30 人間も竜も幸せになれる道
ヒンメルは自らの昔話を二人に聞かせた。怪我した老火竜との出逢いから、世界中を旅して小さなサーカス屋を営んでいたこと。ジラーニと契約して軍人になり、相棒竜と愛する人を失った末に人竜戦争の英雄となったこと。
懐かしそうに、だがときおり悲痛な面持ちで語りながら、すべてをさらけ出す英雄の言葉を、カームとルナリザは黙って聞き続けた。
「――――以上だ。これでわかったろう。神竜の力はやがて人類を滅ぼす。……ここまで聞いても、お前たちの意志は変わらないのか?」
「…………」
カームはヒンメルの瞳を見つめたまま黙りこくる。あまり見たことのない表情だった。
「俺の願いはただ一つ、その幼竜を引き渡してくれ。世界のためを思うならば」
――世界? いや、違う。本当はそんなことどうだって良い。俺は英雄なんてガラじゃない。ずっと一緒だった相棒と、愛する人とサーカスができればそれで満足だったんだ。そんな幸せな暮らしを壊したのは誰だ、神竜か? 俺か?
あのとき、ジラーニの手を取らなければこんなことにはならなかったのか?
――俺は……、何故英雄の仮面なんて被っているんだ?
自問する。すると、対面のカームがシェロを抱くルナリザに近寄った。
「え?」と困惑するルナリザに何かを囁いてシェロ抱き取り、ヒンメルの前へ。
そして、目の前にシェロが差し出される。
「ちょっとカーム、アンタ何してるのよ!?」
狼狽するルナリザに、カームが振り返る。
「ヒンメルの本心を聞いて、俺なりに考えた結果だよ。母竜機構にずっと言いなりだったヒンメルがここまで言うんだ。俺は、ヒンメルの選ぶ答えが知りたい」
「カームッ!」
殺気立った表情でルナリザがカームの胸ぐらに掴みかかる。激しく揺すられつつも、カームの瞳はぶれることなくヒンメルを見ていた。
ルナリザが困惑した顔でファムやミレーユに視線を投げかける。しかし、彼らは微動だにしない。カームとヒンメルの行動をじっと見つめているだけだった。
ヒンメルが横抱きの形を作ると、カームが丁寧な動作でシェロを手渡してくる。腕の中に、幼い竜がすっぽりと収まる。じたばたと落ち着かない様子だった。
「ヒンメル、一つ言っとくけど……この子は君が昔見た“神竜”って生き物とは違うよ。“シェロ”って名前がもうついてる。新しく産まれたばかりの、儚くて輝かしい一つの命だ」
「……ああ。わかってる」
片手でシェロを優しく抱きながら、腰から短剣を引き抜く。磨き抜かれた刃に、傷だらけの自分の顔が映り込んだ。もう十年と、ちゃんと見ていない気がした。
「ヒンメル竜騎士長! この子は放っておけば風邪を引いてしまうし、食事も細かくしてあげないと喉を詰まらせてしまう。あたしたち人間と何も変わらないんです! 人類を滅ぼす厄災になんて……絶対になり得ません!」
カームを突き飛ばしたルナリザが取り乱した様子で必死に説得してくる。竜に復讐心を抱いていたルナリザがこんな顔をするとは。この幼竜こそ、元凶であるかもしれないというのに。
ヒンメルは思う。どうしてルナリザは慈愛に満ちあふれる表情ができるようになったのか。「どうしたの、ヒンメル。殺さないの?」砂埃を払ったカームが立ち上がる。
短剣を握る手の感覚が無くなっていた。その痺れは全身に伝わり、やがて足先にまで浸食していく。ヒンメルの額には、いつの間にか大量の脂汗が浮き出ていた。
「嫌なんでしょ。本当は殺したくないんだ。いたいけな命を奪うことに抵抗がある。だから葛藤してる。罪悪を感じることのできる優しい人だから。君が本当にしたいことはなんなの?」
「俺は……」
「難しくないよ。君が殺したくないなら、殺さなければ良いだけなんだから」
「そんなことが……できると思っているのか。このままでは、世界に厄災が訪れるんだぞ」
「それは、世界を救う英雄としての意見? ジラーニに言いなりの竜騎士としての意見? 本当は竜が大好きなヒンメルとしての意見? 俺は、君が本当にしたいことについて聞いてるんだ。今、この瞬間――世界の危機はまったく関係ない。一体、どの君の言葉なの?」
翡翠色の瞳が、真っ直ぐに射貫いてくる。まるで、心が見透かされているようだった。
「第一、ただの推測でしょ。ウィンガリウムの人はなんでもかんでも仮説立てて決めつけてしまう人が多いけど、今現時点でシェロがどういう存在なのか、わかってる人間は世界のどこにもいない。君は、幸せに生きられるかもしれない命を無下にしようとしてるんだよ」
ヒンメルは、かつて自分の手で殺めようとした相棒竜を思い出した。あのとき、選択を誤ったと思っていた。そのせいでエノリアが死んだのだから。
だが――あのまま大好きなガルムントを殺していたら、きっと一生後悔していただろう。
「殺したいわけが……あるものか」
ヒンメルがその場で崩れ落ちる。驚いたシェロが、ぺろぺろと薄い舌を頬に這わせてくる。
「俺は……俺は……何よりも竜とサーカスが好きだったんだっ……」
シェロを優しく抱きしめたヒンメルが、嗚咽を漏らして血流のような熱い涙を流す。
カームが手を差し伸べてくる。顔を上げると、劇場側の垂れ幕から微かな光が差し込んだ。
「一緒に考えようよ。人間も竜も幸せになれる道をさ」
屈託のないその笑顔に、既視感のある優しい風が再び自分を包み込む。
――もう一度、味わえるだろうか。
「……若さには、叶わんな」
カームの手を取ってヒンメルは立ち上がる。その胸に、小さな命を抱いたまま。
ヒンメルの瞳は、若かりしころのものへと戻っていた。
* * *
「ていうか、カーム!」
むくれた表情のルナリザが、矢継ぎ早にカームへ詰め寄る。
「ヒンメル竜騎士長との一連のやりとり、アレ一体どういうつもりだったわけ? 説明して」
ルナリザに胸に指を突かれつつ、カームは困ったように手を広げる。
「……い、一応、俺にも考えがあったんだよ。ヒンメルが本当に殺す気だったら引き渡せ、なんて言うことなく襲ってくるだろうし、本当は竜が好きだってこともわかってたから、出来ないと思ってカマをかけてみただけだよ」
「危ない綱渡りだったこと、わかってたの?」
「そ、そりゃもちろん……」
「だったら……! どうしてあたしを頼ってくれないの!」
ルナリザが、思いをぶちまけるようにして叫ぶ。
「……え、いや、だってそんな猶予なかったし……」
「何言ってんの、「シェロを貸して」なんて耳打ちするよりもできることがあったでしょう!? あたし、手伝うって言ったのに……!」
「わ、悪かったよ……ごめんってば。次はちゃんと相談するから」
「次? そんなのあったらアンタをブッ飛ばしてる!」
子供のように突っかかってくるルナリザにたじたじになるカーム。何度も頭を下げる。
「でも、もし……ヒンメル竜騎士長が本当にシェロを殺そうとしたら、どうしてたの?」
「そのときは殴ってでも取り返す予定だったさ、腕っ節には自身があるからね。ファムにも暴れてもらうつもりだったし。黙ってシェロを殺させるわけないじゃない」
「…………はあ、もう本当に呆れた。ホント、もう付き合いきれない…………うぅぅぅぅっ」
会話の途中で、ルナリザが急に涙声になって瞳を潤ませる。
「なっ!? どうして突然泣くのさ」
「うるさいわね! もう、全部アンタのせいよっ!」
二人のやりとりを端から見ていたヒンメルが、口角を上げながらつぶやく。
「やはり、君は……エノリアに似ているな」
「……エノリアって……ヒンメル竜騎士長、姉をご存じなんですか?」
「ああ……愛していた」
「え、ええっ……!? ……もしかして、さっき話してた最愛の人って……」
「お前とは何度か会ったこともあるぞ。俺のサーカスを喜んでくれていた、嬉しかったよ」
「そっか…………そう、だったんですね」
思い当たる節があるらしいルナリザは、困惑したまま気まずそうにする。一方で微笑を浮かべるヒンメルの胸で、シェロが楽しげな鳴き声を上げた。
「昔話に花を咲かせたいところだが、本題だ。これからどうする。ジラーニは、神竜……いや、シェロを手にしたものと思い込んでいる。あれ程傲慢な男は後にも先にも現れないだろうな」
考え込む面々。そこでカームが顎に手を当ててつぶやいた。
「…………逆に利用できないかな。その状況」
しばらくして、連鎖するようにルナリザが「あ!」と大きな声を上げる。
「ジラーニの大サーカスを利用すれば……カームの目的も達成できるんじゃない?」
「…………ホントだ」
ルナリザの言葉に、カームの瞳がきらきらと光る。
「なんか、カームの考えていることがわかったような気がする……」
頭を抱えるルナリザを余所に、カームは自分の口から飛び出る一語一句に、全身が熱くなる。気付けば、三人と三匹は自然と車座になっていて、数々の議論を交わしていた。
「――なるほど……上手くいけば、カームの望む大団円が迎えられるかもしれんな」
しっかり吟味するようにヒンメルが無精ひげを撫でた。
「うん……ようやく見つかったって感じだよ。ああ、なんか盛り上がってきちゃったなぁ……こうしちゃいられない、演出の打ち合わせ始めようよ、今すぐ!」
興奮したカームがルナリザの手を取って、早々に歩き出す。
「なっ……! ちょっと待ちなさいってばカーム! その前に色々やらなくちゃ――」
「そちらは任せよう。計画通り、俺はシェロを連れて母竜に向かう。忙しくなりそうだな」
ヒンメルが口角を上げて場を去ろうとしたとき、カームが振り返った。
「ヒンメル……シェロをよろしくね!」
「…………本当に良いのか、俺を信用しても」
「良い! ヒンメルは今すごく楽しそうな顔をしてるから」
「……そうか。大サーカス、絶対に成功させるぞ」
「もちろん!」
カームとヒンメルは、笑顔と共に整備士の出撃サインを立て合った。
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