18 生きている意味


 出現した風船竜は、丸々した躰の至る所に切り込みのようなものがあった。そして、その隙間から“火炎を吐いた”。いや、吐いたというより放出したガスを燃焼させているのだ。

 火竜の火球よりもずっと範囲が広く凶悪なことから、竜騎士たちも苦戦を虐げられている。

 一回目の出撃とは比べものにならないほど戦死者も出ていた。巨大な竜の火炎に焼かれる者。野生の飛竜に食いちぎられる者。やがて竜騎士たちの中から“サーカス”が消え去る。快楽のために竜を殺すことが目的である殺戮サーカス思考の者たちにとっても、今回の空戦が手に負えないものであることを理解すると、彼らは表情を消した。


 そんな中、カームは叶わない想いを願い続けていた。

 ――人も竜も、死んで欲しくない。一人でも、一匹でも多く生きて欲しい。

 無理なのかもしれない。何度もそう思った。だけど、自分が折れてしまったならば絶対に実現することはない。カームは己の信念を貫き通したかった。

 だが、そんな彼の心にも弊害が生じていた。

 ――ルナリザであれば竜を好きになってくれると、心のどこかで思っていた。

 彼女の心を入れ替えることができるかもしれないと、本気で考えていた。

 甘かった。結果がこの体たらく。あまりにも早すぎる結末。

 そのことがカームの天才的な飛行技術に少しの動揺を与えていた。その不安はしっかりとファムにも伝わっている。


「ファム、ごめん。頼りなくて」


 カームの呼びかけにファムは応えない。その代わり、尾をカームの背中に軽く擦りつける。


「ああ、わかってる。過ぎたことは仕方ない。俺は俺のやるべきことをしなくちゃ」


 カームは戦闘中の竜騎士と野生竜の間に割り込み、槍を振って気勢を殺ぐ。

 自分の存在が場違いなのは重々承知だ。今の自分は、人間サイドからも竜サイドからも邪魔な存在だ。でも、それでもカームにとってはやらなければならないことだった。


 母竜のほうを一瞥する。付近まで野生竜に攻め込まれたせいか、ナイトサーカス以降使っていなかった砲撃や碇などが使われていた。乗船者の悲鳴も聞こえてくる。

 いくらかの後ろめたさがカームに圧力をかけるそんな中、数体の竜騎士が新たに飛翔する。

 竜騎士たちは飛び上がると同時に手練れた動作で編隊を組み、フォーメーションを切り替えて母竜へ接近しようとする野生竜を瞬殺する。その殺戮には下賤な遊びなどなく、他の出撃班とは次元が違っていた。彼らが『竜殺しの一班』と呼ばれる由縁である。

 その中心には竜騎士長ヒンメル。やがて編隊は枝分かれし、ヒンメルがこちらに向かってくる。彼の相棒竜は雌火竜、ガルミール。若い竜でありながらヒンメルと高次元のサーカスが実現できたのは、相当の信頼関係が築けているからだ。竜やサーカスに特別な想いがあるはず。それなのに彼はジラーニ側の人間だ。それが何故なのか、考えても答えが出ない。


「戦果は出せているのか、カーム」


 ヒンメルが大仰な斧を肩に担いだまま、訊ねてくる。


「ヒンメル……お願いだ。竜騎士の皆に語りかけて、この戦いをやめさせよう。俺には、それができないから……でも、君ならできるだろう?」

「……つまらんな、結局人頼みか」ヒンメルがため息をつく。

「……母竜は大騒ぎの真っ最中だ。一般乗船者は竜騎士が苦戦を虐げられる巨大な野生竜に驚き、自分たちの心配、VIPどもはサーカスのクオリティの低さを嘆いてる。おまけに、ジラーニ総統は現在の竜騎士隊の苦戦さえ、サーカス演出の一環だと言い張っている」

「……そんな」

「命を賭して戦う俺たち竜騎士のことなんざ、誰も見ちゃいない。実に阿呆らしいと思わないか。所詮俺たちは母竜機構の飼い犬だ。犬に意志決定の権利などない。こいつら飼育竜と同じようにな。カーム……お前が握っているその武器は一体なんのためにある」

「…………」

「母竜機構に従えないのなら母竜から降りろ。そもそも従う気がないなら俺になど頼るな。お前は、自分の道を探し続けるんじゃなかったのか」

「探してるよ! その結果君に声をかけたんだ。ヒンメル、君は本当はこんなことしたくないはずだ! 何故、俺に母竜の脳室を教えた! 君は俺に一体何を望んでるんだ!」

「言ったはずだ。俺はお前の行動に興味がある。ただそれだけだ」

 ヒンメルが辺りを見渡す。「ところで、お前の班員は一体どこにいる」


 バイザーゴーグルを上げて、カームはその翡翠色の瞳に澄んだ青を反射させる。

 カームは半径一キロメートル内の対象を記憶している。すれ違って離れたのだとしても、その位置情報は視界に映っている限り見失うことはない。カームは、現在の空戦空域を飛び交っている竜騎士、飼育竜の名前や所属班、使用武器にいたるまでの情報を瞬時に判別できる。


「六時方向二・八キロ先に一人……それと、十時方向二・五キロ先に一人」


 指先で点となって飛行を続ける班員たちをヒンメルに伝えて、カームはハッとする。


「ルナリザが居ない」


 先ほど一人で飛び立ってしまったルナリザが見当たらない。竜の巣の方向へ向かったところでルナリザの位置情報はカームの瞳から消失していた。

 最悪のケース想像する。しかし、いくら考えたところで問題は解決しない。ルナリザが生きているとして、カームの視界に映っていない場合――考えられる選択肢はかなり少ない。


「探さないと……飛ばして、ファム!」


 カームの叫び声にファムが同調する。一人と一匹が竜の巣に向けて飛び立って行く。

 残されたヒンメルは、カームが指差した“点”を見据える。


「……あれを判別できるのか。デタラメな才能だな。俺が如何に凡人か思い知る」


 担いだ斧を膝に下ろし、ヒンメルはバイザーゴーグルの先で浮遊する風船竜を見据える。


「さて。頼むぞ、ガルミール」



 * * *



 竜兜の無線ダイヤルを調整し、七班に呼びかけてみる。


「ダメだわ、故障してる」


 ルナリザはため息をつく。風船竜の火炎に直撃するすんでのところでミレーユが竜の巣に突撃したおかげか、壁面に狭い空間が生まれていた。

 竜の巣は野生竜たちが好き勝手に形成していくコロニーだ。竜たちの居住区は流動的で、それぞれがテリトリーを広げていった結果、ある日壁が壊されて竜同士がかち合う――といったことも珍しくない。つまり、まったく安心できない。

 壁に手を這わせる。細かな繊維の向こう側が透けて見えた。人間の力でも壊せそうだ。


「…………傷むの?」


 ルナリザが横たわったミレーユの翼に触れようとすると、唸り声が返ってくる。


「あっそう。……なら、勝手にしなさい」


 瞬間的に胸がむかむかした。せっかく心配してあげたのに、応じてくれないことが腹立たしかった。でも、ミレーユが咄嗟の行動を取ってなければ死んでいたかもしれない。


「はぁ……何回死んでるのよ、あたしは」


 己の情けなさに呆れていると、ミレーユが自前の爪で壁を掘り始めた。


「……それ、そんなに面白い? いつもやってるけど。ほんと気楽で良いわね」


 しばらく見つめているだけのルナリザだったが、夢中で作業を進めるミレーユのことが次第に気になって、いつの間にか自分もミレーユの隣で壁堀りに参加していた。

 空戦の状況はどうなっているだろう。竜を殺した自分のことを……カームはどう思っただろうか。作業中にそんなことを考えていると、壁が崩れて――開けた空間に繋がる。

 野生竜の住処だろう。ルナリザの目の高さの位置に小さな穴が大量に掘られていた。


「こんなに……凄い」


 野生竜が一つの穴に産み落とす卵の数は最大で三つ。飼育竜のホルスターに収められる卵の数は、最高で六つだ。早くこの場所を仲間たちに伝えたいが、連絡手段がないジレンマ。

 でも、ただ待っていることなんてできない。

 ルナリザは用具入れから閃光玉を取り出し、暗い広間の中央へ投げ込む。

 空間内に野生竜は居なかった。空戦に出払っているのだろう。

 ルナリザが住処に足を入り込むと、手負いのミレーユもびっこを引きながら付いてくる。


「待て」となんど指示してもミレーユはまったく聞く素振りを見せないため、ルナリザは安全確認を早急に開始する。影や段差を目視と指差呼称を行いつつ歩みを進める。

 卵の穴まで辿り着く。糞塗れの穴を前に嫌なことを思い出していると、隣でミレーユが長い首を穴に突っ込んでいた。相棒竜の異常な行動にルナリザの全身の毛がよだつ。

 相棒竜が汚物に顔を擦り付けて遊んでいる姿を照らして絶望していると、突然――どすんという地響きがすぐ近くで聞こえた。


「え?」


 振り返ると、見たこともない平べったい生き物がルナリザの目の前で舌舐めずりをしていた。

 閃光玉では何も浮かび上がらなかった。物陰や段差も確認したのに。どうして?


 敵が落ちてきたであろう天井に照明具を向ける。天井の模様と敵の鱗が類似している。ミレーユのセンサーにも引っかからないことから、一般的な竜よりもずっと低温体質であり、壁や天井に擬態できる能力を持った竜なのだとルナリザは考える。


 次の瞬間、ミレーユが吠えながら野生竜に飛びかかる。襲われた野生竜は平らな手足を器用に丸めてミレーユを打ち付ける。竜同士の打撃戦が繰り広げられる中で、ルナリザは槍を掲げて大きく跳躍する。野生竜の中心に飛び込み、矛先を突き刺す。


「きゅりゅあああああああああ!」


 聞いたこともない嘶きが空洞内に広がる。暴れ回る平たい躰を全身で踏みつけて、刺さりっぱなしの槍を乱暴に引き抜いては何度も何度も突き刺す。声にならない声で雄叫びを上げるルナリザは、竜殺しの槍を野生竜に食らわす。

 断末魔のような悲鳴が絶え間なく耳に入り込んでくる。気が付いたときには野生竜は地面に溶けたようにへばっていた。後に残るのは痙攣した手のひらと、臭みを帯びた血濡れの竜鎧。竜騎士らしからぬ、まったくもって不格好な竜の殺し方だった。


 血だらけの槍を武器ホルスターに戻して、ルナリザは壁面の穴から卵を回収する。全部で十二個だった。それらを慎重に元居た縄張りへと運んでいく。

 たくさんの卵が小さな空間にひしめき合っていると、なんだか温かく感じた。そのうちの一つをルナリザは自分の胸に抱く。


 ――あの野生竜の子供たちなのかな、アンタたちは。だったら……。

 自分が、他者から憎まれる存在になったことをルナリザは自覚する。それが未だ自我を持たない卵なのだとしても。いつか生まれてくるこの子たちにとって、自分は――敵となったのだ。


 復讐の行く先など始めから理解していた。だけど、どれだけ聡明な人間でも生まれ育んだ気持ちまでは騙せない。裏切れない。でないとルナリザは自分を見失っていた。竜を殺さなければ、満足できなかった。納得できなかった。満たされなければ、生きている意味が無い。

 ふと世話係を引き受けた卵のことを思い膝を抱えていると、ミレーユの尾が自分と竜の卵をそっと包んでくる。その、仄かな温かさに身を預けて、ルナリザは助けを待った。


 焼けた匂いがルナリザの鼻腔につんと入り込んでくる。

 少しずつ……竜の巣が空を墜ちていることに彼女は気が付いた。


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