28 ミッシェラルドへの旅立ち
もぎった果実や干した鳥肉、あり合わせで調合した薬をミレーユの用具入れに詰め込む。隣でカームは自分の身体とシェロをしっかり幼竜帯で固定しているところだった。
「よーし、じゃあそろそろ行こっか」
カームがこちらを振り返ったとき、わらわらと伸び放題の黒髪が乱れたのが見えた。
「……カーム、ちょっとこっち来なさい」
「え、なに? 遊びたいの?」
向かってくるカームの両肩を掴み、くるりと回転させる。ちょうど後頭部が目の前に見える。
「いいから……大人しくしてなさい」
ルナリザの細く、優しい指先がカームの髪をすく。ほんのりした温かさが手に残った。
「……こうしとけば、少しはマシでしょ」
カームの長ったらしい髪が、ルナリザの髪留めで一つ結びに纏められた。
「それと、昨日は……ありがとう」
「ハハハ、嬉しい。俺こそありがとう、ルナリザ!」
その眩しい笑顔が、姉に髪を結んでもらった幼い頃の自分のように思えた。
* * *
孤島を飛び立って半日――、夕色が差し込む空を併走しつつ二人は言葉を交わす。
「ヒンメル、追って来なかったね」
「うん……少し、不気味なくらいだわ」
孤島で暮らした数日間、二人は十分な警戒態勢を取っていた。ヒンメルを煙に巻いたとはいえ、あのとき母竜から離れて着陸できる孤島などたかが知れている。
「もしかして……」ルナリザが思慮深い表情で考え込む。
「ミッシェラルドで待ち伏せしてるかもって?」
「可能性は高いわよ、闇雲に孤島を探すより確実だもん。……あれ、ていうか……」
ルナリザの表情が、少しずつ青ざめていく。
「飛行場でのチャルチルとの会話、ヒンメル竜騎士長は盗み聞いてたんじゃない?」
「それはどうかな。母竜の何処に潜んでたのかはわからないけど、流石にそこまで地獄耳だとは思わないな。ただ、単純な俺たちの行動くらい、感づいているとは思うよ」
「何、気が付いてたの? だったら何でもっと早く言わないのよ!」
「だって、言ってもしょうがないんだもの。道中のネタにしようかなとは思ってたけど」
のんびりした口調でカームがつぶやく。反対にルナリザはどっと疲れた顔になる。
「……アンタが大馬鹿だってこと忘れてた。あたしも今の今まで全然気が付かないし……もう、あたしの馬鹿。チャルチルにも言われてたのに……自分で自分を殴ってやりたいっ……!」
「ハハハ、ルナリザ面白い」
「笑ってる場合じゃないのよ! これから一体どうするつもり!?」
「よし、じゃあ計画を変更しよう。俺の故郷に向かう」
「はあ!?」
「動物愛護協会に引き渡しても、ちゃんと保護してくれるか怪しい気がしてきた。ヒンメル経由でジラーニからヘンな根回しされてるかもしれないし……だったら、絶対安全な場所まで行っちゃおうよ。ちょっと遠いけど」
「どのくらいの距離なの」
「うーん……このまま一月はゆっくり空の旅かなぁ」
「馬鹿じゃないの……そんなのできるわけないでしょ!」
「行けるよ、そうやって俺はウィンガリウムまで来たんだから。でも、物資補給のためにミッシェラルドには向かおう。愛護協会があるのは首都だから、そこを避ければ良いんでしょ?」
「……そもそも、あたしはミッシェラルドに到着できる気がしないんだけど」
「何言ってるのさ、ちゃんと前見なよ」
カームが前方を指差す。地平線の彼方に、薄ぼんやりと建造物が浮かび上がっている。
「本当にアンタの天測能力には驚かされるわ。一体何を基準に位置を割り出してるの? 故郷の……リイフィだっけ? 特有の航法でもあるの?」
「故郷付近は地文航法だけど、母竜に乗ってからは世界地図を覚えた。あとは勘とアドリブ」
カームの言葉にルナリザは開いた口が塞がらない。軽く人間の能力を超えている。
「何よそれ、航法士要らずじゃない……」
「俺の故郷じゃ身一つで航法できなきゃ竜には乗れなれないからね。出来て当たり前だから」
「……そういえば、アンタと当たり前に会話できてるから不思議に思わなかったけど、なんでカームはウチの大陸の言語を喋れるの? 確か、書き文字は違ったわよね」
「さあ。世界中を旅する冒険家の人が、リィフィの言語を広めたのかもね」
「何よそれ、ばかばかしい。世界地図に載ってない大陸の言葉がオリジナルだって言うの?」
「そのほうが面白そうじゃん。夢がある」
そんなことどうでも良い、とでも言いたげにカームがケラケラ笑って軽快に空遊びを始める。カームと出会った当初は信じていなかったが、彼はルナリザの知る世界地図の外側からやってきた人間なのだ。雑誌やラジオなどのメディアが一切認知していない謎の世界で、彼はどういう風に生きてきたのだろう。
やがて、ミッシェラルドが近くなってくる。
「母竜は近くに居ないね。……ってことは誰かが潜伏してる線もナシかな」
「わからないわよ、ジラーニのことだもん。それぞれの街に伏兵を送り込んでるかも」
「もしバッタリ出会ったら、全速力で逃げれば良いんだよ。それはそれで面白そう」
「本当に……大丈夫なのかしら」
二人はそのまま首都を避けて通り過ぎ、大陸外側の街へと着陸することにした。
* * *
人々が寝静まった頃合いを狙って着陸したはずのカームたちだったが、地上から彼らを目撃していた住民たちが押し寄せてきたことで、港は騒ぎになってしまった。
ミッシェラルドは水の都として世界的に知られている。母竜機構のスポンサーを努める『F10』加盟国の一つだ。そのため、母竜にはミッシェラルドの重役も多数乗船している。
母竜機構に所属している証であるネームプレートを提示し、物資補給の名目で母竜から出張で訪れた旨を説明して入国審査を終えると、住人たちに手厚く受け入れられた。
親しげに接してくる住民たちとの会話の中で、カームとルナリザは抜け目なく母竜機構の情報を探る。ここ数日間、母竜機構の関係者がミッシェラルドに訪れた来歴はないらしい。
燭台の灯りが反射する港の桟橋を歩いていると、カームが興奮したように声をあげる。
「うわあ、こんなに夜が綺麗な街って初めて見たよー! ほら、シェロも見て、凄いぞ!」
桟橋の両脇に飾られる燭台の火色が、赤や緑の彩りで闇色の水を雅に反射する。息を呑むようなその美しさに、まるで街自体が一つの芸術品に見える。
「お二人は物資を調達したら母竜にお戻りになるのですよね」
先頭を進む案内人の男が、振り返り際にルナリザに訊ねた。
「ええ、そうなるわ」
「……実は、お二人にお願いがあります」男がかしこまった様子で頭を下げる。
「この街のために、竜のサーカスをやってくださいませんか?」
「え、サーカス!? 今サーカスって言った!? やりたいやりたい是非やらせてよ!」
先を歩いていたカームが、サーカスという言葉を聞きつけて舞い戻ってくる。
「ちょっと待ちなさいカーム! あたしたち今そんな状況じゃないのわかってるでしょ?」
「ねえ、良いでしょルナリザ。一緒にやろうよ」
「物の見事に話聞いてないわね……本当に子供なんだから……アンタ、一応年上よね?」
頭を抱えるルナリザを横目に、男は瞳をきらきらさせるカームのほうに顔を向ける。
「出発セレモニーのサーカスを街のテレビで拝見し、大変感動しました。そこで我々は、いつか母竜機構の皆さんにサーカスを披露していただくための専用劇場を建設したのです」
男がわくわくした様子のままカームの腕を取る。今にも連れ去りそうな勢いだ。
「もし宜しければ、劇場を見て頂くだけでも……! ええ、今すぐにでも行きましょうぞ!」
「……お、おおっ、……でも、ファムとミレーユからは離れられないから」
カームの視線の先で、槍を構えた警備員数名がファムとミレーユを囲んでいた。
「……いいわ。あたしが残ってる。カームは行ってきて」
「ホントに? ルナリザも見てみたいんじゃ」
「アンタが話を聞かせてくれればそれで十分よ。シェロも預かっとく」
カームから幼竜帯を取り外し、変わりに自分が取りつける。身軽になったカームが嬉しそうに案内人の後を駆けていく姿を見ていると、なんだか微笑ましい。
ルナリザはシェロを胸に抱いたまま、ファムとミレーユが待つ場所まで戻る。
「もういいわ。あたしが見てるから」
警備員たちをファムとミレーユから離させる。すると、竜たちの瞳がどこか安心したようなものになった。知らない人間に囲まれている間、不安だったのかもしれない。
ルナリザはミレーユの躰にとすんと背中を預ける。
「これくらい良いでしょ。疲れたのよ」
ミレーユが低く唸る。不満を垂れつつも受け入れられたことだけはわかった。ルナリザとミレーユは、同じタイミングで「フン」鼻息を漏らす。
しばらく待機していると、全身で喜びを表現するカームが駆け込んできた。
「小さかったけど、気に入ったよ。旅しながら公演するならあんな感じかなって妄想した!」
遅れて帰ってきた案内人の男が和やかな笑顔で語る。
「カームさんからすれば質素なものに見えるでしょうが、首都のほうでは水辺を舞台にした大劇場が数年前から建設中で、こちらはもうまもなく完成予定です。母竜機構さんが旅の途中で立ち寄ったときに、組織立った大規模サーカスをやっていただこうという想いです」
「そうなの、ジラーニ総統も大変喜ぶと思うわ。ほらカーム、物資調達して帰るわよ」
ルナリザがカームの手を取ろうとするが、カームはそれを弾いた。
「やだよ! ここでサーカスしようよルナリザ!」
「……ダメ。今あたしたちがここでサーカスをすることになんのメリットもないわ」
案内人の男を一瞥してから、ルナリザはカームに顔を近づけて囁く。
「母竜機構に通達が行ったらどうするの。ミッシェラルドとは繋がりがあるのよ」
「メリットならあるよ。俺とルナリザ、ファムとミレーユ、それにシェロの皆で一緒に楽しいサーカスができる。演者が心から楽しめば、きっとお客さんも楽しんでくれる。きっと母竜機構ではできないような、素敵なサーカスになると思うんだ」
「………………アンタは、……また、そんな」
「ハハハ、ていうかもうやる気しかない! 誰が何と言おうとやる!」
カームが無邪気な笑みを顔いっぱいに広げて言い切る。
「……はぁ。もう…………あたし、本当に知らないんだからね……!」
いつの間にか、「知らない」が口癖になっていることに気付く。どれもこれも、カームの破天荒な行動や純粋な笑顔にこちらが折れるときに自然と口から出ている気がする。
なんだか負けているみたいで面白くないが、ルナリザの居心地は悪くなかった。
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