第2話 ララとの出会い

 トラックにひかれた俺は、生温かいアスファルトに横たわっていた。

 生温かいのはきっと血のせいだ。

 全身がしびれたみたいになっているのは、強く打ったせいだ。

 けれど、どうしてネコを助けたりしたのか、その理由はわからなかった。


 ネコは俺に恩なんか感じていないだろうし、俺の方も特にネコが好きだったわけではない。

 むしろ最近、夜中に近所のネコが鳴くせいで、迷惑をこうむったことの方が多い。


 けれども、そのネコは俺の顔をじっとのぞき込んで、なぜかその場から立ち去ろうとしなかった。


 理性的に考えれば、俺がこいつを助けたところで、そのうち保健所に捕まって殺処分される運命が待ち構えている。

 人間社会は、増えすぎた動物に容赦ない。


「まあいいや、保健所には捕まるなよ。子どもをたくさん産めよ」


 俺の言葉が通じたのか、ネコはちょっと目つきを鋭くした。

 ネコの瞳孔は急に大きくなって、俺の意識はその黒い穴に吸い込まれるように、すーっと薄れていった。


 そして、気が付くと、不思議な真っ白い空間に俺はいた。

 そこには女神がいた。

 頭のてっぺんから透明なケープを被った、通気性のよさそうな衣装。

 俺の助けたネコと同じ、薄紫色の耳と、ぴんっと立った尻尾をもっていた。


「キミ、そいつはセクハラ発言にゃん」


 俺の頭をちょんちょん足でつつきながら、言った。

 そんなことを言うために、わざわざ俺をこんな不思議な空間に呼び寄せたのか。

 まさに超常の存在だ。


 真偽はともかく、妙なことに巻き込まれてしまった。

 この空間が夢か現実かの区別もつかないし、脱出方法も見当たらない。

 女神は、名をバステトというらしい。

 曰く、


「家の守り神だから、主婦や自宅警備員の神様にゃん」


 だそうだ。

 べつに、俺は主婦でも自宅警備員でもなかったのだが、ネコの視点から見ると、昼間に街をうろついていた俺はそう見えたらしい。よけいなお世話だ。


 不思議空間では、自分の体も輪郭を失ったように、ふわふわ漂っている。目につくもの全てがそうだ。あたりを観察していると、女神はぐーっと伸びあがって、おもむろに切り出した。


「転生チャーンス!」


「転生?」


「チャンス!」


「なにそれ」


「異世界で新しい人生を歩むチャンスをあげるにゃ。ここから職業を選ぶにゃ!」


 プロジェクターもないのに、エクセル表みたいなのが宙に浮かんで、ずらずらっと、ゲームみたいな職業の名称が列挙されていた。

 ゲームで見たようなものもあれば、見たこともないようなものもあった。


「新しい人生には、新しい職業が必要にゃん。さあさあ、どの職業になりたい?」


 ネコの神様は、俺に選択を迫った。


 生産系、採集系、戦闘系、学術系の4つの大カテゴリーから、凄まじい数の職業が派生していた。


 生産系だけでも、細工師、鍛冶師、裁縫師、製紙師、大工、金細工師、石工、つぼ職人、調理師。

 そしてそれらの上級職、複合職など、数えればきりがない。


 その中で、俺の目にある職業がとまった。


『騎兵(ライダー)』だ。


 思えば、俺は小さい頃から乗り物が好きだった。

 就職先も自動車メーカーで、高校を卒業してから整備士としてエンジンをいじりながら暮らしていた。


 けれども、徐々に時代の流れに追いつけなくなっていくのを実感していた。

 外国資本の参入に、従来と同じシャフト交換が通用しない電気自動車の出現。

 理由など数え上げればきりがないが、どうやら俺は自分の限界を感じて、同じ仕事から遠ざかっていたのだ。


 ともかく、第二の人生を与えられた俺は神の提示したゲームみたいな職業リストの中から、迷いなくこれを己の天職として選んだ。


『騎兵(ライダー)』になる。


 そう宣言したとき、「え、そんな天職で大丈夫?」となんか心配そうに言われて、急に不安になった。


「え、なんかヤバい職なの?」


「だって普通の職業にゃ」


「普通の職業だといけないの?」


「もっと強くてチート満載な職業がたくさんあるにゃ? 海賊王とか魔王とか、勇者とか名探偵とかもあるにゃ」


「普通でいいよ……」


 自宅警備員の神様には、きっと普通を選ぶ神経が理解できなかったのだろう。

 だが、俺は自分の意見を曲げなかった。

 俺のその選択は、けっして間違っていなかったのだと思う。


 それは『騎士系』ジョブと呼ばれる、特定の装備の性能を倍加させる職業の系統にあった。


『剣士(ソードマン)』はあらゆる剣。

『弓兵(アーチャー)』はあらゆる弓。

『槍兵(ランサー)』はあらゆる槍。

『聖騎士(パラディン)』は聖別されたあらゆる武器と防具。


 そして『騎兵(ライダー)』は、あらゆる『乗り物』の能力を倍加させ、自在に操ることができる。


 神の加護を得たそのスキルの有効範囲は、ただ馬に乗るのが上手くなるだけにとどまらなかった。

 この世界では、あらゆるモンスターが乗り物となったのだ。




 俺は西国マルナンの商人の家に、体重1400グラムの未熟児として生を受けた。

 商人の長男坊として6歳までには読み書きと算術を習い、商人に必須の『鑑定』スキルを習得させられた。


 けれど、転生した俺は、物心ついた頃から乗り物に異常な好奇心を抱いていた。

 来る日も来る日も、庭先にあった荷車に乗って遊び、暇があれば馬の様子を見に行って、従者を連れて往来の馬車を眺めていた。


 そんな俺の事を、両親はよく旅に連れて行ってくれた。

 俺は幼いころから世界を旅して、様々な乗り物を見てきた。


 北国ウツヨキでは、魔法のように温かい毛皮に包まれ、積雪2メートルの雪原を黙々と突き進む、トナカイを見た。

 東国ティノーラでは、クレーンのように丸太を鼻で持ち上げながら歩き、さらには戦車としても戦う、ゾウを見た。


 それらは、俺にとってこの上なく魅力的な乗り物に見えた。

 乗ってみたい。


 大人になったら、あの背に乗って、自由に旅してみたい、と来る日も来る日も夢を思い描いていた。


 そして、その為の努力は惜しまなかった。

 8歳で最年少の冒険者になった俺は、天才的な才覚を発揮し、『騎兵(ライダー)』となったのだ。


 どうやら天職とは、そうやって形成されるもののようだ。


 俺の想像してたライダーとちょっと違うけど、まあいいや。


 そして、冒険者になってから6年。

 14歳になった俺は、もはや冒険者ギルドでも中堅に数えられる存在になっていた。


「ひぃぃやっはぁぁぁー!」


 俺の『騎兵(ライダー)』スキルもめきめきと発達し、今は急峻な山道を自在に駆け巡る、巨大オオカミの背にまたがって雄たけびをあげていた。

 新幹線の背に乗っているみたいに風がごうごう唸りをあげ、周囲の木々が飛ぶように目の前を通過してゆく。

 女神から授かった最上位ランクの鑑定スキルで、オオカミのステータスが眼前に浮かび上がる。


「すげぇ! なんて速さだ! ハスラサンリクオオカミ! 体長2メートル、体重1トン! 6本の足で平地での最高時速380キロに到達する生けるモンスターマシン! 風と一体化し、どんな地形だろうと恐れもせずに駆け巡る恐るべき機動力! 間違いなく、この南国ハスラで最強最速の生物だぁぁぁ! ……って、はしゃいでる場合じゃねぇや! 急げ、オオカミ! ぶっとばせ!」


 足で腹に蹴りを入れ、刺激を与える。

 巨大オオカミは、ぐるるっ、と唸って加速した。


 本気を出すと、オオカミの毛皮は透明になり、目に見えなくなる。

 4本ある後ろ足が、車輪のように回転して、煙を吹く。

 まるで風になったように、山の稜線から稜線へと飛び移っていった。


 俺はその背に設置された鞍(くら)にまたがり、手綱(たづな)を掴んで前傾姿勢になり、目の前に迫りくる木の枝をばっさばっさと切り裂いて進んでいった。


 モンスターは、人間を背中に乗せて走るのに慣れていない。

 なので、乗り手は自分の身を自分で守るしかない。この速度で振り落とされたら一巻の終わりだ。


 ちなみに、『騎兵(ライダー)』の装備は防御力よりも軽さを重視して作られている。

 いざという時は伝令のために逃げるから、防御力なんて二の次になっていた。


 騎士系がみんな使っている鉄の鎧にしたって、いたるところで金属が削り取られ、革製のつぎが張ってあって、可能な限りの『軽量化』が試みられていた。


 この前、ランク9に昇格したお祝いに買ってもらった最新型のになると、左胸が鉄で、右胸が革でできていた。


「それもう鉄の鎧か革の鎧かわかんねぇな」と『騎兵(ライダー)』仲間に笑われたことがある。

 その仲間も、今はもういない。

 ひとたびモンスターの背中から振り落とされたら、俺たちに命などないからだ。


 剣をぶんぶん振り回して突き進んでいると、やがて木が生えてない花畑のような場所に出た。


「まてッ! オオカミ! どうどう!」


 そこには、地べたに座り込んで、草花を摘んでいる乙女たち大勢がいた。

 危うく踏みつけるところだったが、かしこいオオカミは寸前で身をかわし、スマートに停止した。


 俺が遭遇した乙女たちは、みんな白い着物をまとっていた。

 まるで妖精(エルフ)の群れに遭遇したみたいな光景だった。

 数十人はいるんじゃなかろうか。

 北国ウツヨキの流浪の民族、ペグチェの『薬草摘み(グリーナー)』だ。


 採集系ジョブである『薬草摘み』の体力は極端に低く、ナイフより重たい武器は装備できないという。

 ゆいいつ、例外的に大きな装備品である『薬草籠』は、彼女たちが縮こまって中に入れば、すっぽり姿を隠せてしまうほどの大きさだ。


 袖のゆったりした和服みたいな民族衣装を身に着けていて、みんな花のように綺麗だった。

 まさに男子禁制の花園で、俺は思わず見とれてしまった。


「……じゃねぇ、助かった!」


 俺は、オオカミの顎をたぷたぷ撫でて落ち着かせながら、彼女たちのステータスを片っ端から見てまわった。


 不用心なことに、戦闘職は1人もいないらしい。

 いずれの職業も『薬草摘み(グリーナー)』。

 ランクは10段階のうち、5から6がほとんど。

 だが、その中にずばぬけて奇妙な職業ランクを見つけた。


 名称 ララ

 レベル 13

 職業 薬草摘み

 ランク 無形文化遺産


(ランク……『無形文化遺産』!?)


 まれに、10段階のランク付けの枠から逸脱する者もあらわれる。

 剣士なら剣聖、魔法使いなら魔導。

 その称号は、最高ランクである10を超えてはじめて顕現する。


 おそらく、薬草に関する知識は他よりずば抜けているはずだ。


「……けが人がいるんだ! 力を貸してくれ!」


 俺が手を差し伸べると、周りの乙女たちは、不安げな表情を浮かべていた。

 けれどもその少女には、俺の必死の呼びかけが通じたらしい。

 こくん、と迷いなく頷いた。


 さらに立ち上がって、よく見ると、予想外に小さくてびっくりした。

 ひょっとして、この中で一番小さいんじゃないか、と思ったけれど、能力と背の大きさは関係しない。

 その言葉遣いは堂々として、やけにしっかりしたものだった。


「これも山のお導き。私たちの力が必要なら、お貸ししましょう」


 俺はオオカミを走らせながら、その子の腕をひっぱりあげた。

 ウツヨキカズラの薬草籠は、きっと特注なのだろう、見た目に反して恐ろしく軽い。

 まるで綿みたいに軽々と持ち上げられた。

 少女は、俺の腰に手をまわして、ぴったり背中にはりついた。

 そして、周りの様子を見て、なにか違和感を覚えたらしい。


「あれ?」


 オオカミの背中にまたがっている俺、その背中にひっついた少女、さらにその背中に薬草籠、という構図になった。

 少女は、目を丸くして、花園の仲間たちを見渡していた。


「あれ、みんな、来ないの? ひょっとして、私だけ?」


「このオオカミ、そんなにたくさん乗れないよ!」


 どのみち、俺も自分より背の高いお姉さんを乗せて安全運転できるか、不安なところだった。

 花園の乙女たちは、口々に声援を送った。


「ララ姉さま! がんばれ!」


「がんばれ! 姉さま!」


「ふぇぇぇ」


 ペグチェには、自分よりも身分の高い人を『姉』や『兄』と呼ぶ風習があった。

 見た目は明らかにこの子の方が年下なんだけどな。


 俺がオオカミを走らせると、『薬草摘み』の乙女たちは、黄色い歓声をあげた。

 とにかく、事態は一刻を争う。


『騎兵(ライダー)』は機動力に特化したジョブ。

 求められるのは速さだけだ。

 俺は走りながら、簡潔に状況を説明した。


「状況を説明する! ハスラ王都の冒険者ギルドから、期限を過ぎても戻ってこない冒険者パーティがいるという報告が騎士団に寄せられた! 崖崩れ、盗賊、モンスター、隣国とのいざこざ、なにが起こったか、早期に特定する必要がある! そうしたら騎士団は俺を名指しで偵察の特殊クエストを送ってきた!」


 ちょうど騎士団の手が離せない状態だったらしい。

 ハスラで『早馬』と言えば俺、と王都ではすでに知れ渡っているのだ。

 普通なら1週間はかかる道のりも、俺のスキルを使えば、たった半日で終えることができる。

 あらかじめ騎士団は、人数分の回復薬を俺に持たせていた。

 もしも、冒険者パーティが不慮の事故で動けなかった場合、救援ができるようにという配慮である。

 けれども、予想もしないトラブルというのは、常につきものだった。


 ハスラサンリクオオカミを駆って山を降りると、岩だらけの山道に出た。

 表面の茶色い岩がいくつも転がっていて、つい最近、がけ崩れが起きたことが分かる。

 さらに、その山道の途中で、1000人規模の商隊が立ち往生していた。


 軽いバザーでも開かれているみたいに、馬や牛のいななきがあちこちから聞こえてくる。


 荷物を抱えたまま、進むことも引くこともままならない、いくつもの馬車で渋滞になっていた。


 冒険者パーティは助けられたが、そこまでだ。

 こんな大所帯になっているとは、さすがに予想していなかった。


 だが、山中で薬草が大量に手に入った。

 ならば、話は早い。

 幸運にも、冒険者パーティの中には、俺の知り合いの『錬金術師(アルケミスト)』が1名いた。


「アルケミスト! 薬草を持ってきたぞ! ポーションを作ってくれ!」


 赤いチョッキとふやけたトマトのようなベレー帽を身に着けた少年が、俺を見るや、ぶんぶん手を振った。


「ライダー! 早いな!」

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