35 一緒に行こうよ


 ミッシェラルド官邸の会議室にて、首脳は葉巻をくゆらせながら呆然とした顔で薄汚れた天井を見上げた。

 竜騎士サーカス団によるエンディングクレジットが行われている間、ミッシェラルドの上層部はジラーニを始め、『F10』VIPたち(自国も含め)の身柄を取り押さえることには成功した。だが、どこかの馬鹿のせいで今後頭を悩ませる日々は続きそうだった。


 ジラーニたちは法を犯した訳ではない。竜に権利が無いことは世界の共通認識だ。母竜機構が今日まで行ってきた非道徳な活動の数々は罪にならない。

 彼らは世界に対して、大きな嘘をついていた。ただそれだけの話である。こと人間社会において、そのような些細な事柄が大きく作用することは想像に難しくない。

 竜騎士サーカス団のスペシャル・サーカスはスペクタクルで素晴らしかった。しかし、あろうことか竜という害獣に“愛”を感じる人が増えてしまった。いや……正確にいえばこれから増えることが目に見えてわかる。会場の雰囲気や国民の声色、サーカスの出来栄え。それらの要素を鑑みて、ここまで上り詰めてきた人間の直感が囁いているのだ。

 ホラ吹きの天才、ジラーニ最大の誤算だろう。一部の嘘が真実になってしまったのだから。


 おかげで、今後の母竜機構の取扱いが大変デリケートになってしまった。ミッシェラルド上層部でも、善人気取った愚か者と保身を図る保守派とで意見は拮抗している。今日の会議も、一体いつ終わるのやら。他にもやらねばならないことが山ほどあるというのに。

 まずは『F10』加盟国として、ジラーニを囲ったその理由とサーカス中のアクシデントの数々についてだろう。マスメディアへの情報提示の順序と、その脚本作り。何一つミスは許されない。世界中の人間をできる限り頷かせなくてはならないのだから。これからの毎日、まともに休むことはできそうにない。

 幸い、我が国の“生物の脳髄を操る技術”については漏洩していない。

 世界中にジラーニの悪行を生中継したいと申し立ててきた、あの青年の主張を鵜呑みにしなかったのは正解だったようだ。


 ジラーニの生中継は、ミッシェラルド上層部内にしか届いていなかった。

 竜に騎乗した青年が官邸に乗り込んできたときは目を疑った。この際ジラーニにすべての罪を被ってもらうことも考えたが、すんでの判断でこの選択ができたことは僥倖といえる。あの青年には感謝しなければならない。

 録音していた音声の中で、一つ気がかりな部分はあるが……。

 ――儂が“シンリュウ”を効果的に運用できれば、世界経済の中核を担うことだって可能だ。

 初めて聞く言葉だった。世界経済の中核を成す運用が可能だというなら、それがあの超常サーカスの正体か? ……まあいい。本人から尋問して聞き出そう。

 我々は、ウィンガリウムの優位に立った。今後、奴らから濃厚な蜜を好きなだけ搾り取れる。


 近いうちに母竜機構は消滅するだろう。そして、その殆どを失う。

 だが、我々はこの世界で最も賢い生き物だ。より良い儲け話を思いつく。それに乗っかって、自国だけがアドバンテージを得られるように働きかければ、それで良い。

 人柱は、愚か者のジラーニとその仲間たちだけで十分だ。



 * * *



 スペシャル・サーカスの翌日、ミッシェラルド特別部隊と母竜機構に属する竜騎士や装備開発士たちによって、母竜の脳髄に刺さった脳針の撤去作業が行われた。

 作業員たちに徹底的な守秘義務が敷かれた上、湖に足場を設置するところから始まったせいか、作業は難航すると思われたが、明日には無事すべての針を抜去できそうだった。

 汗水を流して様々な人々と一緒に仕事をすることが、カームは楽しかった。

 ミッシェラルドは自由の国だ。特別部隊の面々は国籍や肌の色など多種多様だったが、誰も彼もユニークで楽しい人たちだった。こんなにたくさんの人たちを巻き込んで、自分の目的が叶うだなんて、カームは思いもしなかった。


 今日の作業を終え、帰路の途中でカームは牛肉の串焼きを焼いてくれた店主と再会する。またしても御馳走されてしまった。

 なんだか今日は良い日だ。何の気なしにそう思うと、つい足が跳ねる。

 いつもならそのままファムの元へ向かうのだが、今日のカームは口をもぐもぐさせて大劇場の高台観客席にやって来ていた。


「みんな、ここから見てたんだなあ」


 ウィンガリウム飛行場の大階段よりもずっと高く、大きい。目下にはミッドナイトブルーに反射する美しい湖が広がっている。その中央には縛り付けられたまま体力回復を図る母竜が大人しくしている。

 この大劇場は普段から開放されているらしいが、今は工事作業期間中であるため入場規制が行われている。入れるのは関係者だけだ。……だというのに、寄り添う男女は美しい湖よりも最愛の人を瞳に映している。

 カームとて若い男だ。そういう事柄に興味が無いと言えば嘘になる。ただ、今はこの美しい光景と串焼きを堪能していたい。


「――そんなにがっついてると、喉詰まらすわよ」

「……もがっ?」


 声の方向に首を向ける。隣に腰を下ろす見目麗しい淑女。一瞬誰だかわからなかったが、少しの間をおいて、カームは納得する。


「……似合ってる。ルナリザ、凄く綺麗だよ」

「…………そう。それは……良かったわね?」


 真紅色のドレスが、ルナリザの月のような白い肌をより際立たせる。少し伸びた彼女の髪色にとても良く似合っていて、なんだかドキドキしてしまう。


「なんで疑問系? ていうか汚れない? 大丈夫? なんでそんな格好してるの?」

「いっぺんに何度も聞かないで。……チャルチルと、食事してきたのよ。それで、なんか良い感じのお店だったから……チャルチルが、見繕ってくれて」


 ひらひらした襞を恥ずかしそうに抑えて、ルナリザが顔を俯ける。


「ルナリザ今日休みだったもんね。どうりで見ないと思った。……良かったね、お洒落して友達と食事だなんて、素敵じゃない」

「…………アンタも、行きたかった?」

「え? そ、そりゃ……誘ってくれるなら嬉しいけど」

「……チャルチル、アンタと食事に行きたそうにしてたわ」

「あ、そういえば七班の皆で行く予定の舞台劇まだ行けてないね。ミッシェラルドにあるのかな? ……今度チャルチルに聞いてみよ」

「…………二人で、行ってきたら?」

「……どうして?」


 カームの質問にルナリザは言葉を詰まらせる。


「なんとなく」

「何それ、ヘンなルナリザ。というか、なんでこの場所がわかったの?」

「べ、別にアンタの姿を探してここに来たわけじゃない……!」

「……今日のルナリザヘンなの~」


 ハハハと夜空に高笑いを上げるカーム。その横でルナリザが膝を抱えて、湖を見下ろす。


「行程は順調?」

「うん。明日には全部撤去できそう」

「そう……」


 月の輝きと、夜の静けさ、湖のせせらぎ、それに――ドレスコードに身を包んだルナリザがカームを妙な気持ちにさせる。いつもなら、言葉に詰まることなんてないはずなのに。

 ルナリザも同じように感じているらしく妙な間が続いたが、彼女は沈黙を破った。


「…………ジラーニ告発の件は残念だったわ」

「本当にやられたよね。結局うやむやにされちゃってるし。一緒になる作業員の人と話すんだ。ミッシェラルドの上層部もだいぶ拗れてるんだって。しかも、『F10』の中でもウィンガリウムとミッシェラルドは特別濃い関係なんだってさ。難しいことは良くわからないけど」

「……だからこそわからない。どうして脳針の撤去作業なんてするの? せっかく手に入れた母竜という存在を、みすみす逃すような真似をするなんて……」

「心を……入れ替えたとか?」

「絶対ない。それに、第一相当なリスクよ。守秘義務は交わされてるとはいえ、どこから漏れるかわかったもんじゃない。まあ荒唐無稽すぎて一般市民も信じやしないでしょうけど」

「そうだよね……彼らに得なことが無い。なんだかジラーニっぽくないよね」

「そのジラーニもミッシェラルドに囲われて、今どこで何してるのかさえわからないけどね……ただ、母竜機構が消滅するのは時間の問題だし、もう運用は諦めたのかも。寧ろ母竜を野生に解き放つことの素晴らしさを一般市民に伝えるほうに利点を見てるのかしら」

「…………」

「カーム、まさか……告発するって言わないでしょうね」

「まさか、面倒なことになったら大惨事だ。俺だって流石に学んでるよ」

「本当かしら……油断ならないのよ、アンタは」

「ハハハ、それ褒めてるの?」

「全然褒めてない。でも、そうね……」


 はき慣れないヒールを脱いで、ルナリザは物思いに夜空を見上げた。


「たまには、カームみたいになりたいって思うときもあるよ」

「…………なんか、恥ずかしい」

「そんな柄じゃないでしょ。……カームは、撤去作業が終わったらどうするの……?」

「また旅に出るよ。俺、世界中を飛びながら人を探しててさ」

「……初めて聞いたわ。どんな人なの?」

「珍しいね。ルナリザが俺に興味持つなんて」

「だってアンタ、自分のことあんまり話さないじゃない。今でも謎ばっかよ」

「それルナリザが言うの? 例え話しても絶対に聞いてくれなかったよ、最初の頃の君は」

「今は違うの。いいから話しなさいよ、ちょっとは興味あるんだから。女の人……?」


 神妙な顔つきで訊ねてくるルナリザ。やけに前のめりだった。


「……女の人だったら、ルナリザはどう思うの?」

「別に……あ、そうってだけだけど。…………何よ、文句あるわけ?」

「……いや」


 とてもむず痒い気持ちで後頭部を掻いてから、カームは白状する。


「男の人だよ。恩人っていうかなんていうか……俺が今ここにいる証みたいな人。冒険家の人なんだ。俺の故郷には数年立ち寄っただけなんだけど」

「へえ……そんな人が本当にいるのね」

「うん、なんか凄い人だよ。見てるこっちがヒヤヒヤするくらい危なっかしい人だから、今頃どっかで死んじゃってるかもしれないけど。うーん、でもそれも想像できないなあ……」

「……アンタが言うなんて相当なのね……会えると、いいわね」

「ありがとう……あとは旅の途中でサーカスをするよ。どう、ルナリザも一緒に?」

「そういえばそんなこと言ってたわね…………あたしは、遠慮しておくわ」


 その言葉には、別れのニュアンスが含まれていた。

 ――そうか、この仕事が終わったらルナリザとの接点は無くなっちゃうんだ。


「そっか」


 元々、こんなに長い付き合いになるだなんて思っていなかった。元に戻るだけだ。別に悲しいわけじゃない。それなのに、またあの沈黙が来た。これは一体なんだろう。


「……アンタにサーカスの団長が務まるとは思えないけどね。人員やら設備やら調達するのも運営するのも大変よ、きっと。どうせ何も考えてないんでしょうけど」

「そのほうが楽しそうでしょ、どうにだってできるんだから」

「…………まあ、それもそうかもね」


 諦めたような笑みを浮かべるルナリザ。その横顔を見て、カームはつい口を開く。


「一緒に行こうよ、ルナリザ」


 世界中を旅して、色んな景色を見て、様々な文化に触れて。

 サーカスの設営準備をして、派手な演目を考えて、必死に広告したり、ときにぶつかり合って。知らない一面が見えたり、たくさんお互いを知り合って。ルナリザと一緒の人生は、きっと面白い。自分の人生はもっと楽しくなる。そんな予感がカームにはあった。


 そして、きっとルナリザはなんだかんだ言いつつも自分との時間を大切に思ってくれているはずだ。彼女と一緒にいるときの空気感が、それを物語っている。


「…………話、聞いてなかった? 行かないってば」

「あーあ、残念。フラれちゃった」


 軽快な感じで茶化してみせる。ここでしがみつくのは、なんだか違う気がした。


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