32 シナリオ変更
分厚い肉壁の外から賑やかな歓声が聞こえる。カームは悶々とした気持ちで走っていた。途中で出会う警備員は、カームを見ただけで青ざめた顔で道を譲る。
ゴメンねと心の中で謝りつつ、カームは総統室の扉を開けた。
真紅の絨毯の先――磨かれたガラスの向こうにはルナリザたちが繰り広げているサーカスと、高台観客席で騒いでいる粒のような観客たちが見える。
ガラスに張り付いたまま微動だにしないジラーニ。本来竜の臀部に取りつける大仰な無線装置を机に乗せ、そこから伸びるマイクを片手に握っていた。
「お酒でも飲みながら楽しんでるのかと思ってた」
「…………入出は許可していないぞ」
苛立った声が返ってくる。ジラーニはサーカスから目を離さなかったが、ガラスに反射したカームが視界に映ったことに驚き目を開く。
「くそ……ヒンメルの奴、虚偽の報告をしおったな」
「当たり。ルナリザもサーカスに参加してるよ」
「知っておるわ。あの火竜もお前の仕業か?」
ジラーニの問いにカームは首を振る。すると、ジラーニはすぐさまマイクに口を当てる。
『シナリオ変更だ。異分子の火竜と戦闘を行い、その過程を寸劇にする。大団円を迎えるエンディングに臨機応変に対応せよ。貴様等ならば、できる』
「……その熱意を、もっと人を幸せにすることに向けてくれれば良いのにな」
「で、何用だ? 見ての通り儂は忙しい、早急に消え去れ。貴様の処分は後ほど通達する」
「今日は、母竜機構をブッ壊しに来たんだ」
「……何? 貴様なんぞに何ができると――――」
ジラーニの下卑た笑みが少しずつ引いていく。
「…………一体、何をした」
「君がヒンメルの相棒竜に“何か”したみたいに、させてもらっただけだよ」
ジラーニがマイクを口に持って行こうとしたところで、カームは笑う。
「無駄だよ。皆、君が作り上げた英雄ヒンメルの味方だから。幹部さんたちには眠ってもらってるし、後は一般の警備員くらいしか残ってない。これでゆっくり話ができるね」
ジラーニがマイクを下ろしてカームを睨みつける。
「話だと?」
「十二年前、ガルムントの脳を弄った。そこで培った技術を今度は母竜に転用したんだろう? ……自然界に生きる生物への冒涜だ。そんな奴らに、シェロは渡さない」
「偽善だな。貴様のその発言こそ、神竜を物扱いしていることに気付かんのか」
「……そうかもしれない。どれだけ竜に歩み寄っても、俺は人間であることを辞められない。どうしても人間目線なんだ、そこから目は背けられない。でも、だからこそ誠実でありたい」
「ご立派だな。でもだからどうした、マイノリティーな貴様の意見など誰も聞きはしない。カームよ、知っているか? 人と竜はな、まったく別の存在なのだぞ」
ジラーニが小さな子供に言い聞かせるように、ゆっくり口を動かす。
「無知なお前に、人と竜が決定的に違う生物に相成った小さな転換期を教えてやろう」
「……どういうこと?」
「大昔……竜は人間にとって未知だった。人間の匂いがする区域に奴らは近寄らない、だから害もなかった。しかし、知的生命体である我々は未知であることが何よりも恐ろしかったのだ。あるとき竜同士で喧嘩が起きて、一匹の竜が地上に落下し絶命した。ここまでは自然界の摂理の話だ。そして――、ここからが我々人類の話だ」
ジラーニは、カームを嬲るような嫌らしい笑みと共に唇を開いた。
「死骸を解剖した研究者は大層感動したそうだ。人間には知識欲が備わっておる。より多くの情報を欲するようになった結果、討伐隊が出来上がり、弓や銃などの開発が進んだ。そして、次第に人間は竜を攻撃するようになった」
ジラーニが机の引き出しを開ける。カームの位置からは中身が見えない。
「紙面や書物に載ることもない小さな出来事だ。だが、儂はこれこそが母竜機構のルーツであると考えている。人と竜が相容れない存在となった証明。“使う者”と“使われる物”に分かれた瞬間だ。我々は人間。その欲求を満たすためなら他を犠牲にせねばならない。古来より、人とは――“知りたい”という欲求に従いすべてを手にしてきたのだ!」
バン――とジラーニが机を叩く。
「何度でも言おう! 竜に権利はない! 今この世界に生きる生命は、生物ピラミッドの頂点に位置する人間と、それ以外の生物に区分けされる。その中でカテゴライズすらされないはぐれモノこそが害獣である竜だ。モノとして扱おうが、法も、人も、誰も困らん。ならば活用すべきだろう。実にエゴイスティックな人間らしい考え方だ。あくまでも人間的に、個人の自由と万人の平等の上で叩き起こしたウィンガリウムによる政策の結果だ!」
ジラーニが身を乗り出して、ぎらついた眼差しをカームに向ける。
「儂が神竜を効果的に運用できれば、世界経済の中核を担うことだって可能だ。それは即ち――世界貢献に繋がる! 貴様の大好きな竜によるサーカスとて、この儂の功績によりウィンガリウムの国技になることが約束されている! その際はヒンメルを差し置いて貴様を竜に最も近しい人間とし、広告塔になってもらいたい」
カームは、母竜機構に訪れてから幾度となく裏切られた気持ちを思い出す。
「そうやって、君は世界に対しても嘘をつき続けるんだ。もう……戻れなくなるよ」
「ガキの貴様にはわからんだろうが、社会を担う大人とは、平然と嘘をつける人間になることだ。倫理などという曖昧なものに、儂が媚びへつらうとでも思うのか」
「……ねえ、ジラーニ。一度聞いて見たかったんだ。君は、本当は一体何がしたいの?」
「何を……言ってる?」
「今君が言ったんじゃないか、平然と嘘をついてるって。だったら、君が本当にしたいことってなんなのさ」
カームの言葉に、ジラーニはポカンと口を開けてから、思わず引き笑いをする。
「くっくっく……儂を笑い殺すつもりか? 貴様には人間の私慾がないのか? ならば尚更だな。儂の話に乗って、カネと権力を手にしてみろ……世界が変わるぞ?」
「あんな紙切れがたくさんあったところで何が変わるの? 全然わからないよ」
「ワーッハッハッハ! いいだろう、馬鹿な貴様に教えてやる! カネと権力、この二つがあればこの世の“欲”はすべて満たされる。高級車を乗り回しながら最高級の酒を味うことも、美しい女を侍らせて、その柔肌を好きなだけ堪能することもできる。楯突いてくる愚かな連中を社会的に抹殺することだって可能だ。儂が気持ち良いと思うことを貪れるのだぞ!? その快楽を全身で感じることこそが、人間の生きる理由だろう」
口角泡を飛ばしたジラーニが脂ぎった顔面を歪める。そんな表情を見つめるカームは、ニコリと唇を曲げた。
「なんだ、じゃあ何も変わらないじゃない。俺だって楽しいことだけして生きてたい。自由に、好きなだけファムと空を飛んでいたいだけだよ。ちゃんと共通点があったんだね、俺たち」
「き、共通点、だと……貴様、儂をどれだけ――」
ジラーニは苦虫を噛み潰したような表情をしてから、フッと肩の力抜いた。
「まあ良い……儂はいずれ、ウィンガリウムだけではなく『F10』をも制する。指先一つで、世界中を操る支配者……そう、儂は神になる。素性も良くわからん田舎者の貴様とは口論にすらならんことが良くわかった」
「神様ってまたデカく出たねえ……手始めにミッシェラルドを奪いとるとか?」
「愚問だな。ウィンガリウムの国力を持ってすれば、近い将来必ずモノにできる。今回のサーカスは、必ずやそのときの材料になるだろう」
「へえ、それは大変なことを聞いちゃったな」
両者が同時に不適な笑みを浮かべる。そして、カームが口を開く。
「――言質を、取った」
カームが手にしていた竜兜の中から小型の機器を取り出す。ジラーニに困惑の色が浮かぶ。
「……なんだそれは」
「ミッシェラルドが開発中の『小型無線機』だって。今頃、ジラーニの声は世界中のテレビやラジオに生中継されてるよ」
「貴様が……ミッシェラルドと……?」
「サーカスをしただけだよ。そしたら気に入ってもらえた、ただそれだけ」
唖然とした表情で立ち尽くすジラーニ。次第に状況を飲み込めたのか、表情が青ざめていく。
「ふざけるなよ貴様、この卑怯者めが! 儂がどれだけの時間と金をかけたと思ってる!」
「俺も利用できるものを活用してるだけだよ。君と同じようにね」
「……ワハハハハハハ! もういい、サーカスも何も無しだ! 神竜は儂だけのものだ!」
ジラーニが、勢いに任せて引き出しの中に腕を突っ込んだ。次第にゴゴゴと地鳴りが続き、母竜の痛ましい啼き声が大空に響き渡った。
カームの琴線に、びりりと痛みが走る。……今にして思えば、この咆哮は身動きも出来ず思考能力すら奪われた、母竜の助けを求めた嘆きだったのではないか。
「……気付くのが、遅くなってゴメンよ」
地鳴りが、少しずつ収まっていく。
「……やはり、母竜に何か細工をしたな」
「細工じゃない。できる限り、元の状態に戻そうとしただけだ」
「……糞がッ!!」
ジラーニが続けて引き出しを力一杯叩く。総統室の足下が大きく振動する。
「な、……なんだ!?」
「儂はな、目の前のプロジェクトが倒れるかもわからんのに愉悦に浸ることなどできんのだ。如何なるときでも必死の活路を見いだす。例え組織が崩れさろうともな! 儂は負けん!」
少しずつ身体が母竜から離れて行く、ただならない感触。床が――浮いてる?
カームは咄嗟に駆け出し、ジラーニを横切ってガラスに飛び込む。
「ハハハ! 天空のサーカスを死地に選ぶか!」
下卑た笑いを上げるジラーニの声を背中に聞きながら、カームは飛散するガラスの欠片と一緒に青空へ身を投げる。唇に指を当てて、高い音を鳴らす。
「ファム――――――!」
相棒の名を呼ぶと、待っていたと言わんばかりにファムがカームの身体を背中で受けて、そのまま空を横滑りしてサーカス空域に参入する。
「ありがとうファム、近場で待機しといてもらって本当に良かった」
カームが背後を振り返る。視界の大部分を埋める母竜の眉間が、ばらばらと崩れ落ちていた。先ほどまでカームが居たジラーニの総統室に、すっぽりと穴が空いている。
一室丸ごと空に飛び出した……? 思案を巡らせていると、金切り声。
巨大な竜の咆哮だった。特徴的な平べったい頭部は棘竜そのものだが、大きさは巨竜に近い。
――品種改良したのか。巨竜と棘竜の混血!
「ワハハハハハハハハ、儂が直接神竜を手に入れてやる!」
ジラーニが高笑いと共に十時の方向へと向かっていく。その先に視線を向けると――白い竜と、竜兜の隙間から赤髪が見えた。彼女が、何かを抱えている。
――シェロは、ルナリザと一緒にいる!
すぐに追いかけようとする刹那、母竜飛行場からこちらに手を振ってくる良き理解者が、カームの翡翠色の瞳に映った。
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