第三話 異能の気配

 明がそれに気付いたのは、ドアノブに手をかける直前だった。


(足音……? 誰か来るのか?)


 扉越しに聞こえてくる、硬質な音の連なり。

 上履きの底が階段を踏みしめているのだ。それもかなり強く。

 豪雨のように響く激しいリズムは、彼か彼女の抑えきれないたかぶりを伝えてくる。時折混ざる低い雑音は悪態だろうか。

 足音は瞬く間に階段を駆け上がり、直後、扉が乱暴に蹴り開けられた。


「クソっ、どいつもこいつも鬱陶し──うおっ!?」


「ぬおっ!?」


 飛び出してきた男は、目前にいた明を避けることができなかった。明もまた、突然のことに反応が遅れた。


「んがっ──!!」


 ぶつかり合う額。

 二人は鏡合わせのようにのけぞって、同時に頭を押さえた。


「痛ってえな……いきなり、何しやがる……」


「ぐっ……前方不注意は、お互い様だろうに……」


 明は売り言葉に買い言葉で応じながら、うるむ瞳をうっすら開けて、


「げ」


 自分の間の悪さを呪った。

 その男は、どこをどう見ても、関わってはならない種類の人間だった。

 真っ黒な学ランに、やや長めのズボン。そこまでは一般的な学園生と同じだが、学ランのボタンは一つ残らずオープンになっている。

 インナーも学園指定のカッターシャツではない。迷彩柄にファンキーな英字が描かれた、いわゆる色シャツだ。

 刈り込まれた短髪と生傷の絶えない肌、おまけに好戦的な目つきまで加えて倍率二倍。絵に描いたような不良だ。


「ん……? てめえ、知らねえ顔だな。見たとこ転校生みてえだが」


 男はこちらの姿を不審そうに見つめていたが、すぐにいやらしい笑みを浮かべて、


「まあ、この際どうでもいいか。ちょうどムシャクシャしてたところだ。憂さ晴らしに付き合ってもらうぜ」


「おい待て、落ち着いて話を──」


「知るかよ。人様の縄張りでぼさっと突っ立ってるのが悪ぃんだよ!」


 男が吠えた。拳が風を唸らせる。

 体全体のひねりを利用しての殴り下ろし。

 重い、が、遅い。拳が最高速に達する前に、半身を退くことができた。

 舌打ちする男。明は頭をわずかに傾けて、


「縄張り……ということは、ドアノブを壊したのはお前か?」


「だったらどうだってんだ?」


「屋上に入りたいからといって備品を粗末に扱うのは感心しないな。弁償しろとまでは言わんが、以後気を付けることだ」


「はっ、備品よりてめえ自身の心配をしやがれ!」


 二発目が来る。

 感情に任せた初撃とは違い、軌道は的確。至近からの右フックが側頭部を狙う。


「怪人の次はヤンキーか。今日はスリルに事欠かないな……」


 まさに波乱万丈。例の事件絡みなら願ってもないが、そうでなければただの災難だ。

 我が身の不幸を嘆いても目の前の脅威が消え去ることはない。頭を切り替え、相手の挙動に目を配る。

 フックのモーションに紛れて、右足が不穏な動きを見せていた。


(右手はフェイク、こちらの足を踏みつけてからの左ストレートが本命……ならば!)


 背中を丸めてフックをかわし、男が足を上げた瞬間、体ごとぶつかりに行った。


「ぐっ……!」


 突き飛ばされた男がたたらを踏んで、こちらをにらみ返す。その瞳には、怒りと、少しの驚きが混在していた。


「てめえ……やけに場慣れしてるな」


「そうでもない。今朝がたの過激な歓迎で目が慣れていただけだ」


「何をワケの分からねえことを……」


 凄む男に対し、軽く両手を上げて停戦の意を表する。


「先ほどの事故については謝罪しよう。どうか、それで手打ちとしてくれないか?」


「もう遅えよ。吐いたつば飲み込むんじゃねえぞ!」


「こちらから喧嘩を売った覚えは無いんだが……」


 やんぬるかな、向こうは完全にその気になってしまったようだ。

 体勢を立て直した男は、こちらを見据えたまま──ゆっくりと、後退した。


「む……?」


 明には、男の行動が理解できなかった。

 男は闘志をたぎらせたまま、しかし後退、また後退。

 威勢のいい言動とは裏腹に、両者の距離はますます広がっていく。

 校舎の入り口付近まで来たところで男は足を止め、後ろ手で扉に触れた。


「てめえはそれなりにるみてえだからな。こっちも本気マジでやってやるよ」


「……何をする気だ?」


 明の疑問に、男は「くくっ」と笑みを深めると、


「感謝しやがれ! てめえはこいつ・・・の栄えある犠牲者、第一号だっ!」


 刹那、赤の色彩がまたたいた。

 男の手から、見る間に火花のようなものが──


「──リョウ! 何やってるんだよ!」


 鋭い制止。

 加熱する戦いに待ったをかけたのは、たけるの声だった。


「また喧嘩か。しばらくは大人しくしてた方がいいって忠告したばかりだろ」


 息を切らせて階段を上がってきた猛は、屋上に出るなり男に詰め寄った。


「ちっ……猛か」


 男から剣呑な気配が消える。

 非難がましい猛の視線に晒され、拗ねた子供のように目を逸らした。張りつめていた空気が、急速にしぼんでいく。


「リョウ……お前分かってるのか? 次に問題を起こしたら退学だって有り得るんだぞ?」


「……知らねえよ」


「知らないじゃ済まされないんだよ。リョウはただでさえ先生たちに目をつけられてるんだから」


「いいから、あんま俺に関わんじゃねえよ。内申に響くぜ」


 小さくこぼすと、男は逃げるように階段を下りていった。

 猛は後を追いかけようとして、しかし一旦思いとどまり、こちらに疲れた顔を向けた。


「ごめん。あいつが迷惑をかけたね」


「事情は知らんが、暫定的に『気にするな』と言っておこう。……しかし、よくここが分かったな。下まで騒ぎが聞こえていたのか?」


 聞くと、猛は首を振って、


金谷城かなやぎさんが教えに来てくれたんだ。リョウと明が屋上で喧嘩してるって」


「彼女が?」


「そのあたりのことは本人に聞いて。それじゃあ僕は行くから!」


 言い終えるや否や、猛は背を向け、全力疾走。先ほどの男を追うのだろう。

 一人取り残された明は、大きく息を吐いた。


「なんだったんだ、いったい……」


 嵐のような出来事だった。

 前触れもなく現れ、殴りかかられ、来た時と同じく唐突に去っていく。結局、相手の学年すら分からなかった。

 何よりの疑問は、あの光だ。

 猛が割って入る直前に見えた、赤い閃光。


(一瞬で消えてしまったようだが……静電気か? それとも、俺の見間違いか?)


 問いに答える者は無く、明は屋上を後にしようとして……ふと、その異状が目に留まった。

 傷だ。

 扉の表面に、浅く、線のような彫り傷がついていた。

 傷跡はいびつな円を描いており、一見すると何かの落書きに見えないこともない。


「こんなもの、いつから付いていた……?」


 指でなぞると、ほのかに温かかった。しかし、その熱感もじきに消えてしまう。

 消化不良の感情をかき消すように、頭をかいた。

 散々な昼休みだ。約束の場所には未だ辿り着けず、そのうえアブナい不良の機嫌を損ねてしまった。


「リョウ、とか呼ばれていたようだが」


「……黒鉄くろがね良太郎りょうたろう。私たちのクラスメートだよ」


 階下からの声。

 四階の曲がり角から、望美が顔を出していた。おそるおそるといった感じで、まるで小動物のようだった。


「……なぜ隠れているんだ?」


「黒鉄くんの相手は水野くん一人に任せた方がいいと思ったから。私が混ざるとたぶんこじれる」


「とりあえず出てきてくれ。このままでは話し辛い」


 そう言ってやると、望美はようやくこちらにやってきた。明も校舎の中に戻る。

 踊り場で落ち合った二人は、どちらともなくため息をついた。


「屋上で待ち合わせするのはやめた方がいいかも。立ち入り禁止なのに、意外と人が来る」


「同感だ。……それにしても、あれが黒鉄か。噂通りにパンチの効いた男だ」


「痛かった? 絆創膏、あるけど」


「そういう意味じゃない。だが、これからのことを考えると頭が痛くなってくるな」


 厄介なことに、自分はあの男にロックオンされてしまった。

 しかも同じクラスだ。この先、嫌が応にも関わる機会は増えるだろう。

 平穏な学園生活を阻む特大の爆弾、その起動スイッチを自ら押してしまったというわけだ。


(とはいえ、黒鉄のことは後回しでいい。何を置いても優先すべきは、事件の捜査だ)


 喉に手を添え、咳払い一つ。冷えた視線が少女を射抜く。


「本題に入ろう。──今朝の一件について、詳しく説明してくれるんだろう?」

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