27 月明かりの差し込む洞窟


「おーい、おーいってば~、ルナリザもいい加減こっちおいでよ、星が綺麗だよ」


 洞穴の入り口から、奥でずっとしょげたままのルナリザに声をかける。


「…………忘れたんでしょうね」

「え? …………ああ、忘れた忘れた」

「ちょっと、忘れてないじゃない! 今のは忘れてない“間”だった!」

「ハハハ、何だそれ、じゃあ俺は一体どうすればいいのさ! もー君って面倒臭いなあ」


 カームはけらけら楽しそうに笑って、手招きを続けた。

 しつこさに根負けしたルナリザは、ほんのり熱を帯びた頬のまま隣に座る。


「……シェロは、もう大丈夫なのよね」

「うん。とりあえず落ち着いた。ルナリザが薬作りを手伝ってくれたおかげだね」


 洞穴の奥でひゅーひゅー寝息を立てるシェロのことを振り返って、ルナリザが言う。


「ねえ、やっぱりシェロが人類の敵だなんて思えない。こんな、風邪で寝込んでしまう赤ん坊なのよ。たとえ、人知を越えた神様の力を持っているのだとしても」

「俺もそう思う。でも母竜機構に捕まったら間違い無く悪用される――っていうこの考え方でさえ、シェロにしてみたらモノ扱いと変わらないんだろうけどね……なんか、罪悪感だよ」

「カームにはシェロへの思いやりの気持ちがあるわ。きっと、シェロだってわかってる」


 カームが、目尻の傷跡を指で掻く。


「……その傷は、いつ頃のもの?」

「あ、これ? 子供のときだよ。竜と遊んでたら、しくっちゃって顔面血だらけ。ハハハ」

「……呆れてため息も出ない。もっと悲観的なものを想像してたのに」

「勝手に決めつけないでよ。でも、この傷のおかげで俺は今ここに居るんだ」


 傷口に触れつつ、僅かに口角を緩めたカームは続ける。


「人と竜は、わかり合えないまでも歩み寄ることはできるんじゃないかって思うんだ」


 根底に敷かれたものは決して覆らない。だけど、お互いを尊重し合うことくらいはできるはず。それがカームの信念だ。


「俺の夢はさ、人と竜が仲良く自由に空を飛べる世界で生きることなんだ。言葉で言うのはこんなに簡単なのに、現実はやっぱり厳しいなって思い知らされたよ。俺にそんな欲求があるように、他の人にも当然色々な事情があってさ、ときにそれは俺の夢とかち合うんだ」

「それは、あたしのことを言ってるのかしら」

「ルナリザもその内の一人。君が初めて竜を殺した瞬間を見たときはショックだったけど、なんか腑に落ちたんだ。そのあと一緒に竜を弔ってくれたとき、想い描いているものは正反対だったけど、歩み寄れたような気がした」

「そんなに……泣いてないわよ」

「ハハハ、じゃあそういうことにしてあげる」

「ムカつく、馬鹿」


 ルナリザが呆れたように吐き捨てる。だけど、その言葉尻は少しだけ柔らかい。


「俺はさ……絶対に竜を殺させないって、ただそれだけに意固地になってたんだ。世界から見ればオカシイのは自分なのにね。薄々わかってはいたけど、やっぱり認めるのは辛かった」

「……カームはヘンだし、世間からもズレてる。初めは本当になんなのかしらこの偽善者野郎って思ってた。……でも、今のあたしはアンタの考え方が好きよ。共感もしてる」


 膝を折って星明かりに照らされたルナリザの微笑みに、カームは思わず瞳を奪われる。


「嬉しいな……そんなこと言ってくれるなんて」


 なんだか照れくさいその気持ちを誤魔化すように、カームは声を上げた。


「そうだ! 俺、実はもう一つ大きな夢があってさ」

「カームの夢はたくさんあるわね」

「たくさんあったほうが人生楽しいでしょ!」

「はいはい、わかったから。言ってみなさいな」


 くすくす笑ったルナリザが、手のひらを向けてくる。


「いつか、ファムと一緒に小さなサーカス団を立ち上げて、世界中を回りながら公演したいと思ってるんだ。そうだ、もし良かったらルナリザも一緒にやらない?」

「気楽に誘ってくるわね。ていうか、実現するの? そんなの」

「わからない! けど、叶ってると嬉しいな。夢を実現させるまでの過程も楽しみにしてるからさ。そういうの、凄く幸せなことだって思わない?」

「……母竜機構とのごたごたで面倒なことになってるのに、カームは本当にカームね」

「何それー、馬鹿にしてるわけ~?」

「ううん、してないわ。カームらしくて良いなって思ってる。これはホントよ」

「ハハハ! じゃあ、乗ってくれる?」

「さあ。それはまた別の話ね」

「なんだよ~……絶対後悔するよ、ルナリザ!」

「ふふふ」

「そういえばルナリザ、良く笑うようになったね。初対面の頃の怖い君を見せてあげたいよ」

「……む。もとからこんな顔なのっ」


 ルナリザが子供っぽくむくれる。初めてみる彼女の表情に、カームは嬉しくなってしまう。


「小さいときのルナリザって、どんな子だったの?」

「どんなって……普通よ。脳天気で、結構活発なほうだったかな」

「髪は伸ばしてた?」

「長かったわね。姉がとにかく女の子っぽい格好をさせたがるから、されるがままだった」

「へえ……可愛がられてたんだ。もう一回伸ばしたりはしないの?」

「嫌よ邪魔だし。それに、竜騎士にとって女であることはマイナスでしかないわ」

「そっかぁ……せっかく綺麗な赤色の髪なのになぁ……ちょっと残念」

「別に良い。竜と戦うために……女は捨てたから」


 ルナリザが吐き捨てたとき、洞穴の奥から何かが擦れ合う音が聞こえた。振り返ると、ファムとミレーユが首を絡めて仲睦まじく寄り合っていた。二匹の間にはシェロが寝転んでいて、まるで三匹は親子のように見える。


「何あれ。あの子たち、一体何してるのよ」


 ルナリザがポカンとした顔でカームに視線を向ける。


「……え? まあ、いちゃついてるんじゃないかな。あんまり見ないようにしてあげよう」

「いちゃ? 何よそれ」ルナリザが不思議そうな表情で首を傾げる。

「……失礼なことかもしれないけどさ、ルナリザって年頃の女の人の割には……なんか、そういう気がないよね。俺が言うのもあれなんだけどさ……なんていうか、色気?」


 カームに問われ、ルナリザが顎に手を置く。


「色気……確かに今まであまり考えたことがなかった概念だわ」

「概念って……ハハハ、また面白いこと言うんだから」


 平然を装いつつも、カームの脳裏には先ほど目にしたルナリザの裸体が焼き付いていた。


「なんだか、馬鹿にされてるみたいで腹が立つわね……」


 自分の乱れた髪を気にしながら、ルナリザが唇を尖らせる。


「そうだ。髪を切ってあげるよ」

「……え?」

「長い間風呂も入って無いだろうから傷んでる部分もあるだろうし。大丈夫、安心して。手先には自信があるんだ。綺麗に整えてあげるから、これを機に少し伸ばしてみたら?」


 カームが腰を上げて、ルナリザの背後で中腰になる。


「……ち、ちょっと、急に背後に来ないでよ!」

「何、緊張してるの? 俺は良く故郷の子供たちにしてたから慣れっこだよ」

「……た、他人に髪を……触らせたくないだけ」

「じゃあ、大事なものってことでしょ。尚更大切にしなくちゃね」

「…………うっ」

「…………俺じゃ、ダメかな?」

「………………わ、わかったわよ。もう勝手にしなさい」

「許された。嬉しいな」

「うるさい。黙ってさっさとやって」

 カームの指が、ルナリザのさらりとした赤毛に触れる。

「……綺麗だね」

「…………家族皆、髪は強かったから」

 懐から取りだした果物ナイフで、痛んだ毛を整えるように切っていく。

「……髪触られるのって気持ちよくない?」

「…………なんだか……昔を思い出すわ……姉が、よくしてくれたから」

「俺がルナリザのお姉ちゃんかー」

「……何、言ってるの」

「ルナリザってさ、誰かに言い寄られることとかないの?」


 形の良い頭に触れつつ、カームは世間話を始める。


「言い寄られるって何を?」

「……いや、男の人に食事に誘われるだとか、そういう感じの」

「あったわよ。でも全部断った」

「どうして?」

「そんな余裕無かったから。誰かと一緒に楽しく語らいながらする食事なんて……今更」

「じゃあ今度は俺やチャルチルと一緒にディナーを楽しもうよ」

「…………そう、ね」

「……恋とか、したことなかったの?」

「恋……? あたしは……全然」

「じゃあ、きっとこれからだね。髪を伸ばして綺麗な服着て、いっぱいお洒落して」

「そう……、なのかな……」

「きっとそうだよ! ルナリザ美人だし、勿体ないよ」

「…………カームは……、あたしの髪…………長いほうが、良いの?」

「え、うん……」

「………………そう…………じゃあ……、伸ばす」


 少しの沈黙。洞穴内部に青白い月光が射し込み、涼やかな夜風が二人の髪を揺らす。


「……ルナリザ、前にさ……俺に……憧れてるのかもって言ったじゃん。あれってさ……」

「…………んぅ」

「……ルナリザ?」

「ふふっ……ぅん」

「……どうしたの?」


 カームが身体を回してルナリザの顔を覗き込む。

 ルナリザは頭を微動だにさせず、ゆっくり息をしながら微睡んでいた。

 顔を近づける。月のように綺麗な白肌。綺麗な目鼻立ち。少しカールした長めの睫毛。

 鼻と鼻がくっつきそうな距離で、カームはルナリザの着飾った姿を想像する。


「……とっても似合うよ、ルナリザ」


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