21 デート


 仕事を終えてカームが厩舎を出ると、外は紺碧色の夜空に包まれていた。星々がきらきら輝いている。なんだか、いつもより一際綺麗な気がする。

 母竜機構の陰謀を知ってからというもの、カームは居住区への足取りが重くなっていた。だけど、心なしか今はいつもより軽やかだ。きっと今日が特別な日だからだろう。

 途中まで帰り道が同じルナリザと共に、酒盛りを始める人々の合間を並んで歩く。会話は特に無かったが、それでも二人の間には普段と違う空気が流れていた。


「今日はお疲れさま。ルナリザ」

「……お疲れさま」

「今日はなんだか素直だね。……じゃあ、また明日」

「……うん。また明日」


 カームが手を振って別れようとすると、ルナリザもカームに習って小さく手のひらを振る。その姿を見て、カームは咄嗟に口を開く。


「あのさ…………ルナリザ、もし良かったら――」

「あら、ルナリザじゃない」


 カームがルナリザに声をかけた瞬間、彼女を別の誰かが呼び止めた。その女性が抱いている布から垣間見える愛らしい黒目に、カームは心を奪われる。


「うわあー、かわいい赤ちゃんですね!」


 ぶしつけにルナリザたちの間に入り込むカームに嫌な顔一つせず、女性はにこにこと微笑む。


「今日生まれたばかりなの。空の上で生まれた史上初の人間なのよ」

「おばさま、おめでとうございます」

「ふふ、ありがとう。あなたも色々大変でしょうけど、応援してるわ」


 女性は笑顔でそれだけ告げると、一般住居への道を歩いて行った。


「……いつか、竜と人間の赤ちゃんが一緒に笑い合えるときがくると良いな」

「…………そうね……そういえば、さっき何か言いかけなかった?」


 チラリと琥珀色の瞳がこちらを向く。


「あ、ああ……いや。その……ルナリザさ、これから少し時間空いてたりしない?」

「時間? どうしてよ」

「デート、行かない?」



 * * *



「ごめんねー、チャルチル。いつも迷惑かけて」

「もう慣れっこです。カームさんたちが調教士になったおかげで移送も楽になりましたし」


 チャルチルは整備士たちに指示を出しながらチェックシートを埋めていく。そして、ファムに取りつけた二人乗り用の鞍にそれぞれ座る二人を交互に見上げる。


「……それより、あの……お二人は……その……、特別親しい間柄なんですか?」

「え? うん。俺はそう思ってるけど」

「は? 良く言うわよ本当に。ていうか二人乗りなんてやって大丈夫なの? チャルチル」

「勿論禁止されてますけど、カームさんなら問題無いと思います。ここからは信頼の世界です。カームさんの卓越した飛行技術はルナリザさんも良くわかってると思いますけど」

「……カーム、アンタ本当にいつか母竜から墜とされるわよ」

「とか言いながら付いてくるんだよねえ、ルナリザは」

「うるさい。あたしはその……監視よ。アンタの監視」

「ハハハ、じゃあしっかり見てて」


 淡々と作業を進めつつも、カームとルナリザのやりとりに視線が泳いでしまうチャルチル。駆け出した彼女は、二人を見上げて声を上げる。


「……あの! 地上に戻ってからの舞台劇! わたし……すごく、楽しみにしてますので!」


 顔を真っ赤に染めて宣言するチャルチルに、周囲の整備士たちがうんうんと首を振って親指を突き立て合った。



 * * *



 青白い月明かりに照らされて、目下に敷かれた白いベッドがときおりキラリと光る。カームとルナリザは、ファムの背中で光輝く星空の下を遊覧飛行していた。


「どう、綺麗でしょ?」

「…………あっ、……そ、そうね」


 言葉を失っていたルナリザがようやく反応する。誘って良かったとカームは頬を緩める。


「俺、この時間が一番好きなんだ。何も考えないで、こうして空を散歩することが」

「……そういえば、食堂で勧めてきたことあったわね。アレでアンタのこと大嫌いになった」

「う、あのときは悪かったって。君の気持ちを、上手にわかってあげられなかったんだ」

「……でも、それはあたしも一緒よ。空の散歩、悪くないわ。人に勧めたくなるのもわかる」

「へへ、嬉しいよ。お互い、ちょっとだけ変われたのかな」

「人間の本質はそう変わらない。“気付く”かどうか、ただそれだけなんだと思う」

「また難しいこと考えてるね。もっと気楽に行こうよ、せっかくのデートなのに」

「……アンタは、もう少し考えなさいよ」

「酷いな、色々考えてるよ! 最近は悩みだって……たくさんあるんだから」

「ふうん、例えば?」

「え、そうだな。……最近風呂に入れてないこと、とか」

「驚いた。カームってそんなこと気にするんだ」

「そ、そうだよ。気にしてないようで結構繊細なんだ。俺って」

「自分で言うのね」

「なんか俺だけ恥ずかしい思いして悔しいな。……仕返しでもしようかなー」

「どういうこと?」

「よーしルナリザ、しっかり捕まっててね! ――――ファム! 行くぞッ!」


 カームの大声が空一帯に響き渡った次の瞬間、ファムが雲のベッドに急降下していく。


「ちょっと馬鹿! 急に何してるのよ!」

「ハハハ、まだまだいくよー!」


 雲を突っ切ると、漏れる月明かりに反射する海面が見えてきた。そこでファムは急激に速度を落とす。すると、空に放り出されたような感覚が全身に伝わった。

 旅立ちのセレモニーでカームとファムが見せた、無動の空中停止。

 時が止まったような感覚の後、カームたちは海面に向かって墜ちていく――。


「ちょっとやだ! これ墜ちてるじゃない! ファムに何かあったんじゃ――」

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

「カームが壊れた!」


 カームの背中にしがみついてルナリザが助けを求める。カームの高笑いがなおのこと本人の異常性を浮き彫りにしていた。

 闇色の海面がどんどん迫ってくる。比例するようにルナリザの力も強まる。カームは海面ギリギリまで落下してから、すくい上げるように優しく軌道を戻し、全身がふわりと浮き上がる独特の浮遊感と共に上方の雲へと戻っていく。


「ハハハ、楽しかったね。ルナリザ。“コレ”、今俺とファムの間で凄い流行っててさぁ」


 我ながら素晴らしいショーだと思うカーム。だが、振り向いた先のルナリザは目尻に涙を浮かべ、こちらを睨み付けていた。


「よくも、よくもやったわね……!」

「え、ルナリザ泣いて……ご、ごめん! ちょっとやり過ぎた……かも」

「この馬鹿ッ!」


 ルナリザがカームの頬を力一杯ビンタし、夜空に甲高い音が炸裂する。

 ファムのご機嫌な鳴き声をバックに、じんじんする頬を抑えたカームが唇を尖らせる。


「散歩の楽しさを知ってもらおうと思っただけなのに……酷い」

「仕返しって言ったのを、確かに聞いたわよ」

「あ、そっか。一泡吹かせたい気持ちと楽しんでもらいたい気持ちがあったんだった。ハハハ、忘れてた。でも、泣かせちゃってゴメンね」

「何よそれ……もう、本当にアンタと居ると調子が狂う」


 カームの腰に手を回したままだったことに気付いたルナリザが、密着させていた身体と一緒に手を離す。少しだけ残念な気持ちになったカームだったが、一方で待望のモノを見つける。

「見て!」と大声を上げたカームが、遠くの空を指差す。その遥か先で、光の線が一瞬走った。


「え、何? 何があったの?」

「流れ星だよ! あーあ、残念だったね」


 カームは振り返ってルナリザの表情を窺う。彼女は期待した表情で、あっちこっちに目をやっては、残念そうにしょんぼり肩を落とした。


「見れなかったわ……」

「……そろそろかな」

「何が?」


 ルナリザが訊ねたそのとき、一本、二本と輝線が暗がりの空を切り裂いた。やがてそれらは星の雨となって、何度もカームたちの頭上を煌びやかに走り去る。

 ルナリザの瞳に流星の光が反射する。彼女は、突如出現した星々の虜になっていた。


「実はさ、今日が流星群だって知ってたんだ。ルナリザに、驚いて欲しくって。……ほら、君ってロマンティックなものに疎そうだし、知らないだろうと思ったからさ。最高のタイミングで見られたね。良かったー」


 しばらく星々によるサーカスを鑑賞していると、だんまりだったルナリザの声が聞こえた。


「…………神様がくれた命の価値は、みんな平等なのかな」

「……ルナリザ?」

「なんでもない、独り言よ」


 二人はそのまま言葉を交わすことなく星空に魅了された。

 星々のサーカスが終演し、カームたちが母竜へ帰還する最中で、ルナリザが言った。


「カーム、あたし……アンタを手伝うわ」

「え、それって……」

「母竜を解放して、母竜機構を撲滅するんでしょ? それを手伝うって言ってるの」

「どういう風の吹き回し?」

「さあ。したいと思ったから、するだけよ。凄くアンタ向きの答えでしょ?」

「……そうだね。そういうの、凄く好き」


 背中にルナリザの温かさを感じながら、カームは緩んだ頬が戻らなかった。


「あたし、アンタに憧れているのかも」

「……えっ!? 突然どうしたの」


 ルナリザの突然の告白に、カームの胸が早鐘を打つ。あまりに不意打ちすぎて、頭の整理が追い付かない。なんだか、今振り返るのは気恥ずかしかった。


「正直者なの。これでも」


 ルナリザの声色はいつも通りで、カームはそれが少し面白くなかった。


「君って……なんか……うーんと……調子狂うよなあ」


 ガシガシと後頭部を掻きむしって適切な言葉を探すが、何も思い浮かばない。


「あらそう? 奇遇ね」

「俺たち案外良いコンビなのかもね」

「それはないわね」

「ちぇ、なんだよー」


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