29 一番楽しいサーカス


 ルビー色の翼灯を取りつけたミレーユがぐるんと宙返りをすると、綺麗な赤い曲線が暗闇の空に浮かび上がった。目下で、情報を聞きつけやってきた物好きたちの歓声が上がる。

 続いて、ファムの鞍上で器用に片足立ちをするカームが、自分を軸にして槍をぐるぐる回転させながら勢い良く空へ放り投げる。


 観客から悲鳴が上がる。ルナリザは、カームの槍が頂点に達する前にミレーユの背中を叩く。

 ――派手なのをかましてやりなさい、ミレーユ。

 シェロを胸に抱いたままのルナリザが、叫ぶ。「今よ!」

 ルナリザの合図に反応したミレーユが、大口を開けて急激に腹を膨らませる。

 放たれた火球がカームの槍を丸ごと呑み込む。先端と石突き部分に巻き付けられた布きれと油が燃え盛り、まるで松明のように闇夜を照らす。くるくると落下してくる松明槍をカームは華麗にキャッチし、そのまま振り回しつつ旋回を開始する。その姿は、二つの火の玉を操っているように見える。


 ルナリザにとって最も難易度の高い出し物だったからか、成功に安堵する。矢先、彼女の耳に大勢の観客の声が聞こえてきた。目下で大きな拍手を続ける人々に目を向けると、笑顔だったり驚愕していたりと、様々な彩りで小さな劇場を盛り上げてくれていた。

 観客たちの視線は、卓絶した飛行技術と楽しそうな演技をするカームに向けられたものだろう。サポートに徹しているルナリザに注目する人は少ない。

 だけど――、胸の高鳴りが止まらない。

 出発セレモニーとは比べものにならない小規模サーカスだ。でも、こういうのも悪くない。


 ちらりとカームと目が合う。「楽しそうだね、ルナリザ」と言われた気がした。

 照れくさかったが、心が浮きだつこの気持ちに偽りはなかった。ルナリザは声に出さずに「そーね」と軽快な返事を返す。

 そんなとき大人しくしていたシェロがきうきうと鳴き、空に向かって何かを訴える。

「どうしたの? シェロ」


 ルナリザが問いかけた束の間、一際大きな歓声が響く。

 顔を上げる。カームが空に振りまいていた炎が、空中に残留していた。風に優しく包まれた残り火はゆらゆらと宙で燃え続け、それらは美しい火柱へと変形していく。

 そこには、無数の火柱による時計盤が出来上がっていた。

 今日一番の大拍手が巻き起こる。カームでさえ、この超自然現象に驚いているようだった。シェロの持つ不思議な力による影響だということは確認せずともわかった。

 次の瞬間、ファムとミレーユが突然軌道を変えて火の輪の中心に集まった。突然の竜たちの行動に、カームとルナリザも驚いた顔をする。

 ミレーユが天頂に向かって火球を吐き出す。火の粉を纏って出現した火の塔の周囲を、ファムが上っていく。やがて勢いの弱くなった火球をファムが翼で掻き消す。

 シェロの意向をファムとミレーユが汲み取り、その果ての演技なのだとルナリザは理解する。それはまるで、人間同士のコミュニケーションのように柔軟で、自由だ。


 ――ああ、なんだろう。この気持ちは。

 幼い頃に憧れた竜のサーカスを思い出して、少しだけ感傷的になる。

 熱気に包まれる劇場。高揚する自分の心。どんどん熱くなっていく身体。

 カームや皆と世界中を旅しながら、今日みたいなサーカスをするのはとても楽しそうだ。

 潤んだ瞳を拭って、ルナリザは心の中で素直にそう思ったのだった。



 * * *



 サーカスは大成功に終わった。民衆は皆スタンディングオベーションし、「この演目は世界中にテレビ中継すべきだ」とまで言われるほどだった。

 舞台袖に戻ってきたカームは、居ても立ってもいられない様子でルナリザに語りかける。


「ルナリザ……! 俺、今までで……一番楽しいサーカスだったよ!」

「……そうね。楽しかった」


 対面のルナリザが、いつになく頬を上気させて言った。


「お客さんにも喜んでもらえたし、今凄く幸せな気分だよ」


 サーカス中のルナリザは、今まで見たことがないくらい楽しそうだった。演目を通じて、心を通わせられたような気さえする。それは勿論ファムやミレーユ、シェロたちともだ。


「ファムもミレーユもお疲れ様。シェロもいっぱい頑張ったね。えらいえらい」


 二匹の竜に抱きつきねぎらいの言葉をかける。シェロの頭もよしよしする。

 言葉を交わすことができないのに、人間とするような意思疎通が行えた気がした。これほど“心が繋がっている感覚”を抱けるのはなぜだろう。これも、シェロの力なのだろうか。

 シェロの不思議な力やサーカスの感想を語り合っていると、舞台袖の垂れ幕が揺れた。

 無言で入り込んできた大柄の男に、カームとルナリザの口が止まる。


「……ヒンメル、どうして、ここに」

「孤島から追ってきた。動物愛護協会の本部まで向かうとは思えなかったからな」

「孤島からって……ま、まさか……、ずっと監視していたんですか!?」


 頬を微妙に染めるルナリザを横目に、ヒンメルが肩をすくめた。


「心配するな。プライベートな部分には配慮したつもりだ」

「それで、何しに来たの? シェロを奪いに来たの? 母竜機構の命令でさ」


 ヒンメルの視線が、ルナリザが身につける幼竜帯へと注がれる。


「まるで人間の赤子のような扱いだな」

「その通りだよ。赤ちゃんなんだ、その子はまだ」

「ジラーニ総統は現在、その幼竜……『神竜』を使った世界規模の大サーカスを企画している。神竜の力を利用すれば、人知を越えた事業を生み出すことも可能なんだそうだ」

「で、用件は?」


 カームが和やかに質問する。ヒンメルが大きくため息をついた。


「……というのは建前だ、そう構えないでくれ。俺個人としてお前たちに敵意は一切無い。結論から言おう。今回俺がお前たちを追ってきたのは母竜機構の命ではない。個人的な想いからだ。その幼竜……神竜を殺さなくてはならない」


 強い言葉に、カームとルナリザの表情が固まる。


「……ヒンメルは、なぜこの子を殺したいの?」


 カームが純粋に問いかける。隣のルナリザがシェロをぎゅっと抱きしめた。

 ヒンメルが瞼を閉じて沈黙する。そこには幾数年の想いがあるようだった。


「お前たちのサーカス……とても素晴らしかった。……昔を――思い出したよ」


 ヒンメルが、遠い昔を思い返すような表情で告げる。


「……俺が、まだ若造だったころの話だ。聞いて……くれるか?」


 少し寂しげな瞳で、ヒンメルはカームとルナリザに語りかけるのだった。


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