ラララライダー

桜山うす

第1話 秘密を打ち明けてみた

「実は俺、異世界転生してきたんだ」


 俺がそう打ち明けた時のララの表情は、今でも忘れられない。

 あれは俺たちが出会ってから3ヶ月目の、蒸し暑い夏の夜のことだった。


 夜の食堂はいつも人でごった返していて、危ないので俺たちは入るのをためらっていたのだが、その日は特別になにか美味しいものを食べよう、ということになった。


 日本人の俺にとって、夏と言えば、うなぎに限る。

 その日、宿屋に併設されている食堂で、俺とララはうなぎを食べていた。


 かまどの灰のにおいは、昼間だと陰湿な印象を受けるものだが、夜になってそれが食べ物のにおいと混じりあうと一転、実に食欲をそそる香りに変貌した。


 アルコールのにおいに、談笑する人々。床はコルクのような弾力でブーツの靴底を押し上げ、俺たちを大人のパーティ会場の片隅へといざなう。

 隅っこのなるべく目立ちたくない人専用の席、といった感じのカウンター席に、俺とララは2人でちっこい肩を並べて座っていた。


 そこで、俺は秘密を打ち明けてみた。


「実は俺、異世界転生してきたんだ」


 喧騒にかき消されそうな声で、俺はそう打ち明けた。

 そのときのララの表情は、俺が今まで見た彼女の表情の中でも、いちばん変な顔だった。


 思いっ切りびっくりしたような、退屈で大きなあくびをしているような、どちらともいえない、中途半端な表情。

 風呂上がりのしっとりした黒髪が広いおでこにはりついていて、海苔をまいたコンビニおにぎりみたいな白い顔に、うなぎのタレがちょこちょこついてて、なんだか美味しそうに見えた。

 俺でさえ美味しそうに見えてしまうのだから、肉食のモンスターたちにとって、彼女はどんなご馳走に見えていたことだろう。


「ふえぇぇぇぇー」


 と、感嘆とも悲鳴ともつかない、気の抜けた声がララの口からもれてきた。

 そして、それっきり、ララの表情は、ぴくりとも動かなくなった。


 ララの話をしよう。

 ララは、『薬草摘み(グリーナー)』という、南国ハスラではあまり見かけない職業(ジョブ)の女の子だった。

 戦闘、生産、採集の3大系統のうち採集系に分類され、初期レベルから薬草を鑑別する能力(スキル)が飛びぬけて発達し、おおよそ戦闘に関する能力は伸びない。


 13歳のララは、背の低いちびっこい子で、ナイフより重たい武器は装備できなかった。

 いつか『農術師(ファーマー)』になりたい、と言っているけれど、クワも満足に持ち上げられない。


 ただし、北方の軽くて頑丈な植物、ウツヨキカズラで編んだ薬草籠だけは別だった。

 たとえ何十キロの薬草が入っていようとも、自分の背より大きなその籠を、彼女たちは苦も無く背負うことができる。


 この『薬草摘み』というのは、北国ウツヨキで転々と移住生活を行っている流浪の民、ペグチェの固有職業である。


 ペグチェは伝統を重んじ、めったに山からは降りてこない。

 薬草を摘み、ヒツジと共に移動しながら生活する、この世界の文明社会とは切り離された民族である。


 ともかく、南国ハスラまでやってきたララは、冒険者ギルドでも珍しい『薬草摘み』の冒険者となった。

 好奇心の塊のような子で、お箸の使い方は知らないけれど、グーで握って、なんでもぷすっと突き刺して、なんでも物おじせず美味しそうに食べる。


 魚でも焼肉でも焼き芋でもスイーツでも見境なく食べるのに、近くにいると、いつもふわふわのロングヘアからは、濃密な薬草の香りがただよっていた。


 たぶん、薬草成分が、細胞レベルで染みついているのだろう。

 このにおいは、きっと消毒液のお風呂に入っても取れない。


 なので、風呂上がりのララからは、いつもショウブ風呂に入ってきたみたいな匂いがしていた。

 そして俺が何か話すときは、いつもくりくりした目で、俺をじっと見つめ返していた。


 そんなララの表情がぴくりとも動かなくなって、もうけっこう経った。

 ひょっとすると、さっきの声は感嘆でも、悲鳴でもなかったかもしれない。

 あくびだったのかもしれない。

 ララは夜8時には寝息を立てているいい子だもんな。

 そろそろ眠いだろう。

 俺はスマホを探して、ポケットを触ってしまう。

 あるわけない。

 ここは異世界だった。


「眠い?」


「はい、少し」


 目をこしこし、こすって、こくり、と頷く。

 眠そうだ。

 それでも俺が大事なことを話しているのが分かるのか、しっかり俺の方を見ようとしてくれていた。


 出会ってから、すでに3カ月。

 俺とララは、お互いしか頼れる者がいない2人1組のパーティとして、硬い信頼関係で結ばれていた。


 だったら、もうそろそろ、打ち明けてもいいころだと思う。


 90日以上も毎日顔をあわせて、おなじ宿に泊まり、おなじ食堂の飯を食って、おなじクエストをこなしてきた。


 年も1つしか違わないし、健全な男女なら、恋人になっていてもおかしくない、すでにそんな段階を踏んできた俺たちだ。


 けれども……問題は俺が転生者だ、ということだ。

 俺はいずれ、元の世界に戻らないといけない。

 なにより、俺にとってララという生き物は、娘みたいな感じしかしないのだった。


「えーと」


 ララが一生懸命聞いてくれるのなら、俺も話を続けようと思ったのだが。

 ララは、まぶたが半分閉じかかって、俺を半眼でにらみつけるような変顔になっていた。

 俺の思考は、しばらくその残念な顔にもっていかれていた。


「そう……で、何の話だったっけ?」


「いせかい……なんとかですか?」


「そうそう、実は俺、異世界転生してきてさ……」


「ふえぇぇぇぇ」


「異世界って、知ってるの?」


「いいえ、浅学ながら、存じません」


 ララは、ぶんぶん、と首を振った。

 リアクションなのか、あくびなのか、はっきりして欲しい所だった。


 つまり、元の世界で一度死んだ俺に、ネコの神様が生き返るチャンスをくれて……うんぬんかんぬん。


 まあ、この世界の人間が、異世界のことを簡単に理解できるとは思わない。

 正直に打ち明けたところで、変な奴だと思われるのが関の山だろう。


 ララも、宿屋ではじめてシャワーを使って、びっくりしていたぐらい物を知らない子だった。

 その時は、じっさいに蛇口をひねってみせたけれど、異世界転生の仕組みを説明するのは、じっさいひねって見せられるほど簡単なことではない。


 で、俺は前の世界では、30過ぎのおっさんだった、という話もした。

 今の体が14歳だから、精神年齢はすでに50歳に到達しようとしている。


「何気なく街を歩いてたら、ネコがトラックにひかれそうになっててさ。……『トラック』から説明しなきゃならんか?」


「ネコって何です?」


「えっ……ネコから説明しなきゃならないの?」


 俺は腕を組んで、しばらく考えた。

 一応、この世界にもネコはいるのだけれど、お金持ちのペットだった。

 ララの常識とこの世界の一般常識も、なかなか上手くかみ合ってくれない。


「トラなら分かるよね?」


「はい、山にいます。強いモンスターですね?」


「そうそれ。手のひらサイズの小さなトラが、ちょこちょこっと横断歩道を横切っていったんだよ」


「たいへん、つまり、ライダーの街にトラがでたのね?」


「いや、トラの危険度は知ってるけど、俺の死因はそこじゃないんだよ。ネコだから。そいつは、すんごく小さくて、可愛いトラなんだ。だから大丈夫なんだよ」


「ライダー? 小さくて、可愛いくても、野生動物に近づいちゃダメよ? きっと親のトラが近くにいるはずだから」


 めっちゃ叱られた。


「その認識は間違っちゃいない。その感覚は今後とも大事にしてもらいたいし、否定するつもりもない。けど、ネコは特別なんだよ。ネコは家畜化された、小さくて無害なかわいいトラなんだ」


「ネコ……」


「気になるなら、ララも一度見てきてごらん。王都でも人気のペットだ。とにかく、そんな可愛いネコのところに、トラックが、ブロロロロってトヨタのエンジンをふかしながら時速80キロで突っ込んできてさ。……ありゃたぶん高速から降りてきたばっかりだったね。あ、トヨタってのはさ……」


「ネコ……」


「はっ、ひょっとしてネコが気になって、俺の話が耳に入っていない?」


 俺は、ララに包み隠さず、本当のことを話した。

 出だしからこんな感じで、半分も理解してはもらえなかったと思う。

 けれど、心の中にあったわだかまりを取っ払うためにも、俺は本当の事を伝えるべきだと思った。


「ええと、トラックっていう、鉄で出来たでっかいモンスターみたいな馬車が、異世界にはあるんだよ……前の世界で、俺はそういう乗り物を作る仕事をしててさ……だから、この世界でも……」


 話しているうちに、ララの体がななめに傾いていった。

 俺もそれにあわせて、顔を傾けながら話さざるを得なかった。

 床とほぼ水平になったあたりで、肩を押し上げて、背筋をちゃんと伸ばさせた。


「ちゃんとイスに座りなよ?」


「ふむふむ」


「ふむふむ、なんて相づちを打つところじゃなかったじゃん」


「ふむふむ」


「……もう眠ろっか?」


「ふむふむ」


 ふむふむ、しか言わなくなったので、とりあえず部屋まで運んであげることにした。

 俺は椅子から降りて、背中を差し出したのだけれど、ララは首を振って断固拒否した。


「ライダーの鎧、かたい」


「じゃあ、どうやってベッドまで行くの?」


「お姫様だっこがいいです、ライダー」


「ええー」


 転生してよかった、と思うことのひとつは、女の子をお姫様だっこしても、腰を痛めたりしないことだった。

 きちんと揃えた膝の裏に左腕を通して、肩を胸当てに抱き寄せ、重心を腰にのせて持ち上げる。


「ライダー」


「ん?」


「本当は、異世界に、帰りたいですか?」


 どうやら、ネコもトラックも理解できなくても、ほんとうに大切なことだけは、しっかり伝わるものらしかった。


 心細そうな目で見つめ返してくるララ。

 帰りたい、と言ったら、泣いてしまいそうだったので。


 俺は、その海苔みたいな前髪を、ふっと息でちらしてやった。


 目をぱちくりさせたララは、俺の笑顔を見て、はっとしていた。


「……ライダー、なに、今の?」


「いま両手がふさがってて、デコピンができなかった」


「やっぱり」


 俺のデコピンは、すごくいい音が鳴る。

 ララが心から畏怖する必殺技であった。

 きゅっと前髪をしぼるように掴んで、ララは額をガードした。


「デコピンやめてください」


「しないよ、ウデがもう限界だもん。いてて」


 ララを二階に運んだところで、俺の腕はミシミシ悲鳴をあげていた。

 腰は大丈夫だったけど、腕がもう限界だ。

『騎兵(ライダー)』は戦闘職にあるまじきことに、筋力補正がほとんどないんだ。


 ララをベッドに横たえたあたりで、俺は力尽きていた。

 けれども、笑顔を絶やさないでいるくらいの気遣いはできた。

 俺も大人だもの。

 自分の娘と同じくらいの年齢の子に、情けないところは見せられない。


 ララは、頼もしい馬を見るように、俺をじっと見つめて、俺の髪をぎゅっと掴んでいた。


「ライダー、さっきの、ふー、なら、していいよ?」


 俺は、もう一度ララの前髪を、ふーっ、と息で散らした。

 ララはきゅっと目をつむって、毛布の下にもそもそ潜り込んで、俺を見ていた。


「よく寝ろよ、ララ」


「ライダー、あした一緒にクエストするよね?」


「ああ」


「あしたも、そのあしたも、一緒にクエストしよう?」


「ああ、しよう」


「言質とりましたよ。おやすみ」


「ああ、おやすみ」


 一体いつ、元の世界に戻ることになるのか、俺には分からない。

 もしも帰ることができるのなら、きっとここが瀬戸際だろうと思う。

 このタイミングなら、俺の家族や知り合いが生きているうちに出会えるかもしれない。


 けれど現状、ララを置いて元の世界に戻ることは、どうもできそうにないのだった。


 部屋の戸をそっと閉じ、そういえば、と思い当たることがあった。

 閉じた戸をノックして、少しだけ開いて覗いてみる。


「なぁ、ララ、俺とずっとクエスト続けてていいの? 『農術師(ファーマー)』になる夢はどうしたの?」


 毛布がもそもそ、と動いて、ララは、がばっと上半身を起こした。

 ぬくまったほっぺたが真っ赤になって、桃みたいになっていた。


「忘れてました」


 のんびり屋なんだ、ララは。

 せめて、ララが大人になって……いつか、頼れる誰かと結婚するときまで、傍にいてやりたいと思うのだけど。

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