33 守ってくれてありがとう


 老火竜が何かを探すようにサーカス空域内を徘徊していた。ほとんどの竜騎士が演目に集中する中、ヒンメルはかつての相棒に裂傷を刻んだ大剣を掲げて、少年のような笑みを浮かべた。


「久しぶりだな、ガルムント。サーカスしようぜ」


 ガルミールの背中を叩き、高度を上げながら上空を飛び回っていると、傷の竜はぷっくりと腹を膨らませた。


「ガルミール!」


 ヒンメルの叫び声で、現相棒も火球を放出する。しかし、幾分か相手の火炎のほうが大きい。衝突。打ち消すことは叶わなかった。だが――、

 大剣を振ったヒンメルが、残り火を纏めて空の彼方へ消し去る。


「お前の娘だぞ。ガルムント……忘れたのか?」


 傷の竜は応えない。今まで交わってきた野生竜となんら変わりなかった。

 ずきりと、ヒンメルの胸に小さな痛みが走る。


「俺のことも覚えてないくらいだ。ボケが始まったな。元々、利口だと思ったことはなかったがな――!」


 ガルミールと共に傷の竜へタックルをかます。追撃で大剣の刀身をハンマーのようにして頭部に叩き込んだ。傷の竜は啼き声を上げてヒンメルから逃げようとする。


「ブランクの差が歴然だな、ガルムント。第一、お前は一体何処から沸いたん――」


 母竜のほうから、何かが崩れる異音。

 ――まさか、脳室での作業が? 慎重に進めた脳針撤去だったが、良くない作用をしてしまった可能性もある。しかし、その考えは的外れだったようだ。

 巨大な棘竜が母竜の眉間から飛び出し、それにカームが併走している光景が視界に入る。すぐに視線を傷の竜に戻すと、戦闘中だった相手が進路を変えていた。

 それぞれが、一心不乱に一つの行き先に向かって飛んでいく。


「……ガルムント、まさか……お前は……」


 ヒンメルが苦い表情をしたとき、大劇場内に突然ノイズが走る。


『――あ、ああ……ええと、幾数年の戦いを繰り広げてきた……ブルースカイ軍とレッドクラウド軍……両軍による激しい戦いの中、突如出現した野生の火竜と母竜に身を隠していた新種の棘竜が戦場に現れてしました。四者による絡み合いは……、激烈を極めます――!』


 しどろもどろなナレーションを始めるのは、七班整備士のチャルチル。予想だにしなかった展開に、ヒンメルの頬も上がる。


「……面白くなってきやがった」


 遅れて、ヒンメルも追従する。彼らが目指す先は……ルナリザとシェロの元だった。



 * * *



 シェロを抱いてサーカスを続けるルナリザの元まで、咆哮は届いていた。

 見たこともないサイズの棘竜に一瞬言葉を失うルナリザだったが、気にしないよう努めて周囲の竜騎士たちと演目を続行する。……だが、大型棘竜は動きを止めなかった。途轍もない速度でこちらへ向かってくる。自分を含め、周辺の竜騎士たちの表情が曇る。

 先ほどから竜兜のダイヤルを七班に合わせているが、カームの応答が無い。

 ――カームはどこ? 上手くいったの? あの棘竜は何? 傷の竜とヒンメル竜騎士長は?

 そんなルナリザの不安を吹き飛ばすように、調節できていないノイズが聞こえてきた。


『我が国の未来はルナリザ姫にかかっています! どうか、我々国民のためにもお逃げください! ――と、レッドクラウド軍の勇敢な竜騎士たちが涙を流しながら叫びました!』


 情緒に訴えかけてくるメロディが聞こえてくる中、赤衣装に身を包む竜騎士たちが「俺か?」と自分たちを指さし、付近の者たちで顔を窺い始める。そして、なんとなく出来上がった一群がルナリザを囲い込み、目を合わせてこくりと頷く。


『親、子供、恋人――大切な人への想いを胸に、大型棘竜に立ち向かいます!』


 その声に続き、それぞれの過剰演技で赤衣装の竜騎士たちが大型棘竜へ向かっていく。

 ――サーカスを続けろってことね……わかったわ、チャルチル。

 何故彼女がこんな役をしているのか疑問だが、きっと何か意味がある。信じよう。

 ぎゅっとシェロを抱きしめて、ミレーユに旋回を促す。サーカスが舞台演劇のような形になったことで、一国の姫君であるらしいルナリザは自然に逃げ回ることができる。


『この世界では、畏怖としての象徴から竜への迫害が起こっていました。生き物としての権利が認められない竜の悲しき人生を、心優しいルナリザ姫はなんとしても変えたかった……』


 チャルチルの声色がそれまでの慌ただしいものではなく、静謐なものへと変わっていく。

 ――なんか、ヘンに熱入ってない? あの子……そういえば、舞台劇好きなんだっけ。


『ですが、ルナリザ姫も力を持たない一人の少女に過ぎません。そんな彼女が大切に抱きかける存在……それは、人類と竜種、相異なる双方とコミュニケーションを介せるレッドクラウド国の秘宝――通称、幻の子竜でした。正義感が強くおてんばなルナリザ姫は、人にも竜にも優しい世界が訪れることを願い、宝庫から子竜を連れ出していたのでした』


 やけに社会風刺を織り交ぜたシナリオへと変貌し、壮大になっていくチャルチルのアドリブナレーションに、ルナリザは思わず口角を上げてしまう。

「まんまじゃない、もうちょっと捻りなさいよ! それにあたしは姫なんてガラじゃない!」

 世界中の人が集まる大劇場でのサーカス中だというのに。娯楽など提供している場合ではないのに。自然と、笑みが浮かぶ。この緊張感とハラハラ感が堪らない。

 竜を殺すために乗船した母竜。サーカスをするのは命令で仕方なくだった。でも――、

 誰かが言っていたように、大袈裟なくらいにニコっと頬を緩めてみる。

 思ったより悪くない。寧ろ、とても清々しいくらいだった。……なんか――楽しい。

 ――アイツも……こんな気持ちだったのかな。


『幻の子竜を巡る両国同士の争いが激化する中――、母竜に姿を隠していた第三勢力の大型棘竜が、ルナリザ姫たちに襲いかかります!』

「神竜を寄越せ――――ッ!」


 大型棘竜の背中からジラーニが大声を叫びながら、ルナリザへ突っ込んでくる。

 ――笑っていると、自然と楽しくなってくる。楽しいと、不思議と上手くいく気がする。

 安全帯を外したルナリザは、ミレーユの頭部を踏み台に勢いよく飛び上がった。胸にシェロを抱きかかえたまま、身体を丸めて空を墜ちていく――。

 ジラーニが大口を開けたのと、ルナリザの叫び声が響き渡るのは――ほぼ同時だった。


「ミレーユ――――――!」


 暴走機関車のように突撃してくる大型棘竜を華麗に回避し、ルナリザは示し合わせたように先回りしたミレーユの背中に再び着地する。

 わき上がる喝采。どうやら、サーカス演出の一つとして受け止められたらしい。腕を伸ばして観客たちに精一杯の笑顔を向けるルナリザ。

 そんな良い気持ちが、一瞬で壊れる。決して、運命は自分を野放しにはしてくれない。

 ルナリザと深い因縁で繋がれた傷の竜が、ゆったりと大口を開けた姿でほんの数十メートル先に居た。このまま自分を喰い殺す気なのだろう。姉をそうしたように。

 野生竜を二匹殺した今の自分は、敵である傷の竜と同じ穴のムジナだ。私情を交えて尊き命を奪った。神が居るのだとすれば、どちらも天罰を受けるべきだろう。だが今そんな暇はない。ならばどちらか片方が死に、片方が生き残るしかない。


 ルナリザは問う。今、ここでお前は死ぬのか――?

 竜を殺したことに負い目を感じるなら――、良心の呵責に苦しめられるのなら。殺されるのに都合が良い今、このタイミングで死ぬべきか? ――いや、違う。

 四方八方が鋭利な牙で埋まっていた。コンマ数秒――呑まれる、その一瞬。


「それは面白くないでしょう? 相棒」


 ルナリザが口角を上げて相棒竜の背中に語りかける。ミレーユが鼻息と共に低く唸った。

 ミレーユの背中にルナリザは身体を這わせる。一人と一匹は一つになり、風の中を泳いだ。

 その一瞬は――そよ風のように優しく、稲妻のような神速だった。


「――あたしもミレーユも、まだ死ぬ気はないから」


 傷の竜に、ルナリザは悪意のない笑みを浮かべる。

 巻き起こった出来事に会場中が息を呑む。すぐさまナレーションが入った。


『世界の外側から幻の子竜を探し求めてやってきた強大な火竜を相手に、覚醒したルナリザ姫が人間離れした大技を見せつけました! それは、まさに神が吹かせた風です!』


 また新たな設定が追加された。「何よそれ」とルナリザが突っ込みを入れたとき。


「――レッドクラウド国の姫君、ここは、この俺にお任せを!」


 聞き覚えのある声がルナリザのすぐそばで聞こえた。興奮した様子のチャルチルが叫ぶ。


『ルナリザ姫の行動に心撃たれたブルースカイ軍の青年が、彼女を付け狙う存在から姫を守るため、参上したのです!』


 青年はルナリザを庇うような立ち位置に割り込み、本当に楽しそうな表情で大袈裟なポーズを決める。うぉぉ――! と盛大な茶番劇に盛りあがる会場。


「……遅い。なんでアンタ無線繋がらないのよ」

「邪魔だったから外してきた。……ルナリザ、ゴメン。君のピンチに全然間に合わなかった。……でも、これからは君もシェロもミレーユも……俺が絶対に守るから」


 一瞬俯いたかと思うと、すぐこちらをまっすぐな瞳で見つめてくる。本当に、こいつらしい。


「はあ。本当に…………心配、したんだから」

「え、本当に!? なんか嬉しいな……ありがとう」

「…………それで、上手くいったの?」

「大成功。でも見ての通りな感じで」


 カームが視線を促す先で、ジラーニが壊れた笑い声で叫んでいた。


「儂は――神になる男だ! 貴様等なんぞに屈したりなぞせんぞッ!」


 その光景を目の当たりにしたルナリザが頭を抱える。


「一体何をしたらああなるのよ……」


 笑えない状況にルナリザの気苦労が絶えない。対面の空には頭のネジが外れてしまったジラーニと大型棘竜に、眼をぎらつかせてこちらを窺っている傷の竜。


「まあ、それは置いとくとして……さっきのヤツだけど驚いたよ。ルナリザ、覚醒したの?」

「馬鹿。やめなさいよ、恥ずかしいんだから……チャルチルが勝手に言ってるだけ」

「でも、ミレーユと一つになれてるように見えたよ」

「……そう。アンタが言うなら、そうなのかも」

「素直じゃないんだから~」

「う、うるさい!」


 対面のジラーニが青筋を浮かべて叫んだ。


「貴様等、茶番劇もいい加減にしろッ……!!」


 ジラーニの叫びに、流石のカームも表情を引き締める。ほんのり笑顔は忘れずに。

 そんな中、どうやら即興シナリオの魅せ方が決まったようだった。


『隊長の肩書きを持つブルースカイ軍の青年が宣言します――竜たちを取り囲め!』


 チャルチルのシナリオを再現すべくカームがそれっぽく部下たちを誘導し、ジラーニと傷の竜を大きく取り囲んだ。しかし、ジラーニは大型棘竜の手綱を引き絞り、赤と青の衣装を着た竜騎士たちを体当たりで蹴散らしていく。全身凶器に近い大型棘竜は、体当たりでも相応のダメージを与える。


「ワハハハハ! 儂の一発は最高だろう! 馬鹿なことをしおって、裏切りもの共が!」

「何よこれ、こんなの……勝てるわけないじゃない」


 ルナリザが歯ぎしりする。そんなとき、カームの横顔が視界に入る。彼は笑っていた。

 それは観客に向けた表面上の笑顔か、それとも心の底からの笑顔か。

 周囲を見渡す。深手を負い悲痛な表情を浮かべる竜騎士と飼育竜の組が見えた。だけど、まだ諦めていない。どちらも、焼かれたように熱く光る瞳がまったく死んでいない。

 舞台劇調サーカスの練習風景を思い出す。VIPたちを喜ばせるための殺戮サーカスが、今この瞬間に世界中の人たちを楽しませているという事実に、全身の血肉が沸き立ってくる。


 狂っている――素直な気持ちでそう思った。でも、楽しんでもらえるなら。そして、自分が楽しめるのなら。――いくらでも笑顔になろう。

 にっこり頬を上げて、執拗に狙い続けてくるジラーニをアクロバティックな旋回で躱す。

 都のほうで流行っているカートゥーンアニメみたいにジラーニを手玉に取って、ルナリザとミレーユはサーカス空域内を逃げ回った。

 そのたびに憤慨するジラーニの表情や言葉が誇張表現された台本のようで可笑しかったのだろう。観客たちの甲高い声が、シリアスな雰囲気をコミカルな空気に変えていた。もちろんルナリザたち演者は本気で命を掛けているのだが、端から見れば馬鹿馬鹿しい追いかけっこにしか見えないのだ。


 観客たちの表情は千差万別だ。酒をあおりながら馬鹿笑いする中年男性。真剣な表情で事の顛末を見守る少年少女。口元を上品に隠しても吹き出してしまう淑女。

 かつてカームが言っていたように、人々は様々な表情を見せてくれていた。


 十人十色の観客席に目を奪われていると、激しい衝撃。


 付近を飛行していた飼育竜とミレーユの接触。一瞬、行動が停止する。


 ギリギリで躱し続けてきた相手の大口が、ぐばぁ――と異音と共に開いた。

 生暖かいむわりとした空気が新鮮な空と触れあう。その境目は、まるで世界の区切り目だ。


「ウハハハハ! 呑み込んで大人しくさせてやる!」


 突然のアクシデントに身体と心は置いてけぼりの状態だった。とても、さっきみたいな神業ができるとは思えない。


 時間が――、永遠のように感じられる。


 カームの叫び声が聞こえてきた。必死な形相で、すんでのところまで手を伸ばしてくる。


 でも――届かない。たぶん、もうダメだろう。


 呑み込んで大人しくさせるってことは、まだ殺さないということ? でもそれはシェロだけの話で、自分の腕や足は中途半端に千切れてしまうかもしれない。だってあの口内だ。


 ……いや、自分なんてどうでも良い、一番ダメージを負うのはきっとミレーユだ。

 せっかく、サーカスを面白いと思えてきたところだったのにな。ミレーユともなんだかんだやっていけそうだと思ったのに。これから、ちょっと楽しみだったのに。

 ――ああ、お姉ちゃん。あたし、もうすぐ同じところに行くのかも。

 ルナリザは瞼を閉じる。しかし、強い衝撃にルナリザは瞬く間に琥珀色の瞳を丸くさせた。

 瞳に、深い裂傷が刻まれた緋色の鱗が映った。そして、それはすぐに見えなくなる。


 大型棘竜の鋭利な牙が、すぐに緋色の躰を丸ごと呑み込んだからだ。


 ――どうして。そんな、ありえない。

 ミレーユと一緒に空に投げ出されながら、ルナリザは想像する。

 もしや、“傷の竜が自分を庇って身代わりになってくれた”のではないかと。

 あれほど憎かった敵が、何故自分を? 偶然か、別の目的があったのか? 頭が真っ白になったそのとき、ルナリザは直感的に一つの可能性に気付く。


 初めての出撃で竜の巣から卵を持ち帰ったとき――追いかけてきたのは傷の竜だった。あのときは周りが見えていなかったが、今にして思えば何故追ってきたのかわかる気がした。


 シェロのつるりとした頭に触れたとき。ルナリザに憂いの表情が広がる。


 ――そうか、アンタは……この子の……たぶん……お母さん、だったんだね。


 ジラーニの大型棘竜に呑み込まれそうになったとき、その口内からは圧倒的な悪意が漏れ出ていた。だけど、傷の竜のときはそれが無かった。


 自分の子供を――取り戻したかっただけだったんだ。


 呆けたままぽつねんと滞空していると、額に汗を浮かべたカームが隣にやってくる。


「……ルナリザ。俺たちは、お客さんを楽しませないと」


 カームが、ルナリザの手を優しく握る。温かい手はシェロの頭部を撫でてから、その小さな手に触れた。ルナリザも、儚いシェロのもう片方の手に触れる。


「大丈夫、俺たちならできるさ」


 いつもの笑みを浮かべたカームが、優しい眼差しを向けてくる。


 ――あたしたちは、きっとわかりあえない。けれど、ずっと憎しみ合う必要はないんだ。誰に強制されたわけでもない自分の心が変わったのなら、そういうことだ。

 アンタのことは絶対に許せないし、その気持ちが覆ることは一生無い。だけど、もううんざりだった。暗い感情に呑み込まれて、自分の人生がつまらなくなっていくことが。

 もう知ってしまったから。楽しい生き方を見つけてしまったから。素敵な仲間や友達と、出会ってしまったから。もうあたしは、何があってもあの頃の自分には戻れそうにない。

 自分の子供を奪われたアンタが、あたしのことを憎んでいるなら、それはそのままで良い。きっとお互い様だから。あたしたちは、干渉しあうことなくお互いの人生を歩むの。


 だけど――、これだけは言っておきたい。


「シェロのこと、守ってくれてありがとう」


 会場が静寂に包まれたとき、ルナリザは傷の竜に思いを募った。

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