第2話 郵便屋さんのバイク

 印刷工場からの帰り道。ゆるやかなカーブを描きながら住宅地を抜ける線路沿いの町並みは、西日を受けオレンジ色に染まっていた。夕日に目を細めると、もやもやと鬱屈した気分を追い出そうと深呼吸をした。師走の慌ただしさから離れ、のんびりとした下町の景色を目にするのも久しぶりだった。郵便屋さんの原付バイクがブロロロ~と僕を追い越して行く。

 この辺りは都内にしては珍しく踏切が多い。警音と共に遮断機に行く手を阻まれ立ち止まった。列車の通過を示す矢印は、上りも下りも点灯していて、忙しなく列車が行き交おうとしている。夕方、帰宅時間のダイヤなのだろう。しばらく開かずの踏切になってしまうかもしれないが、別に急ぐ家路でもなかった。

 高音と低音の単調な繰り返しの中で、彼氏からの別れ言葉がふいにこみ上げていた。僕を見るあの目は、哀れみではなかったと思いたい。聞こえてくるその声から逃れようと、うつむく視線を上げた。

 上りと下りの列車が交差しようとした瞬間。対岸に懐かしい人を見たように思う。目を凝らすが、すぐにビュンビュンと行き過ぎる列車に遮られてしまった。

 どうせ人違いだろう――。

 何本か列車が通過し、遮断機が上がると一斉に人波が動き始める。こちらに歩いてきた人物を見て「まさか……」と思った。

 人違いではなかった。紺色に縦縞のスーツでぱんぱんに膨れたビジネスカバンを肩からひょいっとかけ、近づくに連れてややいぶかしげだったそいつの表情も、驚きに変わっていく。みるみる目が丸くなって、数メートル手前からこちらに駆け寄ってきた。

「なあ、もしかして……亮一か?」

 その声と飛びかからんばかりの勢いに、思わず後ずさりする。まわりの景色が猛スピードで時間をさかのぼっていくような錯覚に襲われた。

「うわあ、やっぱりか。久しぶりだなあ。何年ぶりだ、八年ぶりくらいか?」

 橋本航大はしもとこうだい、大学時代の親友は懐かしい笑顔を見せた。

「なんだよ、そんなトボけた顔して。まさか俺が誰かわからないとか言うなよ。マズイな……俺、そんなに変わっちまったか?」

 航大はややでっぷりとした自分の腹をさすった。小さく頭を振る。

「や、ごめん。やっぱり航大だったのか。似てるとは思ったんだ……だけど、まさかこんなところにいるわけはないと」

 弁解をするように取り繕う。

 踏切のど真ん中、警音が再びうるさく鳴り響き「え?」と聞き返す航大の手を引っ張るようにして、一緒に反対側の遮断機が下がるところをすり抜けた。

「そりゃそうだよなあ。俺だって、まさか亮一がここにいるとは思わねえよ! 亮一は全然変わってねえなあ」

 通過する列車の騒音に負けまいと怒鳴る航大の声。

「そうかな? 航大はなんというか……所帯じみたな」

 僕も負けじと大きな声を出す。大学時代に比べて体型が緩くなった。お互い歳をとったと感じる。

「ハハハ、そりゃそうだよ。俺ら、今年で三十一だろ。オジサンにもなるさ」

 電車が通り過ぎても警音は鳴り止まない。今度は反対の列車が通過するようだった。

「こんなところで、ガアガア怒鳴り合いながら立ち話もないな。亮一も仕事帰りだろ?」

 うなずくと航大は腕時計で時間を確認し、ややためらうように「あー、そのなんだ。よかったらうちに寄っていかないか?」とこめかみの辺りをポリポリ掻いた。

 唐突な誘いに、「え――」と声が漏れ、自然と奴の薬指に目がいく。僕の視線に気がついたのだろう。航大は反対の手で、指輪をさすりながら、

「ああ、四年前に結婚したんだ。今ではひとりの子持ちのオジサンだよ。この近くに住んでいるんだ」

「そうか、おめでとう」

「結婚式、呼べなくてすまなかったな」

 バツが悪そうに航大が言う。

「航大が気にすることじゃないだろ。連絡先を伝えてなかったのは、こっちなんだから」

 気まずい空気が流れる。列車が通り過ぎる間、僕らは無言になってしまった。

 遮断機が上がり、踏み切りをわたる軽自動車にクラクションを鳴らされてしまう。

「とにかく、突然お邪魔したら奥さんに悪いだろ? 今日のところは遠慮しとくよ」

「あ、いや……今、嫁さんとは別居してるんだ」

 航大は斜め下に視線を落とした。

「せっかくだから、どこかで飲んでいこう、と言いたいのもやまやまなんだけどな。ベビーシッターの時間が十八時まででさ。託児所も、突然預けようとしたところで、今は無理なんだなあ。ニュースでそんなこと言ってるのは知っていたけど、あれ本当だった」

 意外なことの成り行きに、ポカンとしてしまった。僕のわきを再び郵便屋さんのバイクがブロロロ~とのんびり通り過ぎて行った。

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