23 人類の敵


 日の出前の母竜飛行場では、七班の整備士たちがそそくさと出撃準備を行っていた。


「本当に、行っちゃうんですね……」


 ファムに装備を取りつけ終えたチャルチルが、肩を落とす。


「大丈夫だよ、すぐ戻ってくるから」

「そんなこと言えるの、カームさんだけですよ。でも……やってくれそうな気がしてます」


 隣で整備を受ける一組に目を向ける。


 ルナリザはばつが悪そうにふんとそっぽを向いて、東の朝焼けを見つめていた。


「あたしもやきが回ったかな……」


 ルナリザが視線を落として、相棒の首に手を這わせる。


「ミレーユ、アンタはどうなの?」

「ルナリザ、ミレーユに話しかけてるの?」

「別にいいでしょ」


 ルナリザに素っ気なくされても、カームの頬は緩むばかりだった。


「シェロ、ルナリザがまたあんなこと言ってるよ。照れ屋さんだから」


 竜鎧の上から、装備開発士手製の幼竜帯(ベビドラ・ベルト)に身を包んだカームの胸から、シェロが首を突きだしていた。カームの顔を舐めようと必死にぺろぺろするが、届かない。


「でも信じられません。本当にこの子に他の竜を従える力があるんですか?」


 チャルチルが、カームの胸で落ち着きなく動いているシェロを覗き込む。


「従える力かどうかはまだわからないけど、他の竜と違う特別な力を持ってると思う。ほら、今もファムやミレーユがじっとシェロのことを見てる」


 整備士たちにされるがままの二匹は、シェロを見つめたまま微動だにしない。


「本当だ……もし本当にそうなら、竜の王様ですね」

「竜の王様……か。なんかしっくりくるな」


 人懐こいシェロが竜の王様になるなら、人と竜の在り方が変わる未来もあるのかもしれない。


「この子は希望だ。人と竜を繋げてくれる架け橋になってくれる気がするんだ」

「……で、結局シェロをどこに届けるのよ」

「とりあえず目指すは動物愛護協会。加盟国の中でもミッシェラルドってところが熱心らしいんだ。そこでシェロを保護してもらおうと思う」

「そう……上手くいくかしら」

「わからないけど、俺たちは今できることをやるしかないんだ。……それよりルナリザ、今更だけど本当に良いの?」

「……自分でも、何が正しいのか未だにわかってない。だけど、あたしはアンタを手伝うって決めたから。もう後に引く気なんてないわ。自分で決めた道を突き進むだけよ」

「……やっぱり、嬉しいもんだね。好きな人が同じ想いで居てくれるっていうのは」


 カームが和やかな笑みを浮かべたとき、チャルチルがそっと肩を叩いてくる。

 小さな整備士は必死に背伸びをして、手のひらを当てながらカームに耳打ちする。


「…………わかった」

「…………約束、ですよ。絶対に戻ってきてくださいね」


 頬を染めて柔らかい微笑みを向けてくれるチャルチルに、カームも笑みで返す。


「武器は……どうしますか?」

「……持って行くよ」


 カームはチャルチルから竜殺しの槍を受け取って、軽業師のように身体の周りで振り回す。それに拍手をしていたチャルチルが、そっとルナリザの横に並ぶ。


「ルナリザさん、なんだか雰囲気変わりましたよね」

「……え、そうかしら……いや、そうなのかも」

「ふふふ、良いと思いますよ。最近のルナリザさんは可愛い感じです。……ルナリザさん、カームさんのことをよろしくお願いします。その……凄く、無茶苦茶すると思うので、ルナリザさんが上手い具合にセーブしてくれると嬉しいです。それと――」


 もじもじした様子のチャルチルは、何かを決意した表情で、ルナリザと目を合わせる。


「あたし、負けませんからっ!」

「…………何によ」

「ふふ、わからないなら良いです! ではお二人ともお気を付けて!」


 チャルチルが薄汚れた手袋の親指を上げたとき、カームとルナリザが飛行場を飛び立った。



 * * *



 母竜機構から離れた途端、カームのよく知る“自由”が身体に浸透していく。


「やっぱり自由に空飛べるのは気持ち良いなー!」


 カームがいつものように軽々しくアクロバティックな飛行を披露する。


「ちょっと、シェロも居るんだから加減してよね」

「ハハハ、わかってるよ。でもルナリザも気分良さそう。どう、職務放棄した開放感は?」

「……そうね、悪くないわ」


 二人はそのままゆったりと大空を飛んで、母竜から離れていく。二キロほど離れたあたりで、カームがルナリザにそっと寄り添う。


「……ルナリザ、自然に飛びつつスピード上げられるかミレーユと相談してくれる?」

「どういうこと?」

「ヒンメルに尾行されてる」


 ハッと息を殺したルナリザが恐る恐る背後を振り返る。広大な青空の大半を占有しているのは母竜のみで、他には雲しかない。


「流石に上手いよ。雲の中を移動しながら付いてくるつもりなのかな。見失っちゃった」

「……いつから気付いてたの?」

「さっきチャルチルが教えてくれた。俺たちよりも先に出撃準備してたみたい。母竜に張り付いて、出撃動向を窺ってたんだろうね」


 顔面蒼白のルナリザとは逆に、カームはいつも通りリラックスした様子で話を続ける。


「出発時の尾行はある程度想定してたんだ。今にして思えば出撃禁止の俺とルナリザを一緒にしてたのも鎌かけてたのかも。でもまさか竜騎士長自ら来るとは……今日は雲も多いし見失っちゃうと流石に厳しいなあ。こっちの武器になると思ってたのに、逆手に取られたよ。この分じゃミッシェラルドまで着いてくるだろうな」

「…………それで、どうするの?」

「ハハハ、ルナリザガチガチ過ぎ。その緊張、多分ミレーユにまで伝わってるよ」


 カームが思わず吹き出す。ルナリザは耳を真っ赤に染めて「してない!」と言い切った。


「どうにかして撒きたいから、ちょっと乱暴な飛行になるかも。ルナリザ、離れないでね」


 そのとき――、突如目下の雲から白い柱が吹き上がった。


「――今までの違反行為を水に流してきた仕打ちがこれとはな」


 ちぎれ雲を纏い大仰な斧を担いだヒンメルが、カームとルナリザの前に現れた。


「……その幼竜を連れて、何処へ行く」


 ヒンメルの厳しい眼光が、カームの胸で大人しくしているシェロに注がれる。

 カームとルナリザは口を引き締めて答えない。そしてカームは確信する。

 母竜機構の狙いが、このシェロにあるのだということを。


「……何か、不思議な力を持っているんじゃないのか。人知を越えた能力を」

「だったら、何?」

「だとしたらそいつは“生き物ではない”、人類の敵だ。悪いことは言わん、今すぐそいつを引き渡せ。“それ”は……お前たちが手にして良いものではない!」

「それはできない」


 カームがシェロ抱えたまま不意にヒンメルの前から消える。しかし、その軌道を逃さなかったヒンメルが追従する。そこは、卓越した飛行技術を持つ者たちだけに許された世界。


 ヒンメルは重厚な斧を羽のように軽やかに扱う。神速で繰り出す斬撃を直で食らえば空を墜ちるのは必至。竜の機動力と人の繊細さに破壊力が加わった三位一体の武器は、まさに竜殺し。ヒンメルは蛇行しながら合間を縫ってカームの上位位置を確実にキープし、風を味方につけたガルミールと一対の必殺斧を振り下ろしてくる。


「……くっ!」


 狙いは正確で、避けることは困難だった。カームはすんでのところで構えた槍と、天性の反射神経を持って受け流す。が――反動は大きい。そのまま吹き飛ばされる。


「飛行に関する才能ならお前は俺以上だ。だが、戦闘面に関して負ける気はしない」


 カームはじんじんと痺れる手をシェロの頭に乗せて、ヒンメルを睨み付ける。


「……ヒンメル、今、君はこの子を殺そうとしたのか?」

「そいつは竜でも無ければ生き物ですらない。さっさと引き渡せ」


 言葉とは裏腹にヒンメルの斬撃はカームもろともシェロを狙っていた。ヒンメルの言葉が本当なら、母竜機構はシェロを必要としているはずだ。なら、何故こんなことを……?


「……ヒンメル、君とはわかりあえるって信じてる。……だけど、今俺たちの前に立ちはだかるんだって言うなら、抗う! ――ルナリザッ!」


 カームのかけ声で雲隠れしていたルナリザが飛び出し、構えた槍をヒンメルに突き出す。

 ヒンメルは仰け反りつつ矛先を弾く。ルナリザの武器が空の彼方へ吹き飛んでいく。


「竜騎士なら武器は如何なるときも手離すな。候補生からやり直すか? ルナリザッ!」


 傷だらけで分厚いヒンメルの手は、血で滲んだ帯と斧の柄を何重にも縛り付けていた。


「何それ、若手竜騎士の矛先が避けれないくらい周りが見えなくなってることへの言い訳?」

「黙れ、早くそいつを渡せ! 戦闘訓練にすべてをかけた俺に勝てると思っているのかッ!」

「勝てるわけないだろ! こっちには戦う気力なんてないんだから!」

「ならば海の藻屑になる覚悟をするんだなッ!」


 がなり立てるヒンメルの視線が、ふと相棒竜に注がれる。


「どうした、ガルミール」


 ガルミールはじっとシェロを見つめたまま低い唸り声を上げている。

 一方のシェロは無邪気にカームの胸で小さな翼を動かしていた。次第に、その翼から碧色に輝く光源が溢れ出る。それらの光がカームとルナリザを包み込んだ瞬間、切り取られたように平行移動を始め、ヒンメルから遠ざかっていく。


「!? やはり……貴様は……あのときのッ――!!」


 目の前の超常現象にヒンメルは笑みを浮かべ、相棒の手綱を力強く引っ張った。


「ガルミール、言うことを聞け! 世界のために、俺たちは奴らを止めねばならない」


 壮絶な速度で離れるカームたちを、ヒンメルはがむしゃらに追尾する。一方でカームとルナリザは神秘のベールに包まれ、自然界の風に従うように流れていく。


「い、一体何が起こってるって言うの……?」

「わからない。でも、シェロの力は本物だ……」


 カームがシェロの頭を撫でたとき、ベールの外でヒンメルの怒号が聞こえた。


「カーム、断言しよう! お前の信念は必ず曲がる! お前はッ……俺の二の舞になるッ!」


 嵐のような雄叫びを上げ、血だらけの帯を千切って大斧をカームたちに投げ込んでくる。ヒンメルの斧は薄いベールの膜を切り裂いて内部に侵入し、ミレーユの背中に容赦ない斬撃を与える。泣き叫ぶミレーユの反動でルナリザが後頭部を打ち付け、倒れ込んだ。


「ミレーユ! ルナリザを落とさないようにこっちに!」


 言葉は通じない。それでもカームが意志を伝えるのは、それが彼なりの竜との対話方法だからだ。普段はなんとなく伝わっている気がする、くらいの感触だった。だけど今は何故だかミレーユに自らの想いが伝わった手触りを感じた。

 カームが背後を振り返ると、ヒンメルはすでに見えなくなっていた。


「……あのときの君のサーカスは本当に…………何よりも素敵だったんだ」


 唇を噛みしめるカームの悲しい瞳の下には――、小さな孤島が浮かんでいた。


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