19 空の葬式


「クソッ……! ルナリザ、どこにいるんだ!」


 竜の巣の外壁に掘られた四つ目の大穴の確認を終え、空へ飛び出すカーム。燃え盛る竜の巣がゆっくりと空を墜ちていくたびに焦りが加速する。

 次の大穴を探して巣の周りを飛行する最中、カームの視界にヒンメル率いる竜騎士隊一班と風船竜が繰り広げる怒濤の光景が映る。一介の竜騎士や野生竜が近寄ることさえできない、人知を越えた空域がそこにはあった。


 ヒンメルが滑空しつつ斧を一振りすれば、その刃は必ず命中し――手、足、角、翼、そのいずれかの自由を奪い去り、着実に風船竜の体力を削っていく。

 一方で風船竜の攻撃にヒンメルとガルミール組は当たらない。示し合わせたような華麗な回避で空域中の衆目を集め、それ自体がサーカスの演目のような豪華さを醸していた。

 ヒンメルが風船竜を討ち滅ぼすのは時間の問題に思えた。しかし――、


『一班、ヒンメルだ。現在風船型の巨大竜と交戦中。敵の攻撃により竜の巣の一つに火が燃え移った。回収班は至急向かってくれ』


 ヒンメルの無線連絡を出撃中の竜騎士たちがキャッチする。竜の巣には竜の卵を初め、数々の野生竜の痕跡がある。そのすべてが竜という生き物を解明していく手がかりになるのだ。


『ヒンメル! さっきミレーユの咆哮が聞こえたんだ! ルナリザたちが巣の中にいる!』


 無線連絡の通例に従わず、カームがヒンメルに無線で呼びかける。卵の回収ももちろんだが、ルナリザとミレーユが逃げ遅れている可能性は高い。こちらを優先すべきだ。

 ヒンメルからの応答は無かった。すぐに別の専用回線に繋がる。


『ジラーニである。総員、即刻戦闘を中止し墜ちている竜の巣から卵を回収しろ。それと、七班の班長は飛行禁止令が出ている。その空には“居ない”。発言、言動の一切に耳を貸すな』


 ジラーニの発言には、カームの腕力や技量で太刀打ちできない言葉と権力の力が溢れていた。管制室でジラーニに言われた社会的な死。それは、こういった類いの力なのだろうか。

 応答が無かったヒンメルからの回線が繋がる。


『――全竜騎士に告げる。総員、即刻戦闘を中止し、卵の回収に向かえ。以上』

「ヒンメル――君はッ……」


 カームは煮えくり返りそうになる気持ちをぐっと抑えた。せっかくの機会を無駄にするほうが馬鹿げている。自分がルナリザとミレーユを救出すれば良いだけのことだ。

 早々と次の穴に入り込むが、そこにもルナリザたちは居なかった。しばらくして巣から抜け出たとき、ヒンメルがカームの元へとやってくる。


「巣の内部には潜ってみたのか?」


 その言葉だけで、ルナリザのことを聞いているのだとわかった。


「大穴を五つ。あとは外壁を回ってるときに、ミレーユと野生竜の声が微かに聞こえた」


 カームがファムの卵ホルスターに手を添える。既に三つ埋まっていた。


「……もしかすると、事故で巣に潜り込んだのかもしれん。俺も過去に経験がある」


 ヒンメルが無精髭に触れながら鋭い眼光を光らせる。巣の表面が一部不自然にささくれ立っていた。


「……あそこだ」


 外壁が柔らかいとはいえ、身一つで突撃するのには相当の度胸がいる。しかし、ヒンメルは一切躊躇することなく竜の巣に突撃した。カームもすぐに追従する。

 ――ジラーニの命令に従っているから? それとも……。

 竜の巣に突入し視界が暗転する。だがその先で人工の光と出逢った。膝を抱えたままのルナリザが、ポカンとした顔でこちらを見上げていたのだ。


「戦闘は中止だ。ルナリザ、班長の竜に騎乗し母竜へ帰還しろ」


 ヒンメルはルナリザにそれだけ告げると、カームに目を合わせる。


「俺はあのデカブツを母竜から引き離す。負傷したミレーユと卵の回収、任せたぞ」


 表情を変えることなくヒンメルが空へ戻っていく。

 鞍上から飛び降りたカームは、ルナリザに駆けよって手を差し伸べた。


「帰ろう、ルナリザ」



 * * *



 母竜の背中の大部分を占める広場から少し離れた場所に、大きな石碑が飾られていた。集まった人々は悲しみの色を浮かべている。石碑には竜騎士の名が刻み込まれており、次々と新たな名が追加されていく。遺体がある場合は簡素な棺に入れ、数人でそれを安全柵が取り除かれた出っ張りまで運び、空へ墜としていく。

 ジラーニが青空に母竜の髭を放ると、それが風に乗って舞い上がった。その行程の最中、竜騎士たちは母竜の胴体で輪廻を描いて飛行していた。


 ――空の葬式。

 それは、母竜機構に定められた弔いの儀式だった。

 戦闘に参加した四十二名の中で戦死した竜騎士は十六名。医師に飛行不能と診断された負傷者は九名にも上り、中には感染症を患った者もいる。母竜機構は予想外の大打撃を被っていた。

 葬式が終わり、人が散開した石碑の前でカームが一人座り込む。


「なんで死んじゃった竜の名前は書いてくれないんだろう」


 石碑に触れ、竜騎士と共に心中した飼育竜や、無残に殺された野生竜のことを想う。

 人も竜も、皆同じ命だというのに。そこには違いなんて一つもないのに。

 カームが、竜の髭と自分の髪を結んだものを空に吸い込ませる。


「竜を弔う人なんて、初めて見た」


 声の元である影が、カームの隣までやってくる。


「……竜への復讐、どうだった?」

「…………そうね。正直、良くわからないわ。でも、後悔はしてない」


 ルナリザが絞り出すように語った。その言葉にすべてが含まれているように思える。


「そっか……」


 気落ちするカームの隣にルナリザが膝をつき、並べていた母竜の髭に手を伸ばす。そして、懐から取りだしたナイフで耳の横に刃を入れ、赤い毛束と灰色の竜の髭を丁寧に結び合わせる。


「これで……いいの?」

「ルナリザ、髪……良いの?」

「すぐにまた伸びるわ」

「男の人みたいなことを言うね」


 ルナリザは風に赤髪を靡かせつつ、編んだ人間と竜の毛束を見つめる。


「あたしが竜を殺したって事実は、今後一生変わらない。それは……絶対に忘れちゃいけないことだって、思うから」


 赤と灰に包まれた毛が、ルナリザの手からふわふわと天空へ飛び立って行く。


「もしあたしがいつか竜に殺されることがあれば、それは輪廻だわ」

「ルナリザらしい考え方だね」

「空の葬式ってそこから来てたりするのかしら……こんなこと考えるなんて、あたしもどうかしてる。自分でも驚いてるけど、竜を殺してから憑き物が落ちたような気分になってるの」


 出会ったばかりのルナリザと、たった今対面している彼女とでは纏う雰囲気がまったく違っている。何故だか、カームは竜を殺した後のルナリザのほうが好きだった。


「俺も、最近気付いたことがあるよ」


 ルナリザが夕日で透けた朱色の髪から、琥珀色の瞳を向けてくる。


「ルナリザみたいな復讐心も、当人にとっては大事なものなんだって思い知ったよ。初出撃から帰還して何時間も泣きじゃくる君を見て、俺は邪魔でしかないんだって気付いた。誰が何を言おうが、最後に選択するのは自分なんだ。ルナリザの道はきっとルナリザにしか歩めない。だから、きっとこれで良かったんだ」


 二人は少しのあいだ沈黙を共有する。あるときルナリザが口を開いた。


「アンタって……感情豊かそうに見えて、泣いたりしないのね」

「逆にルナリザは無表情に見えて泣き虫さんだよね」

「……それは嫌みなわけ?」むすっとした表情でカームを睨むルナリザ。

「ハハハ、そう思われちゃうか」とカームが困ったように頭を掻いて、地べたに寝転がる。

「実は俺、故郷を出てから一回も泣いてないんだよね」

「どうして?」

「さぁ。涙もろいタイプだったはずなんだけどなあ。悲しいことが起きても、不思議なことに全然泣けないんだ。別に泣きたいってわけじゃないから良いんだけどさ、なんか薄情な奴って気がするよね。実際、君は俺をそう思ったってことでしょ?」

「……涙なんて、不必要なものよ。力の無い自分を再認識することになるだけなんだから」

「人間は弱いものだよ。だから助け合って生きているんでしょ?」


 背中の汚れを払って、身体を起こしたカームが言った。


「……カームは、これからどうするつもりなの?」

「どうしよう。母竜機構からなんのお咎めも無いのは、たぶんヒンメルが働きかけてくれてるからなんだろうけど……今自分が何をすべきなのか、実はあんまり考えてないんだ」

「……そういえば、あたしもしばらく調教士として働くことになった」

「聞いてる。ミレーユ、早く良くなると良いね」

「……そうね。あの子には大分無理をさせたかも」

「お、調教士っぽい一言」

「よろしくね、先輩」


 ルナリザの意外な言葉に、開いた口が塞がらない。


「……ちょっと。何を驚いた顔してるのよ、冗談に決まってるじゃない。笑いなさいよ」

「いや、まさかルナリザがそんなこと言うなんて……てか、笑いなさいよ、って何それ」

「アンタ、あたしのことをなんだと思ってるわけ? こちとらただの田舎娘なのよ」

「良く言うよ。初対面のとき、噛みついて来そうな顔で睨んできてたくせに」

「それはアンタが失礼な奴だからでしょ」

「ハハハ、そうかも。そういう意味じゃ、俺とルナリザは似た者同士だね」

「普通に嫌ね、それは」

「失礼な」


 カームとルナリザは群青色に変わり始める空を見上げながら、笑い合った。


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