第二話 トリプルブッキング

 午前の授業が終わった。

 折り返し地点に到達したことで、教室がにわかに活気づく。弁当を広げる者、一階の学食に向かう者、おしゃべりを続ける者、皆それぞれだ。

 筆記用具を机の中に仕舞い込むと、明はあたりに視線を巡らせた。


「いない、か」


 教室に望美の姿は無い。四時限目が終わってすぐに、待ち合わせの場所へと向かったようだ。

 ならばと明も席を立とうとして、


「えっと、夜渚よなぎくん……だったよね?」


 遠慮がちな声に、顔を上げた。


「そうだが……君は?」


新田にったひかる。あなたのクラスメートで、あとその、ほら……ごめん、やっぱりなんでもない」


「あ……ああ。よろしく頼む」


 晄は釈然としない顔で名乗り終えると、ごまかすように握手を求めてきた。こちらが応じると、少し恥ずかしそうに笑った。

 温和な雰囲気の少女で、亜麻色の髪を後ろで二つ縛りにしている。少々お堅く見えるが、どこにでもいる普通の女子高生といった感じだ。

 スカート丈は校則を順守しており、女子の平均からするとかなり長い。望美の後なだけに、ことさら長く見えるのかもしれないが。


「ちっ……足が見えんな」


「え?」


「気にするな。こちらの話だ。それより、俺に何か用があったんじゃないか?」


「用ってほどのものじゃないんだけど……お昼ご飯、一緒に食べない?」


 そう言って、唐草模様の風呂敷包みを持ち上げる。結び目の隙間から、弁当箱の鮮やかな桃色が見えた。


「私はお弁当だし、学食でも教室でも夜渚くんの好きな方に合わせるよ。中庭もいいけど、今日はちょっと寒いかな」


「むう……」


 思いもよらぬ提案に、しばし思案する。

 ありがたい申し出だ。

 彼女のようなタイプであれば、昼食を共にする友人などよりどりみどりだろう。にも関わらず、転校してきたばかりの新参者のために、こうして時間を割いている。

 こういった配慮のできる者は、貴重だ。

 叶うことならこのまま真っ直ぐに育ってほしい……などと、つい老成した感想を抱いてしまう。

 それだけに、誘いを受けられないことが心苦しかった。


「すまないが、先約があってな。屋上に人を待たせている」


「あ……そうなんだ。こっちこそごめんね。それじゃあまた今度……って、屋上?」


「ああ、本人からはそう聞いている」


 しかし、晄はきょとんとした顔で、


「うちの屋上、立ち入り禁止じゃなかったっけ?」


「……なんだと?」


 思わず眉をひそめる。

 晄は記憶を手繰るように指をさまよわせ、うなずきを返した。


「うん、たぶん。たまに吹奏楽部とか天文部の人たちが使ってるみたいだけど、いつでも誰でも入れるって話は聞いたこと無いから……」


「それは……困るな」


「ひょっとして武道場の聞き間違えとか?」


「そんなことは無いはずだが……。武道場の方は、昼休みも開放しているのか?」


「うん。男子たちがよくパン食い剣道してるよ」


「何の儀式だそれは」


「竹刀の先にパンを吊るして食べさせ合うの。焼きそばパンは"メン"で高得点なんだって」


「……頭が痛くなってきた」


 "胴"はドーナツだろうか、などと益体やくたいも無い考えを頭の隅に追い払う。

 明は目を閉じて二秒数え、その間に行動を決定した。


「とりあえず、行くだけ行ってみるさ。屋上前の踊り場という可能性もある」


 晄に告げると、財布だけ持って席を立つ。

 そうして、廊下に向かって歩き出そうとして……またも誰かに声をかけられた。


「明、お昼はもう食べた? まだなら僕と一緒に食べないか?」


 声の主は、ホームルームの時に会話をした少年だった。

 明は配布された席順表を思い出しながら、


「そっちはたしか……水野みずのたける、だったか」


「猛でいいよ。こっちも明って呼ぶから」


 スマートな立ち姿は静かな自信に満ちていた。背丈は平均より低めだが、ひ弱そうな印象は受けない。

 たとえるなら王子様か、はたまた敏腕執事か。どうあれ女子の受けは良さそうだ。


(気さくに声をかけてくれる者が多いな、このクラスは。喜ぶべきことだ……が、このままではらちが明かん……)


 視界の端で時計を確認する。昼休みは始まったばかりだが、望美を待たせていることを思えば、のんきに構えてもいられない。

 フレンドリーにほほ笑む猛は、ポケットの縁で銀色の硬貨をもてあそびながら歩いてくる。

 彼は晄に気付くと、二人の顔を交互に見比べて、


「一足遅かったかな。お邪魔なら退散するけど」


「あ、ううん。私は断られちゃったから。夜渚くん、他の友達と約束してるんだって」


「なるほど、別口か。……にしても、明は友達を作るのが早いね。割と社交的なタイプだったりする?」


「単なる巡り合わせだ。自己評価で社交性B+程度だと認識している」


「ランク付けの基準がイマイチ分からないけど……ふうん、そうか」


 何やら考え込みながら、明と晄を値踏みするように観察する猛。


「それじゃあ、明日のお昼を予約してもいいかな。もちろん新田さんも含めて」


「私? いいよ、特に予定は無いし」


「俺も構わんが……わざわざ予約するほどのことか?」


 明がいぶかしげにうなると、猛はあいまいに笑った。


「紹介したい奴がいるんだけど、そいつを引っ張ってくるのが結構難しくて。それに、人を選ぶっていうか」


「人を選ぶ……?」


「とにかくその辺は気にしないで。この面子ならそう酷いことにはならないと思う」


 猛は口早に言い終え、「ね?」と念押しした。明と晄は、頭をひねりながらも肯定を返す。


「……と、足止めして悪かったね。人を待たせてるんだろう?」


「ああ。というわけで失礼する。また午後の授業で」


「いってらっしゃい、夜渚くん!」


 話にひと区切りついたところで二人と別れ、望美の待つ屋上へと向かう。

 一年教室のある四階まで上がり、そこからさらに上へ。

 ほこりだらけの階段の先、非常灯に照らされた灰色の扉が立ちふさがっていた。

 踊り場には誰もいない。ただ、それなりに人の出入りがあるのか、扉の近辺だけは埃の量が少なかった。


「立ち入りが制限されている、と言っていたが……」


 ドアノブに触れてみる。

 あっけない手ごたえ。ネズミの悲鳴じみた異音を響かせながら、ノブが一回転する。

 壊れていた。


「彼女が壊したのか? まさかな……」


 明が望美に抱くイメージは静と動の中間、ニュートラルだ。

 切迫した状況であれば大胆な行動に出ることもあるだろう。しかし、そうでなければ規範を守る。

 彼女とは今朝初めて出会ったばかりだが、密談の場を作るためだけに備品を壊すような人間には見えなかった。


「本人に聞けば分かることか」


 ノブの軽さとは対照的に、扉自体は思いのほか重量感があった。

 戸板に肩を寄せて、体当たりをするように押していく。野太い軋み声と共に、扉がゆっくりと向こう側に開いていった。

 灰色の世界から一転、真っ青な空が視界を席巻する。

 青が七分にコンクリートの白褐色が二分。残りの一分は転落防止柵の銀色だ。

 しかし、セーラー服の朱色はどこにも見当たらない。


(騙された? それとも俺が勘違いを?)


 渡されたメモを確認する。

 昼休み。屋上。今、この場所以外に考えられるはずが──


「……あっ」


 その時、聴覚神経がかすかな空気のゆらぎを感じ取った。少女の……望美の声だ。

 屋上に出た明は、声のする方角に数歩進んでから、ようやく望美を発見した。

 彼女がいたのは中庭を挟んだ向こう岸。三十メートルほど離れた場所にある、北館の屋上だった。

 ちなみに、ここは南館である。南北の校舎は渡り廊下で繋がってはいるが、柵があるため屋上の入り口は別々だ。

 二人の間に微妙な空気が流れた。


「……まあ、たまにはこういう日もある」


 両手を合わせて「ごめん」とつぶやく望美。

 「すぐそちらに行く」と身振りで伝えると、彼女は頭を下げた。

 来た道を引き返し、校舎の中へ急ぐ。何度も足止めを食らったことで、我知らず気が急いていた。

 それゆえに。

 明は、近づきつつあるトラブルの気配を察知できなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る