16 母竜の脳室


「居るだけで気が滅入ってくるわ……」


 ルナリザが頭を押さえながら力なくつぶやく。カームは天井に半身を埋める金属に触れた。


「これは……針? なんか、竜の……素材で作られてる気がする」

「装備開発士が作ったってこと?」


「……多分」カームはそのまま針にしがみつき、引っ張り始める。


「ち、ちょっと何してんの馬鹿! やめなさい!」

「だって、可哀想なんだもん」

「……アンタだって、感じてるんでしょう。その針は……」

「ここまであからさまなんだ、わかるよ。母竜機構は……この針で母竜を“洗脳”してる」


 カームが、拳を強く握る。


「乗船者が平然と母竜の体内を居住空間にしているのを見たとき、母竜の能力をそのまま利用してるんだと思ってた。規格外の巨大生物だから、自分の子供たちを養うコロニーを持っているのかも、世界には俺が知らない凄い生き物が居る……だなんて勝手に感動してた」


 カームが脱力して地面に腰を下ろし、波打つ天井を見上げる。


「どうして、こんな簡単な違和感に気付けなかったんだろう……俺は、馬鹿だ」


 カームの翡翠色の瞳に、赤黒い母竜の脳髄が映り込む。


「こんなに脳味噌に針を刺されて、内外問わず改造させられて。助けを呼ぶこともできずに今もただ痛みに耐え続けてるんだ……母竜は」


 カームの瞳の中で、ぎらりと何かが燃える。


「…………………決めた。俺、母竜を解放する。それで母竜機構も撲滅させる」


「なっ……」呆気に取られるルナリザが、慌ててカームに詰め寄る。

「自分が何言ってるかわかってるの!? 今母竜に乗ってる一五〇〇人の乗船者は一体どうなるのよ」

「そうだね……そこは考えないと」

「……はあ。思いつきでとんでもないこと言わないで」


 ルナリザがほっとしたような、呆れたような表情で頭を振る。


「方法なんか後で考えれば良いんだ。今は行動を起こす心意気のほうが大事だと思うから。ルナリザ、君にも……協力して欲しい」


「……それは、できないわ」カームの口が開く前にルナリザは続ける。

「アンタが腹を立てる理由はわかるし、母竜機構の行為は看過できない非人道的なものだと思う。だけど、アンタの目的とあたしの目的は絶対に混じり合わない。わかるでしょ?」

「やっぱり、竜を……殺したいの?」

「殺したいじゃない。やらなくちゃいけない。復讐なんて陳腐な言葉じゃ表せないくらいの屈辱をあたしは竜から受けたの。そのとき生まれた気持ちは自分だけのもので、それを晴らせないあたしはあたしじゃない。……だから、カームには協力できない」


 ルナリザの真摯な眼差しをまっすぐ受け止めたカームは、口角をゆっくり上げる。


「そっか……そうだよね、余計なこと言っちゃってごめん、ルナリザ」

「別にアンタの考えを否定してるわけじゃないから。ただ、あたしとは進む道が違うだけ」

「……進む道、か」


 カームの口角は、そのまま下がらなかった。



 * * *



「――おいカーム、六班の火竜、次が当番だからボイラー室への搬出手続きと立会してくれ」

「……りょーかい」

「なんだよ、いつになく元気ないな。女にフラれでもしたか」


 すっかり顔馴染みになった調教士の男がカームの肩を小突いて笑う。一方のカームは意気消沈といった感じで、この一日得意の変顔を披露することもなかった。

 母竜の脳室から帰還後、ルナリザとはまだ顔を合わせていない。


「うん。フラれちゃった」

「あちゃー。お前は色男だけど中身がほぼ変態だからなぁ」

「え? し、失礼な! 竜好きって意味ならここにいる人みんなそうなるじゃないか!」

「よし、その元気があるなら大丈夫だな、よろしく頼んだぞ」


 カームは六班の火竜の小屋に向かい、搬出前のチェックを行う。今朝の食事量、鱗の艶ハリ、中でも重要なのは、糞の具合からガス袋に不調がないことを確認することだ。火竜の火球は母竜機構にとっての生命線でもあるため、自ずと出撃頻度は抑えめになる。


「うん。大丈夫そうだ」

 火竜の糞に片腕を突っ込んで微笑んでいると、背後から視線を感じた。

「……偉いときに来ちゃったみたい。アンタって、その……本物の変態じゃないのよね?」

「ルナリザ……」


 ぬちゃ――とカームは汚物から腕を引き抜いて、ルナリザの元へ。


「ちょ、ちょっと! 馬鹿、そのままこっち来るな! 何考えてんのアンタ頭おかし――」

「もう、来てくれないかと思った」


 顔全体に悲しみの色を浮かべて、カームが視線を落とした。


「なんでそうなるのよ。卵の世話をしに来たんだけど」

「……してくれるの?」

「は? この間のやりとりは一体なんだったのよ、寝てたわけ?」

「……ハハハ、良かった。やっぱりルナリザって良い人だね。義理堅い人だ」

「決まったことを途中で投げ出したりしないだけよ。あたしが気持ち悪いし」

「来てもらってなんだけど、卵の世話ってそんなにやることないんだけどね。ハハハ」

「…………じゃあ、他のことをやる」

「……ルナリザ、もしかして俺に会いに来てくれてたりする?」

「は? なに? 馬鹿なの? うぬぼれるのも大概にして」


 ルナリザがやたらと視線を外し、唇を尖らせてそっぽを向く。その姿に、カームはつい微笑みを浮かべてしまう。カームは改めてルナリザと目を合わせると、言った。


「…………ルナリザ、ごめん」

「……何よ。急に」

「この間のこと。協力を申し出るだなんてどうかしてた。とりあえず、一人で頑張ってみる」


 入手した情報をどう利用すべきか、考えなくてはいけない。それに、ヒンメルの件もある。慎重に行動することが苦手なカームではあるが、それでもやらなくてはいけない。


「…………相談くらいなら、乗れると思う」

「え?」

「言ったでしょ。あたしはアンタの目的自体を否定したわけじゃ――」


 そのとき。地響きのような振動と共に、サイレンが聞こえた。


『――危険度“A”。六班以上、三十騎以上の竜騎士を編成し――』


 続いて、竜騎士長が編成内容を発表する。今回も、七班は出撃班として選出された。

 ルナリザの表情が、引き締まったものへと切り替わる。


「アンタは飛行禁止でしょ。ここで竜と遊んでなさい」

「嫌だ、俺も行く……これでも七班の班長だからね」

「アンタ、次こそジラーニに殺されるわよ?」

「絶対死なない。それに、ヒンメルがなんとかしてくれるさ」

「本当に馬鹿。あたしは忠告したのよ。どうなっても……知らないから」


 カームは、駆け出すルナリザの後を追いかけた。


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