22 生まれながらの権利
生まれに立ち会った幼竜シェロの頬にキスをしてから、カームはご機嫌な表情で言った。
「まさかルナリザがシェロの世話を手伝ってくれるなんてね」
「もうその話はいいでしょ。何度目よ」
「嬉しいことは何度だって口にしたいよ。な、シェロもそう思うよなー?」
シェロは落ちつきなくカームの顔を舐め回したり、じたばたしている。
「いやー、幼竜ってやっぱ特別可愛いなあ……成長スピードには改めて驚かされるけど」
「そういえば、竜ってどのくらいで成竜になるの?」
「大体十五年くらい。三百歳くらいまではバリバリで、千歳くらいで衰えてくるって感じ。飼育竜だと、千五百年くらいは生きるって考えられてるみたいだよ」
「野生竜は違うの?」
「野生竜の平均寿命は三百年から五百年くらいだって。それも、大きな個体ほど短命なんだ」
「ファムはいくつ?」
「全然若いよ。確か……百二十歳くらいだったかなあ」
「じゃあミレーユは?」
「十一歳だってさ、まだまだ子供だよ。その割に大人びてるけどね」
「初めて知ったわ……そんな子供に騎乗して、大丈夫なの?」
「五歳くらいまでの竜のことを『幼竜』って区別してて、母竜機構では騎乗を禁止してるみたいだね。七歳になればもう乗って大丈夫。……あ、またこんなところでうんちしてー」
糞を取り除き、カームは小屋内を遊び回る幼竜の群れから視線を反らした一匹を見つける。
「君だろ~。バレバレなんだぞー」
罪悪感に囚われる一匹の幼竜を抱きかかえながら肛門の掃除していると、視界の端でルナリザが一点を見つめたまま固まっていた。
「どうしたのルナリザ、うんち? おしっこ?」
ルナリザの指先を目で追うと、シェロの周囲に幼き竜たちが入り乱れていた。やがて彼らは綺麗な円を描いて整列し、しっかりと立ち上げた首を中心のシェロへ向けている。
その謎の光景にカームが呆然としていると、抱いていた幼竜がカームの腕から抜け出して、おぼつかない足取りで集団へ加わっていく。
「……カーム、なんなの? これは……」
「……わかんない。こんなこと、ありえるのかな」
竜は同族同士のコミュニケーションが希薄な生き物だ。飼育竜は比較的人懐こい性格の竜が多いとされているが、それでも目の前の状況は間違いなく異常だ。
「どうするの、誰か呼ぶ……?」
「いや……待って」
異常な現象の中心にいるのは、生まれたばかりの赤ん坊シェロだ。幼竜小屋で暮らす皆はシェロを崇めるみたいに囲んで、何かを待っているように見える。
おそらくシェロは、周囲の幼竜たちとは違う特別な“何か”を持っている。それが生物として進化した果てに得たものなのか、人知を越えたものなのかはわからないが。
――もし、母竜機構がこの不可思議な光景を目にしたら、どうなるだろう。
まず間違い無くシェロは隔離され、生態確認のために実験漬けの日々を送ることになるだろう。結果、光るものが見つかれば悪用されることは目に見えている。
「……ルナリザ、母竜機構はどうして空の旅を続けているんだと思う?」
「それは……“人類未踏の大陸の発見”と“新たな資源の獲得”って魅力的な言葉でスポンサーに媚売って、裏で竜の軍事利用に向けた準備をするためでしょ。建前の目的が遂行できれば巨大なリターンを得れるし、ウィンガリウムは脚光を浴びることになる。……本当、嫌になるくらい狡猾。母竜機構、いやジラーニにとってメリットしかないんだもの。この旅」
ルナリザがため息をつく。カームの認識と差違は無い。
「……もしさ、“すべての竜を従える竜”が居たとしたら、どうなると思う?」
カームの真剣な表情に、ルナリザは気押される。
「……まさか、シェロのことを言ってるの?」
「例えばの話だよ。もしそうなら、ジラーニはまずこの子を手名付けようとするだろうね。そうなれば自ずと世界中の竜は母竜機構のものになる。戦闘せず野生竜を懐柔させることができるのだとしたら、今みたいに卵を奪う必要もなければ調教する必要も無い。何でも言うことを聞くのなら……あまり言いたくはないけど、戦争の道具や見世物にだってしやすい」
「地上に降りるまで金食い虫の母竜が、竜に予算を回さなくて良くなるってだけでウィンガリウム上層部は喜ぶでしょうね……あり得ない話だけど、あるとすれば絶対手放さない」
「…………もし、母竜機構の旅の目的が、はなからシェロを探すためのものだったら?」
「……考えただけで気分悪くなるわ。それに、ジラーニならやりかねない」
二人の間に沈黙が流れる。指や足先まで温かい血液が行き届かないような、嫌な感覚。
「母竜機構が竜と友情を育む気が無いとわかってから、ずっと不思議だった。ジラーニは戦闘機の開発者だったわけでしょ? 軍事力を上げたいなら戦争に役立つ兵器開発にでも力を注げば良いんだ。自分が得をすることばかり考えてるのに、危険を冒してまで野生竜の蔓延る空を旅しようだなんて思うのかなって……きっと、戦闘機を開発するよりも竜を利用したほうが良いんだよ、ジラーニは。この旅の先に……もっと魅力的な“何か”があるからなんだ」
カームが生唾を飲み込む。
「世界征服だって、できるかもしれない」
「何それ……正気なの? 生まれたばかりの赤ん坊にそこまでの力があるって言うの?」
「わからないよ。でも、母竜機構にはもっと大きい野望があると思う」
「……カーム、この話はひとまず置いておきましょう。誰かに聞かれたらマズいわ。今はとにかくシェロのことをもっと良く観察して、母竜機構の様子を窺うの」
「いや……それじゃ遅いよ。嫌な予感がする。今すぐにでも、ここを離れたほうが良い」
カームの提案に、ルナリザが瞬きの回数を増やした。彼女の予想の斜め上を行く解答だった。
「は? アンタ、母竜を解放するって目的はどうするのよ」
「もちろんやるさ。でも、もしシェロが悪用されることを考えると、こっちを優先しないと。何処か安全な場所にシェロを保護してから、母竜解放について考えよう」
話が大きくなってきたことを自覚しつつ、カームは自分に今できることを必死に模索する。対面のルナリザも、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「馬鹿だとは思ってたけど、まさかここまでとはね……そんな行き当たりばったりでウィンガリウムを敵に回したらどうなると思う? 全世界から狙われるわよ」
「世界なんて今はどうだっていいよ。俺は……人と竜の未来について考えてるんだ」
カームの瞳が真っ直ぐにルナリザを貫く。彼女は、居心地悪そうに視線を反らした。
「何よ……もう……、ほんと、付き合いきれないんだけど……」
ルナリザが赤毛をぐしゃぐしゃに掻きむしって、その場に蹲る。
「ルナリザ……」
「ああ、もう……、わかってる、わかってるわよ! だから……その顔しないで!」
やけくそで立ち上がったルナリザの足下に、じゃれついてくる幼竜たちが集まる。
「……この子たちにとって、一番良いことってなんなのかしら」
ルナリザが、哀れむような瞳でつぶやく。
「誰にも縛られず、自由に生きることだと俺は思う」
腰を下ろしたカームが、手のひらを幼竜たちに向ける。指に噛みつく竜も居れば、ざらついた舌で舐める竜も居る。躰を擦りつけて甘えてくる竜だって居る。
「この世界で生きる生き物はみんな、生まれながらにその権利を持ってるんだ」
一匹の幼竜を抱きかかえて、カームはその背中を優しく撫でる。
「その権利を奪う力が人間にはある。だけど、奪うことになるのだとしても、絶対に慈しみだけは忘れちゃいけないって思うんだ。母竜機構には、その慈愛の心がない。だったら――もうやるべきことは決まってるよ」
カームが、にっこりと微笑んでそう言った。
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