しては、袋をふって、中身が増えるようおまじないをしているのよ」


 しゃかしゃか、と袋をふる仕草をするララ。

 むろん、そんなことをして麦が増えるわけがない。

 けれども、流浪の民の平均的な教養では、その程度のことがわからない。

 一日かけて薬草を探しまわって、ようやく生きていくのが精いっぱいだ。


 ララは、そんな妹たちの事を愛おしいと感じてしまった。

 妹たちのことを話すときは、微笑ましいような顔をするのだった。


「私は、その子たちに麦の育て方を教えたいの。いつまでも流浪の生活ばかり続けてはいけない。私が長として、ペグチェを導いていかないと」


 俺は、うん、と頷いた。

 ララは、こんなにちっこい子なのに、ちゃんと一族の事を考えて行動しているんだ。


「よし、わかった。そこまで言うのなら、俺もララの夢のために協力しよう」


「協力してくれるの?」


「ああ」


 俺は、ララの思い描く未来を見てみたくなった。

 ララならきっと、立派な族長になれる。


 歴史的に見れば、小さな出来事かもしれないけれど、それは多分、重要な一歩だ。

 ララは、にこっと笑うと、両手を前に差し出して、お願いのポーズをした。


「じゃあ、ライダー、私が『農術師(ファーマー)』になったら、牛に乗って畑をたがやしてくれる?」


「もちろん……えー」


 俺のポジション、そこかぁ……。

 急に俺の未来が色あせてしまった。


 けれど、俺の未来なんてどうでもいい。俺の中身は前世とあわせて50過ぎの枯れたおっさんだもの。

 この世界の事は、この世界の若者にすべて託して、そして消え去るだけだ。

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