31 大団円に向けて……


 母竜がミッシェラルドの首都に到着した。話に聞いていた通り、円形に囲まれた広大なミッシェラルド大劇場の中央には空色の湖が広がっていた。母竜が緩やかに減速して湖に着水すると、辺り一面に波が騒ぎ立った。その一挙一動に、民衆たちは大仰に騒ぎ始める。


 母竜の搭乗口と仮説足場とが連結され、ジラーニや幹部たちが大きな拍手と共に日差しの下に現れた。用意された簡素な壇上で、ジラーニがマイクを握る。


『ミッシェラルド国民の皆様。また、お越し頂いた各国の方々に感謝を申し上げます。母竜機構総統のジラーニ・ウェザマクスウェルです。ウィンガリウムの旅立ちから早二ヶ月ほど……思えば遠くへ来たものです。未だ道中ではありますが、皆様には旅の報告よりも先にご覧頂きたいスペシャル・サーカスがあるのです』


 ジラーニが両手を上げると、合わせたように民衆の黄色い声が大劇場に反響する。


『我が母竜機構はこの旅を経て竜と友情を深め合うことができました。……断言しましょう。今日のために準備を重ねてきたスペクタクルなサーカスで、我々は竜の凶悪なイメージを払拭することができる。皆様一人ひとりがその目撃者となるのです。では――人と竜、その垣根を越えた最高級の娯楽劇場をお見せしましょう! また、今回はミッシェラルド首脳の温情により『F10』参加国のテレビで生放送され――』


 ジラーニの演説が大劇場に響き渡る中、母竜飛行場では装備開発士や整備士、竜騎士たちが一丸となってサーカスの準備に没頭していた。

 欠番となっている第七班の班長には竜騎士長のヒンメルが一時的に配属され、彼は幼竜帯を身に纏った姿で整備士の最終チェックを受けていた。そんな彼の横に、一匹のアルビノ竜が搬入されてくる。軽やかな身のこなしでその雌火竜に飛び乗ったのは――、


「久しぶりだな。ルナリザ」

「お疲れ様です、ヒンメル竜騎士長」


 ミレーユに飛び乗ると同時に、ルナリザはヒンメルが胸に抱く存在に目をやる。


「シェロ、元気でしたか? ちょっと見ない間に大きくなりましたね」

「竜の成長は早いからな、すぐに俺たちの身体など追い抜かすさ。相も変わらずやんちゃ小僧だぞ。カームやお前よりも、俺に懐いてしまったかもしれないな」

「言いますね。でもどうでしょう……シェロ、あたしのこと覚えてるわよね」


 ヒンメルの胸でじたばたしているシェロに微笑みかけると、つぶらな瞳がこちらを向いた。


「……この子、たまに自分が“可愛い”ってわかってる顔しますよね」

「……お前も変わったな」

「そこは自覚してます。でも、それはお互い様でしょう」

「訓練中、シェロの力を実感したよ。おかげで竜騎士サーカス団の結束も高まった」


 スペシャル・サーカス用の青い衣装に身を包んだヒンメルがにこりと笑う。ルナリザは赤色の衣装だった。それぞれ、敵国の騎士という扮装である。


「…………上手く、いくでしょうか」

「いくさ。この俺が手応えを感じているんだからな」

「……なんだか、楽しそうですね」

「客を楽しませる前に自分がワクワクしてしまっては叶わんな。昔を想い出せて楽しいよ……お前はどうだ、俺たちのサーカスについてこられるのか?」

「あたしだって、ただ待ってたわけじゃありませんから。それに、一応主席なんで」

「ほう……言ったな、オープニングは頼むぞ。演目中、シェロは俺に任せろ」


 ヒンメルの逞しい言葉に、ルナリザが引きつった笑みを上げる。


「……どうした」

「…………あたしは、この中に居ても良いのでしょうか」


 ルナリザには殺害指示が出ている。母竜機構から見れば、彼女は排除すべき異分子だ。


「……この場に居る竜騎士たちにはお前やシェロのことを伝えてある。もっと言えば、ジラーニはお前がここに居ることすら知らん。現場のことは何も知らん豚野郎だからな」


 ルナリザが振り返ると、同じサーカス衣装に身を包んだ竜騎士たちが目で合図してくる。


「ここに居る人間は、ジラーニが考案した低俗なサーカスに憤りを感じている。正直に打ち明けたら……皆、協力してくれたよ。だから、この場の人間は全員お前の味方だ」


 ヒンメルが晴れやかな表情で笑った。憑き物が落ちたその姿には、親近感があった。


「ふふ、豚野郎って……そういう子供みたいな悪口言う人だったんですね」

「これでも笑いは心得ているほうだぞ。エノリアからは毎日爆笑をかっさらっていたからな」

「それは姉が笑い上戸なだけです!」


 自慢げなヒンメルにルナリザが突っ込みを入れたとき、


「ルナリザさんお久しぶりです!」


 元気な声と共に、小さな整備士がびしりと敬礼をした。

 チャルチルと久しぶりに世間話をしていて、自然と笑えている自分に気付く。同年代の同性とこんな風に楽しくお喋りすることがあるだなんて。


「あの、そういえば……カームさんは……」

「心配しないで、ミッシェラルドに居るわ。アイツのことだから、そのうち飛び入りしてくるわよ。出発セレモニーでそうだったみたいに」


 ルナリザの返答に、チャルチルが安心した笑顔を作る。


「……チャルチル、終わったらディナーでも行きましょう」

「はい! わたし、楽しみにしてます!」


 サイレンと共に船内放送が鳴る。そろそろ、サーカスの始まりだ。


「ルナリザ……今このときを楽しもう。同じ――竜のサーカス屋として」

「……ええ。宜しく頼みます…………ヒンメル、義兄さん」

「…………なん……、だとっ」


 脳裏に稲妻が走ったような顔で思考停止するヒンメルを笑い、ミレーユの背中に触れる。


「行くよ、ミレーユ。全力で……一緒にサーカスを楽しみましょう!」


 ――お姉ちゃん……見てる? あたし、あなたが愛した人と一緒にサーカスをやるんだよ。



 * * *



 広大な大劇場の中心に鎮座する母竜の胸部から白と黒の竜が飛翔し、二匹の竜は息を合わせて交差して南下。湖を囲む高台観客席、その六時方向――ミッシェラルド首脳が鑑賞するすぐ目の前まで迫り、滞空。身を乗り出したルナリザとヒンメルが一礼する。頭を垂れながら、頬を緩めたヒンメルがチラリとルナリザを横目で見る。


 ――口だけではなかったか。では頼むぞ。

 そんな風に言われた気がして、ルナリザも表情を引き締める。

 彼らの背後で大きな花火が打ち上がった。天空の竜騎士サーカス――開演。

 ミッシェラルド大劇場に集う二十七万人の大歓声が全身を包む。身震いするほどのステージを前にしても、二人は満面の笑みを絶やさない。プロとしてすぐさま演目に取りかかる。


 ルナリザとヒンメルの手のひらがパチン――と反響すると、双方は壁伝いの垂直落下を開始。湖に衝突する寸前で軌道を水平に戻し、両者はまったく同じスピードで水面を滑って片翼を湖に接触させ、激しい水飛沫を立たせる。その間、母竜からたくさんの竜騎士が飛び上がり、赤の衣装を着た者はルナリザへ。青の衣装はヒンメルへと別れていく。両陣営はそれぞれが十二時地点を目指して半周を突き進む。


 先頭を行くルナリザとヒンメルが相棒竜に耳打ちすると、腹部を膨らませた火竜たちが紅蓮色の火球を放つ。緋色の弾丸はお互いの列付近に着弾し、大きな水柱が立ち上がると共に、ぶしゃああと蒸気が発生する。そのまま二発、三発と連続で火球を撃ち合うと、追従する火竜たちも同様に火炎の往来を始め、二分する竜の編隊飛行はやがて――水蒸気に雲隠れしてしまう。

 熱気に包まれる大会場。美しかった湖が、一瞬にして真っ白なミストに支配されていた。その光景はまるで戦後の焼け野原のよう。高台観客席では、小さな拍手と不安な気持ちが入り交じったひそひそ声が波及していく。しんと静まった数秒後――、


 突然、大劇場全土に勇ましいファンファーレが響き渡る。

 白霧から槍や剣などの矛先が一斉に突き出る。数多の竜たちの翼により視界が一気に晴れ渡り、戦士の闘士を鼓舞する情熱的な吹奏がスピーカーを通して観客たちの耳に浸透していく。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――!!」


 総勢三十を越える竜騎士たちが雄叫びを上げて、纏う衣装と別色の相手に武器を振りかざす。

 奏でる音楽に合わせて刃と刃をぶつけ合い、大劇場内を飛び交う。そこには命を駆けた人間たちの死闘が描かれていた。情緒溢れるハーモニーが、戦う者の気持ちを代弁してくれる。

 竜による飛行速度は均一でバランスが取れていた。観客には、人語を理解した竜がサーカス員として披露する演目を理解しているように見えるだろう。彼らは、人と竜の超次元サーカスに声も出すことなく瞳を奪われている。


 そんなとき、ルナリザの瞳が違和感を捉える。

 サーカス空域の中で、演目通りの動きをしていない竜がいた。

 大きさと緋色の鱗から、火竜で間違い無い。……しかし、躰があまりに大きい。調教士を体験したルナリザにはわかる。厩舎で育った竜にあれほどの個体は居ない。あれはまるで――、

 嫌な予感が頭を過ぎるのと同時に、その火竜がぐるんと身体をこちらに向ける。


 ――傷の竜! ルナリザの全神経が目先の存在で埋め尽くされる。取り逃して泣きわめいたあの日から、ずっと無念だった。忘れたくても、やっぱり忘れられなかった。

 変われたと思っていた。カームやミレーユと出会って、復讐心の限りを尽くして野生竜を二匹殺め、シェロが生まれる姿をこの目で見て。心の靄が少し晴れた気がしていた。でも、違ったのかもしれない。だって、この気持ちは……やっぱり憎しみじゃないか。

 槍をぎゅっと握りミレーユの手綱に力を込めたとき、彼女の前にヒンメルが現れる。


「……ルナリザ、事情が変わった。シェロを預かってくれ」


 対面の傷の竜への視線を一切そらさず、ヒンメルが言った。


「……何故ですか」

「あの火竜は……、俺が相手をしなくてはならないからだ」


 ヒンメルは幼竜帯を取り外して器用に旋回し、シェロをルナリザに託す。


「お前はサーカスを続けろ。先ほどからシェロが少し不安になっているようだ。このままでは演目全体に影響が出る可能性がある」


 胸に抱きかかえたシェロの瞳を、ルナリザは見つめる。


「……あたしは」

「……殺したいか」演目を続ける素振りをしながら、ヒンメルは続ける。

「やりたいようにするんだな。復讐とはそういうものだ。お前が納得するか、しないか――ただそれだけだ。カームがこの場に居たら、きっとそう言うだろうさ。……とにかく、俺はアイツを大人しくさせる。後はお前が選択しろ」


 背中に担いだ身の丈ほどの大剣を、ヒンメルは胸の前に掲げる。その分厚い刀刃に、ルナリザは見覚えがあった。去ろうとする大きな背中に手を伸ばす。


「……あなた、もしかして――」

「察しが悪いところは、似てないようだな」


 苦い表情で言い残して、幼少期の命の恩人がサーカス空域内で暴れる傷の竜へ突撃していく。


 ルナリザの耳元に雑音が走る。緊迫したジラーニの声だ。意地でもサーカスを続けろとの伝達だった。飛び交う竜騎士たちにも不安の色が広がる。だが――、


『心配いらん、ヤツは俺が引き受ける。お前等は舞台劇を続けろ。戦闘のフリは得意だろ?』


 ヒンメルの言葉で彼らは集中力を取り戻す。ムードを握る吹奏楽についても、不慮の出来事をあたかも予定していた演目に見せるため、アクセントの効いた音作りで盛り上げていた。

 ――今、あたしがやるべきことは……。

 ルナリザの視界に映ったのは、シェロと竜殺しの槍。

 数瞬思考したルナリザは槍を武器ホルスターにしまい、幼竜帯を衣装の上から取りつける。


「ミレーユ、シェロ。サーカスを続けるわ。それが、今あたしのすべきことだから」


 少し大きくなった翼をぱたぱたさせて、シェロは嬉しそうに鳴いた。


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