36 宛てのない空の旅をしよう


 数日後、体力を取り戻した母竜を空へ還すイベントが、ミッシェラルドで執り行われることとなった。会場であるミッシェラルド大劇場には、総勢三十万人の人々が集っていた。


『――母竜機構のシンボルである母竜を自然に還すのは、並大抵での決断ではありません。ですが、我々は気付いてしまったのです。竜と友情を育むと宣言しておきながら、施設として彼女を運用してしまっていたことに。彼女も、また一つの生命であるというのに』


 民衆の様々な反応は様々だった。だが、誰も彼も母竜機構の最高責任者であるジラーニの声に耳を傾けている。やはり、彼には三十万人もの人々を引き付けるカリスマ性がある。

 高台観客席中央から演説をするジラーニの顔はやせこけていた。ここ数日間ロクに眠てなさそうな不健康な表情だった。


『我々は、彼女を酷使し過ぎてしまった……ならば、もういいじゃありませんか』


 ジャーナリストたちが喜びそうなキーワードと共に、ジラーニが情緒たっぷりに語った。


「何がもういいじゃありませんかだ! ホントにあの髭は!」


 耳が腐りそうな演説を聴いたカームが悪態を付く。


「組織はそう変わらん。それに従えない者は離れて行くのが道理だ。お前のようにな」


 いつも通りの重厚な竜鎧に身を包んだヒンメルが言った。ジラーニの演説場所から、この母竜飛行場の様子は見えない。だから鬱陶しい声だけが電波に乗って届く。

 飛行場の傍らでは、多くの調教士や整備士が忙しなくしていた。


「準備できました、カームさん! いつでも出撃オッケーです!」


 台車を滑らせてファムの下に潜り込んでいたチャルチルが、汚れた顔でひょこりと出す。


「――って、もう出撃じゃないですよね……あはは」


 残念そうにチャルチルが苦笑いを浮かべる。


「最後までワガママ聞いてくれてごめんね。チャルチル」

「ホントですよ。最後の最後にわたしを路頭に迷わす気ですか。まあ、やるんですけど……そ、そうですね……今度会うとき……二人きりで、デ、デ、デートしてくれたら許してあげます」

「そんなんで良ければいつでもウェルカムだよ。この間の舞台劇も凄い楽しかったし、チャルチルと遊ぶの、俺好きだよ。また食事でもしながら舞台劇の話を聞かせてよ」


 カームの発言に頬を真っ赤に染めるチャルチル。


「…………か、カームさんって、意外と大胆なんですね……」


 隣でヒンメルが軽く口笛を鳴らして肩をすくめる。……君、そういうことするんだ。


「ふふふ、でも嬉しいです。約束ですよ、お別れじゃ……ありませんから」


 耳まで真っ赤なチャルチルが、ファムに騎乗するカームを見上げる。


「当然だよ、世界中の大陸を覚えてから、また皆に会いに来るよ」


 カームが笑うと、隣で二人の話を聞いていたヒンメルも笑みを浮かべる。


「お前とは……いつか一騎打ちを交えたいと思っている。もちろん殺傷抜きでな」

「ハハハ、絶対負けないから。……ヒンメル、竜愛護協会の運営、大変だろうけど応援してるから。……シェロのこと、よろしくね」

「……任せろ。母竜に忍び込んでまで守ろうとしてた、相棒竜の新しい子供だぞ」

「恥ずかしいんだけど、ガルムントのことずっと雄だと思ってたよ」

「安心しろ、俺も子供のころそう思ってた」


 握手を交わす二人。ルナリザの姿は無かった。


「人のことより、今の仕事に集中しろ。……最後の最後に、アイツらを欺いてやれ」

「任された!」


 満面の笑みでそう言って、カームは槍をくるくると器用に振り回し、コーンと心地よい石突きの響きを飛行場に響かせる。


『では――これより母竜の解放式を執り行います』

「行け、竜騎士カームッ!」


 ジラーニの張りの無い声とヒンメルの力強い声が重なったとき、カームは飛行場を飛び立つ。


『今回母竜を解放するのは、我らが英雄ヒンメル・キリヒンマグでありま――――ん?』


 爽快な空を最高速度で飛び上がり、母竜を繋ぎ止めている各ポイントまで全速力で到達する。

 竜の鱗で作られた強固な巨大留め具を、カームは竜殺しの槍で切り裂く。

 二個、三個と破壊していくごとに母竜が巨体を揺らし、湖がざぶざぶと揺れる。

 母竜が啼く。脳針が取り除かれ、意識はもう戻っているはずだ。


 ――今までごめんね。ようやく、君を助けてあげられそうだよ。

 竜を殺すための武器で、カームは留め具を次々に壊していく。すべての留め具を取っ払ったとき、着水していた母竜がゆっくりと浮き上がった。

 ヒンメルではなくカームが解放者として空を飛んでいることに困惑するジラーニだったが、式そのものを台無しにするつもりもないらしく、微妙な声色ながらも台本を読み続ける。


 作業を終えたカームは、計画通りにファムの翼で母竜飛行場に合図を送った。

 すると――、次々に黒い影が母竜から吹き出てくる。

 母竜機構の資産である、飼育竜たちだった。その殆どに乗り手がいない。騎乗装備も纏わず、野生竜のような風貌で自由な空を飛翔していた。

 ヒンメルやチャルチル、計画に協力してくれた整備士や調教士たちも、竜騎士たちと一緒に無事空へ飛び上がることができたようだ。


 ほっと一息をつきつつ、カームは自然界の空気を胸いっぱいに吸った。

 高鳴る胸を押さえられない。勝手に持ち上がる頬。これから待っている自由に、夢が膨らむ。

 最後にルナリザの顔が見られなかったことは残念だったが、それでも気分は心地よい。

 世界を揺らすほどの母竜の咆哮と共に、飼育竜たちがカームを追従する。


 槍の先端を宙の彼方へ突き付けたカームは、皆の先導者という格好だった。

 ミッシェラルド大劇場を振り返る。人を乗せた飼育竜たちは、大劇場観客席で一度彼らを下ろしてから、再び自由な空に旅立たっていく。

 一方で、世話になった調教士の元を離れない竜も居た。

 調教士に行けと施されても、彼らは決して翼を広げない。黒い部分ばかりが目立つ組織でも、彼らの間には友情が芽生えていたのかもしれない。それぞれの中に、きっと壮大なドラマがあったのだろう。ぺろぺろと顔を舐めてくる飼育竜に涙を流す調教士も居た。その様子が微笑ましくて、カームは嬉しくなった。


 そんな中で、場違いな泣き声が大劇場に響き渡る。


『カーム! また貴様なのか! 儂の神竜……! 神竜だけは連れて行かないでくれぇ!』

「ハハハ、三十万の人が聞いてるのに大丈夫なのかな。それに、シェロはルナリザに預けてるんだ。さよなら、髭の人ー!」


 常人の目じゃもう自分たちは見えていないだろうが、ジラーニに最後の言葉を贈る。色々気がかりなところはあるが、生まれ変わったヒンメルが上手くやってくれるだろう。

 槍の矛先へと視線を戻したとき、目下から声が聞こえた。


「カーム――――!」


 もの凄い速さで雲を突き破ってこちらを目指してくる竜のボディは美しい白。何度も目にした綺麗な赤髪がカームの視界に入る。


「ルナリザっ!」


 声をかけられるまで、まったく見つけられなかった。実はちょっとだけ期待して彼女の姿を隅々まで探していたが、見送りには来ていなかったのに。


「……ふふん。どう? 意表をつけたかしら」

「驚いたよ。君が……こんなサプライズを仕掛けてくるなんて」


 滞空したカームの背後に回り、ルナリザはミレーユから飛び降りてファムの背中に乗り込んでくる。そして、カームに何かを取りつけた。


「はい、じゃあ後よろしく」

「……どうして」


 カームが見下ろすと、そこには幼い竜の無邪気な笑顔があった。


「アンタ馬鹿なの。シェロはジラーニ、それどころか事情を知ったミッシェラルドからも狙われてる存在なのよ。神竜かどうかは関係なくね。アンタが一番良く知ってるでしょ」

「え……だから竜愛護協会はそのために設立するってヒンメルが」

「何を素直に受け入れてんのよ。……あたしは、アンタがその子を連れて何処か遠くの空へ消えちゃった方が、一番安全だと思うわ」

「まさか……ヒンメルに内緒で?」

「悪い? アンタだって良くやるじゃない。あの人も完全に気を取られてるだろうから、シェロが居なくなって大目玉でしょうね」

「……ルナリザも悪い子になったねえ」

「誰のせいよ。ほんと、影響受けまくりでちょっと癪だわ。でも……アンタを信用して託したんだから、ちゃんとやってよ。シェロに……世界を見せてあげて」

「…………ルナリザっ、」


 カームは、もう一度訊ねようと口を開く。だけど、その必要はなかった。



「……あたし、アンタを追いかけるから!」



 ルナリザは、強い意志が籠もった琥珀色の瞳をしていた。


「あたしはまだ“そっち側”に行けない。でも、いつか絶対に行く! カームに優しくされてばかりじゃ嫌なの。良く噛み砕いて、自分の頭で……じっくり考えたいから!」


 その叫びが何についてなのか言葉になることはなかったが、カームはわかる気がした。


「そしたら、今度はあたしがアンタを見つける! もちろん、ミレーユと一緒に」

「ハハハ、良いね。それ、面白そうだ」

「でしょ? だから、世界の何処かで待っててよ。絶対、見つけてみせるわ」


 ルナリザが不適な笑みを浮かべる。きっと本気だ。カームの口角がますます上がっていく。


「ルナリザ…………見て!」

「は? 殺すわよ」


 ヘン顔をするカームに、本気で槍を突き刺してきそうなルナリザが睨んでくる。


「怖っ……もう、最後くらい笑ってよ~」

「次……会うときまでにそのクソつまらない顔芸を一級品にしときなさいね」

「く、クソ!? ……ひ、酷い」


 殺すとかクソとか、女性らしからぬ強烈な言葉を真に受けたカームはガーンと肩を落とした。


「あはは! アンタって……本当に馬鹿よね。でも、嫌いじゃないわよ、そういうところ」


 カームのガッカリしたその姿こそ面白かったらしく、ルナリザが大笑いした。狙った笑いは取れなかったが、それでも良いと思えるルナリザの素敵な笑顔に、カームの頬も緩む。


「そろそろ行くわ。じゃあね、カーム」


 額を指先で弾かれて、ルナリザはミレーユに飛び乗った。少し赤くなった額に触れながら、カームはきらきらした瞳のまま胸一杯に空気を吸い込む。


「君とのサーカス、俺、すごく楽しみにしてるからね!」


 ミッシェラルド大劇場へと戻っていくルナリザが、こちらを振り向くことなく手を振った。


「ファム、シェロ……俺たちも行こっか」


 大分先を進んでいる母竜や飼育竜たちに置いていかれないように、ファムが翼を広げる。

 母竜の啼き声が――青空に反響する。

 その声は、もう悲しみに満ちてなんていなかった。

 大空を飛び交っているすべての竜たちが、相次いで鳴き声を上げる。


「大空と、竜の声が呼んでる……」


 ――あの雲の向こうには一体何があるだろう。これからどんな出逢いがあるだろう。

 希望に満ちあふれた心が早鐘を打つ。きっとそれは竜たちも同じだろう。

 無限の可能性を秘めた宙の下で、碧い空はのびのびと広がっている。

 そこに空があるなら――宛てのない空の旅をしよう。



 ――さあ、誰にも縛られず、自由に好きなところへ行こうじゃないか。



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