17 達成感と罪悪感


 バイザーゴーグルの遥か先で、巨大な竜が吠えた。黄と水の縞模様の鱗を身に纏い、風船のように丸々としたその姿は母竜機構が保有する『巨竜』の一回りも二回りも大きい。

 風船竜の付近には三つの竜の巣が浮かんでいて、その周辺には飛竜や火竜など、数十匹を越える竜たちが舞っている。竜にしては珍しく、群れを形成していた。

 風船竜と母竜の距離は約四キロほど。このまままっすぐ進行すれば、間違いなく衝突する。母竜機構は危険度“A”を発信したが、それはあくまでも目安でしかなく、A以上の危険度は想定すらされていない。つまり、ジラーニの判断によって母竜機構の運命は左右される。お国事情とはいえ、VIPを楽しませるためにサーカスなどやっている場合ではない。

 ルナリザは歯噛みしながら目の前の現実を呑み込む。


 付近の空域では続々と殺戮サーカスが始まっていた。風船竜の腰巾着のように周辺を飛ぶ野生竜たちが竜騎士たちへ襲いかかる。だが訓練された竜騎士はそう簡単に負けない。野生竜の襲撃を容易く躱し、母竜の観客たちに見せびらかすための派手な攻撃で声援を集める。

 風船竜の登場で母竜内は大騒ぎになっていた。VIP連中は歓喜するやつが殆どだが、一般乗船者の中には恐れを成す人々もいたのだ。

 遠くの空から船内放送が聞こえる。ジラーニが上手い具合に乗船者を煽って、あることないこと吹き込んでいるのだろう。

 ルナリザはごくりと唾を飲み込んで、握った槍の矛先に視線を落とす。


 ――今度こそ。

 二度目の出撃は、ルナリザにある程度の余裕を持たせていた。養成学校の百を超える訓練より、一度の実戦が自分を成長させるのだと、身に染みてわかる。


「……ミレーユ、頼んだわよ」


 大体の進行方向を指示しつつも手綱は緩め、ある程度ミレーユの好きに行動させてみる。そのお陰かいつもより視野が広く感じる。心なしかミレーユと意志疎通ができている気さえして、なんだか少し落ち着かない。胸の中の心臓が、早鐘を打つ。

 そんなとき、その鼓動を捕捉したかのように一匹の野生竜が襲いかかってきた。


「ミレーユッ!」


 ルナリザが叫ぶ。相棒竜は主の声に確かに反応し、野生竜の攻撃をひゅっとのけ反って上昇。野生竜との間に高低差が生まれた。


「やるわよッ……!」


 竜騎士の空戦において、基本的に高度の高い者が有利。何度も頭に叩き込んできた座学だ。

 ルナリザが叫び声を上げる。手には、力一杯握った竜殺しの槍。


「うわあああああああああああああッ!」


 その決意にミレーユが応え、いざ、急降下――。

 竜を殺し、その素材で作り上げた竜を殺すための武器で、ルナリザは野生竜の首筋を狙う。

 やがて――矛先が目的地へと到達する。ザクリと生々しい感触が武器を伝ってルナリザまで届く。鋼鉄をも通さない竜の鱗が、まるで赤子の柔肌のようだった。

 綺麗な青色の空に、赤黒い鮮血が引き立つ。


「ウガァアアアアアアアアアッ!!」


 奈落の底からの咆哮に、ルナリザは耳を押さえそうになるが、耐える。


「まだ……まだなのッ!」


 深手を負わせた野生竜を執念深く睨み付ける。竜には高い再生能力がある。だからこそ竜騎士の戦闘は一瞬がモノを言う。もたもたしていると足下をすくわれる。

 ルナリザはミレーユと共に野生竜の懐に潜り込み、槍を捻り上げるようにして繰り出す。矛先は野生竜の逆鱗に直撃。脆い部分から崩壊していくように、野生竜の首が千切れて吹き飛ぶ。


 初めて討ち取った野生竜の生首が、赤黒い血液を引きながら青空を飛んでいく。美しい背景をバックに場違いな“それ”は、ルナリザの視界の中でスローモーションに映った。

 吹き飛んだ竜の生首を回収班である十班の竜騎士が見事に手中に収める。


「ブラボー! 鮮やかだったぜ、今の『逆鱗崩し』は!」


 手を血だらけにして訓練した竜騎士の必殺技を成功させたルナリザに、仲間たちがねぎらいの言葉投げかけてくる。

 その場に滞空し、刹那の間命を奪い合った野生竜に横目を向ける。細長い首は途中で切断されていて、内部の骨や筋肉の繊維までが太陽の元に晒されている。


 突然、頭部を失った野生竜の躰が正気を失ったように乱暴に空を踊り狂う。死に際の生き物の姿は、痛々しく、見るも無惨だった。

 野生竜の切断面から血液がどばどばと溢れ、目下の白い雲へ吸い込まれていく。そんな赤黒い滝を見つめていると、ルナリザはハッと意識を取り戻した。


「……本当に殺したの? 今ので……竜を?」


 まるで現実感がない。夢の中にいるようだった。ここまで簡単なことだとは。養成学校で教わったように、逆鱗を一突きしたらもうそれで終わってしまった。

 やがて躰だけで暴れ回る野生竜も回収班によって捕獲され、それらは巨竜へと運び込まれる。殺した野生竜は母竜に帰還後、分解され竜騎士たちの武器や防具になるのだ。


 しばらくその場に呆然としていたルナリザだったが、次第に達成感がじわじわと全身に染み渡っていく。震える腕をもう片方で抑える。


「やった……やったんだ。あたし……本当に竜を殺したんだ」


 姉を食い殺した傷の竜のことを考えると、はらわたが煮えくりかえる。そうだ、姉の殺され方はこんなものではなかった。あの野生竜は楽に死ねたほうだ。

 ――罪悪感など、感じる必要は一切ない。

 世界から厄災と恐れられている害獣を始末した。世のため人のためだ。そこに少し私情が乗っているだけに過ぎない。そしてルナリザは気付く。

 娯楽として殺戮サーカスを楽しむ竜騎士たちと、今の自分は一体何がどう違うのだろう。

 ルナリザが心の内で自問していると、そんな彼女に視線を向ける者が居た。


「……ルナリザ」


 声が届くほどの距離ではなかったが、カームが悲痛な声でそう言ったように聞こえた。何故だか後ろめたさを感じたルナリザは、彼を無視してそのまま空戦火の中を突き進む。

 ――害獣の命を一つ奪ったことが、こんなにも。

 永久に響く残響のように、それはルナリザの胸に痛ましく刻まれた。

 油断すると頭の中がソレでいっぱいになってしまいそうだ。先ほどのカームの顔が焼き付いて離れない。切断した感触が手から消えない。喰い散らかされた姉の無残な姿が忘れられない。


 飛行を完全にミレーユに任せっぱなしになっていたことに気が付き、ルナリザは手綱を握り直す。いつの間にか風船竜や竜の巣の付近に接近していた。

 そのまま卵を入手すべく竜の巣へ向かっていくが――そのとき、“空が燃えた”。

 爆発のように燃え上がる火炎に驚いたミレーユが、逃げ込むように竜の巣に突撃する。

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