第7話 はじめての宿屋

 王都にある騎士団の砦は、なんかトゲトゲのついた武器みたいな印象を受ける、頑丈な建物だった。


 360度あらゆる方角に向かって砲弾を転がす樋(とい)が、ぜんぶで120本しかけられている。


 昔はここまでが城の城壁の外、つまり、外敵と戦う最前線だったらしい。

 ハスラ王国の建国から150年の歴史を誇る、もっとも古い建物だそうだ。

 

 俺はそんな砦の作戦会議室に使われていた部屋で、ここ10年くらい団長を務めている青年と対面した。

 領主お抱えの騎士で、俺とも多少の面識がある。


 俺が団長と最後に会ったのは、俺が最年少で冒険者になったときだ。

 団長がじきじきに挨拶しにきてくれたと、冒険者ギルドでも話題になった。

 俺がクエスト完了の報告を終えると、団長は眉間を指でもみながら言った。


「そうか……先ほど冒険者パーティからも、似たような報告があった」


「こちらの報告が後になりました。申し訳ございません」


 今回の依頼は、俺が騎士団から助っ人を頼まれた形だった。

『なんでも屋』の冒険者ギルドによく集まる依頼の一つ、傭兵稼業みたいなものだ。

 騎士団に作戦完了と言われるまで、付き合わないといけない。


「気にするな、お前が時間を無駄にしないのは、誰でも知っている……トヨタ方式だったか?」


「2Sです」


「うむ、ご苦労だった。報酬は冒険者ギルドに送ってあるので、時間のある時に受け取るといい」


 常に整理整頓を心がけることによって、無駄を省いてゆく。

 世界に通用するトヨタ方式は、やっぱり異世界でも通用した。


「団長……依頼とは別件で、報告したいことがあります」


 ララの事を報告しようと思った。

 ララは平気そうに言っていたが、まだ13歳の女の子だ。

 都会にひとりで住むのは危険だし、やはり家族の元に帰してあげたかった。


「今回の功績は、『薬草摘み(グリーナー)』の少女の助けによるところが大いにあります。彼女にたいする恩賞もお考えいただけませんでしょうか」


「ふむ、では領主にいいように伝えておこう。1000人ぶんの薬草を提供して、1000人ぶんの命を救ったとなれば、異邦人といえどもそれ相応の恩賞はいただけるだろう」


「ですが、問題が」


「なんだね」


「現在、彼女は家族とはぐれてしまい、迷子になっています。今は私が仮に保護していますが、早急に家族を見つけてあげる必要があります」


「ライダー、神の山は国境地帯だぞ。いくら私でも管轄の外で流浪の民を探し出すのは無理だ」


「今ならまだ、領地内のどこかにいるはずです」


「領地内といっても山の奥深くだろう。あんまり無茶は言わないでくれ」


「そこをなんとか。山をローラー作戦で捜索すれば見つけられるはず」


「また新しいテクノロジーを……お前のおかげで領主から過大評価される私の身にもなれ」


 俺はなんとか食い下がろうとしたが、団長は首を縦に振ってくれなかった。

 俺は、むう、と押し黙った。


 団長がしぶる気持ちも、分からないでもない。

 崖崩れの件は、まだ被害の大きさもはっきりしていないし、これから災害復興のために、どんどん人員を投入していく準備をしなくてはならない。

 ローラー作戦にまで人員を裂いている余裕なんてないんだろう。


「ライダー、騎士団はこれから忙しくなる。その少女の功績は個人的にも認めたいところだが、今はそこまで手を回すことが出来ない。それに、今は君が保護してくれているのだろう?」


「はい」


「だったら現状維持だ。引き続き保護をしていてくれ。そのうちなんとかする」


「ありがとうございます」


 ここが引き際だな、と思った。

 前向きな言葉を貰えただけで上出来だ。

 引き返そうとすると、団長は俺を呼び止めた。


「ライダー、もし君が私の騎士団に入団するというのなら、私は君にその作戦の指揮を取らせたいのだが……どうかな」


 団長は、最後に俺に会いに来た時も、同じようなことを言った。

 騎士にならないか。

 俺は、その話をきっぱりと断った。


「俺は明日交通事故で死ぬかもしれないような騎兵(ライダー)ですよ。俺に何か大事なものを守る役目をさせるのは、まちがっています」


 * * * * * * * * * *


 そうだ、俺は交通事故でこの世界にやってきた。

 だったらもう一度、交通事故に巻き込まれれば、元の世界に戻れるんじゃないか。

 今までそんな軽い気持ちでいたんだ。


 この世界にあまり未練を残さないよう、なるべく何も持たないことを心がけてきた。

 仲間を捨て、家族を捨て、責任を捨て。

 無駄は一切省いて、何事もスピード重視で、すい星のごとく現れて、すい星のごとく去る。

 騎士なんて責任重大な立場にいちゃじゃダメだ。

 いつ死んでもおかしくない、冒険者ぐらいがちょうどいい。


 けれど、ララが現れて、俺は捨てられないものが増えた。

 俺がいなくなったら、ララはどうすればいいんだろう。

 騎士団長は、ララの事を守ってくれるだろうか。

 アルケミストは、ララを幸せにしてやれるだろうか。


 ……ダメだな。

 どっちのルートも、まだ遠そうだ。


 せめて、彼女を幸せにしてくれる男が現れるまで、傍にいてやらないと。

 そんな気持ちになってしまうのだった。



 団長の申し出をかたくなに断って、俺は砦から出ていった。

 町には夜のとばりが降りていて、通りに人の姿はなかったが、オレンジ色のガス灯が等間隔に明かりを灯していた。


 治安維持のために、大通りだけでも街灯を設置してみたらどうか、と俺が団長に提案してみたのだ。

 魔法学園の錬金術師(アルケミスト)に安く燃料になる薬品のレシピを作って欲しい、と頼み込んだ。

 犯罪率は激減した。


 本当は、俺が夜に早馬を走らせるときに、街中を猛スピードで安全に走り抜けられるようにしたかったからだ。

 首都高みたいな感じで。

 けれども、この世界の事に、口を出しすぎたかもしれない。


 ぼんやり考えながら歩いていると、後ろからがしゃがしゃ、と鎧を鳴らしながら兵士が走ってきた。

 ほら、こうして緊急の用事があるときに、すぐに駆け付けることができる。

 この世界では、ランプに火を灯すのにかなりの時間がかかった。

 その無駄を省くことができるんだ。


 などと考えていると、どうやらその兵士たちは、俺めがけて走ってきているらしかった。

 後ろから、がっしと肩を掴まれた。


「ライダーだな? ちょっと来い」


「……へ?」


 * * * * * * * * * *


 兵士たちに羽交い絞めにされ、俺は現場に連れてゆかれた。

 どうやら西区、ララが宿泊した宿屋に用事があるらしい。


 やがて、見覚えのあるスワッグの飾りがついた宿屋の入り口が見え始めた。

 ポーチに人だかりが出来ていて、大声でわんわん泣いている女の子を囲んで、困った顔をしている。


 どうやら、わんわん泣いているのはララであるらしかった。

 宿屋のおばちゃんから渡されたのか、ウサギのヌイグルミを掴んだまま、大泣きしている。

 昼間の楽しげだった姿からは想像もできない変貌ぶりに、俺はうろたえた。


「ララ、どうした、なにがあったんだ?」


「うわあああんー! ライダぁぁぁー!」


「夜中に目が覚めて突然泣き出したのよ」


 宿屋のおばちゃんは、困った顔をして言った。

 いったい、何があったんだ?

 俺がわからない、という顔をしていると、肩をすくめた。


「ホームシックじゃない? あんたたちに何があったかは詮索しないけどさ、小さい女の子から目を離しちゃダメだよ」


 どうやらララは、昼間たくさん寝ていたせいか、夜中に目が覚めて眠れなかったらしい。

 薄暗い個室が怖くなって、急にホームシックになってしまったのだ。


 きっと、普段は大勢の家族に囲まれて眠っていたのだろう。

 ウマが一緒に寝るのをサービスだと思っていたくらいだからな。


 どうやらそれで、事情を知らない宿のお客が、隣の部屋で女の子が泣いていると騎士団に通報し、騎士団は周辺の目撃証言から、いちばん保護者っぽかった俺を呼び出したのだ。


「あの、おばちゃん、ごめんなさい、俺……本当は」


「いいから、今日はもう寝な。明日、親父さんってのが来たら、しっかり説明してもらうからね」


 おばちゃんは、急に聞く耳を持たなくなってしまった。

 何も聞かないでくれた、いい人だ。


 とにかく俺はララを抱っこして、部屋まで運ぶ係になった。

 おんぶとか、お姫様抱っことか、そういう型にはまったスタイルにとらわれない、斬新な運び方になってしまった。

 ララが俺の首にしがみついて離れないのだ。


「ララ、1人で寝るのが怖かったのか?」


「うぐぷぅぅ、ぬぶずずぅ……ぶえぇぇぇ」


 ララは、俺の肩に顔をうずめて、こくこく頷いていた。

 背中をぽんぽん、と叩いてやると、「えっ、えっ、えっ」と声が途切れ途切れになった。

 俺の貧相な筋力を振り絞り、ララをベッドに横たえて、さっきまでララが顔をうずめていた所を見ると、革の装甲に歯形がくっきりうかんでいた。


 どうしよう、これ。

 めっちゃカッコ悪いんだけど。

 歯形だよ。


「ララ、俺の鎧に傷をつけたのはお前がはじめてだ」


 ララの顔を見ると、まぶたが赤く腫れあがって半眼になり、眉は噴火寸前の富士山みたいな八の字、鼻も犬みたいにぐちゅぐちゅに濡れてて、もう超残念な女の子が出来上がってしまった。


「泣くな。寝付くまで、いっしょにいてやるから」


「ライダー、なにが、おばなじじで(鼻声)」


「えっ、お話? するの?」


 予行演習なしで要求されたら、誰だって戸惑ってしまうだろう。

 前世の俺は、子供が苦手だった。

 逃げていた。威厳を守るために、傷つけないように。


「よーし」


 俺は、オーソドックスな異世界のおとぎ話をしてあげることにした。


「むかーし、むかーし、あるところに……お婆さんと、じゃない、お爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました」


「もう一人のお婆さんは?」


「えっ」


 間違ったせいで、お婆さんが2人いることになってしまった。

 予想外の展開に、俺はなんとか知恵を絞った。


「ええーと。もう一人のお婆さんは具合が悪くなったと言って、家に帰ってしまいました。最初のお婆さんが河で洗濯をしていると、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、と川上から流れてきました」


「具合が悪くなったお婆さん、どうなっちゃうの?」


「優しい子だな、ララは。……もう一人のお婆さんは、お家で横になっていました。すると、ちょうど山に柴刈りに行ってたお爺さんがもどってきてくれたから、大丈夫でした」


「もう一人のお婆さんは、お爺さんが好きなのね?」


「そう、だからもう一人のお婆さんは大丈夫でした。ここまでいい?」


「うん、いいよ」


「とにかく、最初のお婆さんが、河で洗濯をしていると、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、と川上から流れてきました。最初のお婆さんは大喜び。『まあ、大きな桃。おじいさんに食べてもらいましょう、きっと喜ぶに違いないわ』」


「もう一人のお婆さんは?」


「あ。ええーと、最初のお婆さんはお爺さんの事が好きだから、もう一人のお婆さんの事は忘れていました。最初のお婆さんは桃を大事に抱えて、家に戻っていったのです。……けれど家にはお爺さんともう一人のお婆さんがいて……と、とにかく、お婆さんは……ええと、そうだ、包丁。包丁を出してくるんだ……包丁で桃を割ると、元気な赤ん坊が生まれてきました」


 一体どうなるんだろ、この話。

 無事にハッピーエンドまでたどり着けるのだろうか。

 悪戦苦闘していると、不意に、ララは尋ねた。


「桃太郎は、どっちのお婆さんの子供だったの?」


「どっち? ……どっちでもないよ、桃から生まれたんだ。血なんて繋がってない。けれど、お爺さんとお婆さんは、こいつを幸せにしなきゃって思ったんだよ。……俺、その気持ちわかるよ」


 うとうとしてきたララの頭を撫でてやって、俺ははじめてララを自分の娘みたいに大切に思った。

 俺は、前世とあわせて、50年の人生を生きてきた。

 ララは、俺の娘どころか、下手をすると孫みたいな存在だ。


「ライダー、ずっといて」


 ララは、俺の手をぎゅっと握ってきた。

 寝顔を見ていると、この子の幸せを願わずにはいられなかった。


「ララ……俺はお前とずっと一緒にはいられないんだよ」


 誰か、彼女を幸せにしてくれる人を見つけないと。

 俺は元の世界に戻れない。

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